前回(→こちら)の続き。
タイの首都バンコクにある涅槃仏が好きである。
全長49メートル、高さ12メートルの巨大仏がこちらを圧倒するように、どーんと寝ている。
「ゆるキャン△」ならぬ「ゆるパッカー」を自認する私は、その圧倒的ゆるゆるなビジュアルに感動することしきりだ。
イスラムでは
「偶像崇拝はよくない」
といっているのに、仏教ではその偶像が、のんびりと横になっている。
ある意味すごく深いユーモアであり、どこか風刺めいているといえなくもない。
考えてみれば、ブッダなんて悟りがどうとかおっしゃってるが、そもそも金持ちのボンボンだし、修行をしていたがさっぱり道が開けず、
「あかんなー、厳しい修行しても、しんどいだけで、なんも生まれまへんなあ」
なんて、万年1回戦敗退の運動部員みたいなボヤきを入れる始末。
休憩でもしょうかと木陰で休んでいたら、女の子が冷たい牛乳を運んできてくれて、「こら、ありがたい」とゴクゴク飲んで、
「プッハー! 修行のあとの一杯、これが最高やな。あ、もしかして、今の気分が『悟り』っていうんじゃね?」
という、ほとんど仕事帰りのビアホールか、サウナ上がりのビックル一気飲みみたいなノリで「解脱」に成功したのである。そんなんで、ええんかいな。
仏教というのは超私的解釈では、
「ボンクラ青年の生涯ニート宣言」
みたいなものであり、こんなもん、ひいきにせずにはいられないではないか。
こうして私は仏教徒ではないが、タイ旅行以来「仏教ファン」になったのである。
ただ、こういった「ファン活動」は、あまり賛成の意をくんでいただけることがない。
というか、そもそも寝釈迦というのはあまり人気のスポットではなく、さほど旅行者の心を打たないようなのだ。
聞いてみても、「あー、なんか変な像でしょ」なんていってすましている。
エメラルド寺院の仏像や王宮の荘厳さについては語ってくれるが、寝釈迦についてはなかばスルー。
どうにも反応が、いまひとつである。というか、ここまで寝釈迦に熱い男が私だけのようなのだ。
あのゆるさがわからんとは、まったく日本人はムダに勤勉な民族である。ブラック企業がはびこるのもむべなるかな。
そこで、外国人はあの寝釈迦についてどう考えているのか、オーストラリアの有名なガイドブック『ロンリープラネット』(英語版)が宿に置いてあったので参照してみると、そこには衝撃の記述があったのだ。
「Wat Pho」の欄には、
「ここではぜひ寝釈迦を鑑賞したい」
とあったのだが、その寝釈迦の英訳というが、
「Reclining Budda」
リクライニング・ブッダ
あの荘厳な、世界の仏教のシンボルが「リクライニング」と表現されているのだ。
すごいぞ、英語のセンス。
いや、訳としては間違ってないんだろうけど、それにしたって「リクライニング」はないだろ、「リクライニング」は。どんだけリラックスさせる気や!
うーむ、さすがは世界のバックパッカーのバイブルともいえるロンプラ。このセンスには脱帽だ。
悟りを開いたエライ人なのに、のんびりと寝ている。
このギャップと、英訳のハイセンスさには感動した。
もし私が大富豪になって、『サンダーバード』のような私的地球防衛軍や国際レスキュー隊を作ることになったら、ぜひこれをシンボルマークに採用したい。
でもって、かっこいいハイテクメカにベタベタ貼りつけて、マヌケにゆるく出動したいものだ。