「自分にとって本当にコワイ奴は下から来るんだ」
そんなことを言ったのは、『ヒカルの碁』の倉田厚七段だった。
かつて、渡辺明五段が王座戦で、タイトル戦に初挑戦したときのこと。
最終局で羽生善治王座が、詰みの場面で手が震えて駒が持てなくなるというハプニングがあった。
2003年、第51期王座戦第5局。羽生善治四冠と渡辺明五段戦。
渡辺にとっての初タイトル戦だが、挑戦者本人も認める「羽生有利」の評をくつがえして、2勝1敗とリードを奪う。
そこから逆転され、初タイトルならずも大いに評価を上げ、その後の竜王獲得などのブレイクにつながった。
最終盤、羽生の手が大きく震えて、1手指すのも苦労していたことや、頭金まで指した渡辺の無念など、語り継がれるシリーズとなった。
あのメンタル面でも弱さの見られない羽生ほどの男が、
「下の者に抜かれる」
というピンチを味わったとき、体の制御が利かなくなるほど、追いつめられるのだ。
それほどに、「コワイ奴」が王者を恐れさせるのは、自分もまた
「上のものをブチ抜いてきた」
からに他ならない。
そのときの「元王者」の姿が、フラッシュバックするのだろうか。
1974年の第33期名人戦は、中原誠名人に、大山康晴十段(今の「竜王」)が挑戦。
大山といえば、つい数年前までは「無敵の名人」として棋界に君臨していた。
1952年に名人を獲得してから5連覇。
その後、ライバル升田幸三に奪われるも、2年後に復位し、そこから13連覇。
その間、フルセットになったのすら2度しかないという、怒涛の勝ちっぷりで、
「大山が強すぎて、おもしろくない」
とまで言われるほど、圧倒的な存在であったのだ。
そんな大山だったが、1972年の第31期名人戦で、24歳の中原誠相手に激戦の末失冠したところから、風向きが変わり出す(そのシリーズはこちら)。
世は「中原時代」に舵を取りはじめるが、そこで黙っている大山ではなく、2年後にはA級順位戦を勝ち上がって挑戦権を獲得。
「大山、カムバックなるか」
ということで、これは2年前よりも、さらにファンの注目を集めたそうで、その期待通り、七番勝負はまたもフルセットにもつれこむ激戦に。
最終局は、後手番の大山が三間飛車に振ると、中原は▲45歩早仕掛けで挑む。
序盤の駒組で大山が損をしたせいで、中原優勢になるも、そこから決死のねばりで土俵を割らない。
それでも形勢はなかなか好転しないが、中原にあせりも出て、雰囲気がアヤシクなってくる。
むかえた、この局面。
大山が△61香と打ったところ。
局面は、まだ先手がいいようだが、圧倒的優勢だったのが、この局面になったことを考えると、精神的には中原も相当苦しいだろう。
後手玉も固く、まだまだ長引きそうなところだが、次の1手が伝説的な名手だった。
▲96歩と突くのが、歴史に残る一手。
といっても、これだけ見れば、なんのこっちゃ。
たしかに「端玉には端歩」の格言通りで、玉のフトコロも広げてるけど、こんな悠長な手を選んでいていいの?
もう、終盤戦に入るところなのに、敵玉は固いんだから、もっと攻める手をやりたいけどなあ。
というのは、すべてごもっともで、たしかにこの手自体は次に、なにか鋭いねらいがあるわけでもない。
だがむしろ、その「ない」ところが、すごいのだ。
名人を決める一番で、大優勢の場面をここまで追い上げられて、その極限状態で、
「次にねらいのない端歩で、相手に手を渡せる」
この落ち着きが、超人的なのだ。
心身が押しつぶされそうなところ、それを受け止めて、飲みこんで、平静に心を整えることができた。
「アンタがなにをやってこようと、オレは惑わされることなどないんだぞ」
そう盤上で宣言したようなもの。
その証拠に、後手から△54歩と催促されても、じっと▲43桂成。
これも、一見遅いようだが「あせってない」ことを示す手だから、後手は継続手がむずかしい。
そもそも、不利だったり難解だったりする局面で、パスのような手を駆使して相手をゆさぶるのは、まさに大山自身の得意とするところ。
それを、こうも見事にお株を奪われるとは、盤の前で歯噛みする思いだったのではあるまいか。
現にその後、ねばってミスを誘うはずだった大山が、あせって逆に転んでしまう。
技術のみならず、大山の土俵であったはずの駆け引きや精神力でも上まられた形で、先崎学九段いわく、
「この将棋に負けて、大山先生は名人に復位できないと覚悟したところもあったんじゃないかな」
こうして「コワイ奴」にたたきのめされた大山は、しばらく名人戦の舞台に立てなくなり、中原の長い名人独占を、ゆるしてしまうこととなるのだ。
(大内延介との名人戦に続く→こちら)