「言い訳をするな!」
という言葉が昔から、しっくりこないところがある。
もちろん、それが本当に、ただ責任逃れだけの「言い訳」なら、そういいたくなるのはわかる。
遅刻をした、忘れ物をした、仕事でミスをしたという原因が、
「ゲームしすぎて寝坊した」
「ボーッとして、話を聞いてなかった」
とかなら、そりゃ怒られてもしょうがない。
ただ、どうも人によってはそういうことでもない、たとえば
「人身事故で電車が遅れた」
「連絡担当が間違って伝えていた」
みたいな、その人に直接責任がないことでも、言われたりすることも。日本人はそのあたり、妙にきびしいところがある。
それこそ中学生の時などは、地毛が赤っぽかったり栗色だったり天然パーマだったりした友人が、先生にそれを伝えたところ、
「言い訳をするな! 明日までに黒くしてこい!(ストレートにしてこい!)」
なんて職員室でブチ切れられていた日には、そりゃあんまりだというか、正直殺意に近い感情すら芽生えるほどであった。
おい待て、地毛だっていってんじゃん。人の話くらい聞けよ。
私は自分が髪のこととかで怒られたことないから、直接的な恨みとかはないけど、だからこそ逆にああいう
「天然パーマ証明書を提出」
みたいなものには「なんと愚かなのか」とあきれていたものだ。
あまつさえ、そのおかしさを検討もせず妄信し、自分の権力かなにかと勘違いした愚昧な教師が
「きちんとした理由を説明すること」
に耳を貸さないなど、愚の骨頂としか言いようがない。
というか、髪の色や形なんて、どうでもいいじゃん。言い訳もへったくれもないよ。
しかも、こういう人ほど「上の立場」には弱くてヘコヘコするしなあ。
「恫喝」と「媚び」って、ワンセットなのかしらん。
なんて経験もあって、どうにも「言い訳するな」という言葉に、いまひとつ納得がいかないことが多いのだ。
それと、もうひとつ疑問なのが、そりゃあもう、この手の教師や上司や指導者の多くが、いざ自分が責められる立場に立ったときは、ものの見事に「言い訳」をかますことだ。
不祥事を起こした政治家とか、いじめ問題が発覚した学校とか、まー、ふだんは偉そうな(たぶん、だいたいそうでしょう)みなさんも、一所懸命「言い訳」します。
答弁をダラダラ引き延ばしたり、スケープゴートを差し出そうとしたり、すぐバレるウソをついたり。
中には隠蔽したり、関係者に圧をかけるなんて卑怯者もいたりして、小物感が丸出しに。
体罰事件なんかよく
「愛ゆえのきびしさが行き過ぎて……」
「期待があったからこそ手が出てしまった」
みたいな「言い訳」が出てくるけど、正直説得力ないこと多いし、仮に1億歩ゆずってそうだとしても、それでケガしたり死んだりしたら、
「力の加減や、生徒の健康状態もわからないバカな指導者」
「そこまで追いつめると、最悪の行動に走ってしまう性格であることを見抜いていなかった無能な教師」
ということになって、どっちにしてもダメじゃんという気がする。
というか、そもそも愛があろうが情熱があろうが、暴力をふるうことは(精神的なものもふくめて)犯罪だ。
そういう人の「愛情」「情熱」がホンモノかどうかも、あやしいもんだしね。
「言い訳」を嫌がるのは、体育の先生や、説教の好きな上司や先輩など「熱血」の人が多かった。
それゆえ、これらの人がみっともない「言い訳」を披露しているのを見ると、ガッカリ感も倍増だ。
たぶん、最近話題の「人間ピラミッド」が大好きな先生も、事故が起ったらガッツリ「言い訳」すると思いますよ。
それだったら、最初からエラそうなこと言わなければいいのにと不思議なんだけど、たぶんこの手の人って、自分の言ってることに筋が通ってないことを、おかしいとか感じてないんだろうなあ。