「なんで、こんなメンドイことしてるんや!」
パソコンの前で思わず声を上げたのは、不肖この私であった。
このところ数回、「詰むや詰まざるや」な将棋の終盤戦を紹介してみた。
私はここで将棋のことを書くとき、ネタ探しみたいなことはせず、風呂の中や散歩中に
「あー、なんかあんな将棋あったなー」
唐突に思い出したり、また今のタイトル戦など観戦中に
「お、これなんか、昔に似たような形あったよな」
なんてアンテナが反応したりと、行き当たりばったりな感じで書いている。
なので、連想が連想を呼んで、こないだは「終盤の難解な詰み」をリンクしていったら、もうこれが、すんげえ大変で。
まずは、谷川浩司vs南芳一戦、超絶技巧の「限定合」。
続いて、久保利明vs羽生善治戦の、これまた「限定合」がからんだ「トリプルルッツ」。
さらに加えて、「伝説の三段」こと立石径さんによる藤井聡太七冠クラスのウルトラ実戦詰将棋。
ネタ的に書いていて楽しかったけど、そのあまりの高度な手順に「検算」するのが大変。
もちろんソフトにも頼ってますが、それでも気になる変化を全部つぶしていると、頭がおかしくなってくる。
似たような局面が多いので、本当にこんがらがるのだ。
もう、こんな生活イヤ!
ダメ男に尽くしてきた健気な女のごとく叫び声をあげた私は、もう検算のない世界へ行きたいと「一撃」な将棋を思い出してみることにした。
私と同じく「実戦詰将棋」で頭がウニになった皆さまも、「一目でわかる」ホームランで、心をいやされてくだいませ。
1989年のNHK杯準々決勝。
羽生善治五段と加藤一二三九段の一戦。
角換わり棒銀から激しい攻め合いとなって、この局面。
次の手が有名すぎるほど有名な一打で、先手の勝ちが決まる。
▲52銀が見事な一撃。
△同金は▲14角、△42玉、▲41金で詰みだが、後手は受けがない。
△42玉と逃げるも、▲61銀不成で左辺に逃げこめず勝負あり。
私も当時リアルタイムでテレビ観戦しており、むずかしそうなところから一瞬で終わって「あらー」とビックリした記憶がある。
ここから私は、30年以上にわたって彼の将棋を追いかけることになるのだ。
続いても羽生の将棋。
1991年のB級2組順位戦。
西川慶二六段との一戦は、羽生が先手で「中原流」の相掛かりに。
図は西川が△82飛と引いたところ。
私レベルだとここは▲85歩と打って、▲86飛から▲84歩と伸ばす。
△83歩と受けさせれば満足だし、▲96歩、▲95歩と伸ばして、▲94歩、△同歩、▲92歩、△同香、▲91角をねらう。
それくらいが、ふつうだと思うが、羽生の発想はそのはるか上を行っていた。
次の手で将棋はお終いである。
▲71角で升田幸三流に言えば「オワ」。
△72飛には▲86飛とまわって、△71飛に▲82飛成で飛車金両取り。
△62角とむりくり受けても、▲84歩とタラすくらいで、駒を全部取られて負かされるだけ。
△83飛とでも逃げるしかないが、▲84歩、△同飛、▲85歩、△83飛、▲86飛。
これでもう、どうやっても後手の飛車は助からない。
△95角に▲96飛、△94歩、▲95飛、△同歩、▲72角まで、解説も必要ない明快な手順で羽生勝ち。
トリをつとめるのは羽生のライバルであった村山聖九段の将棋。
1997年の第56期B級1組順位戦の4回戦。森雞二九段との一戦。
図は先手の森が、▲44飛と歩を取ったところ。
後手の穴熊は手数を伸ばすような受けが見当たらず、一方の先手玉は△36桂と王手しても▲17玉でつかまらない。
森は勝利を確信していたろうが、ここからわずか3手で投了に追いこまれる。
△17角がまさに必殺の一撃。
▲同香は△36桂。
▲同玉は△16香から、やはり△36桂で詰み。
本譜の▲18玉にも、△16香と打って必至。
このときの村山は、前期A級から陥落。
しかも持病の悪化により、まともに将棋を指せる状態でないと医者から宣告されるという、非常にきびしい状態であった。
本来なら休場して回復にあてるべきなのだが、それを拒んだ村山は、8時間以上におよぶ大手術に耐え復帰。
再起にかけるB級1組順位戦でも、伝説的ともいえる丸山忠久七段との死闘こそ敗れたものの、その後も白星を重ねて見事1期での復帰を果たす。
それにしても、あざやかな決め手。
書いているだけで、さわやかな気分になれるし、なによりなーんも検討とかしなくていいのがすばらしい!