「【天才感】を出して切り抜けろ!」
というのが、ヤング諸君に伝えたいアドバイスである。
まだ20代のころだったか、友人キシベ君から相談を受けたことがあった。
友が言うには、自分はそもそも、そんなに愛想のいいタイプではない。
まあ、友達や彼女は、それをわかってくれてるから、それはいいんだけど、困るのはパブリックな場。
仕事や学校で、食事会や飲み会、パーティーみたいなものにも出ないといけないこともある。
そういうところで身の置きようもなく、だれとしゃべっていいかわからないし、かといってボーっとしてると、
「愛想がない」
ムッとされたり、
「退屈してるのでは」
気を使われたりして、それが困りものだと。
コミュ障というほどではないが、そういう場でのソツない会話や対応がむずかしく、手持無沙汰な空気を出しているのではと、気になって仕方がない、と。
うーん、これは不肖この私も、同じようなところがあって、共感できる。
基本おしゃべりのくせに、人や場所の距離感が微妙なところだと、どうふるまっていいのか、サッパリわからなくなるのだ。
冠婚葬祭とか、町内会の会合とか、あまり知らない親戚の集まりとか諸々。
これに関しては、
「がんばって、明るいキャラを演出してみる」
「ビジネスライクな、大人の対応を心掛ける」
などなど、試行錯誤した上に出した結論のひとつが、冒頭のそれだ。
「天才感を出す」
結局のところ、人には得意不得意というものがあり、無理してキャラ変しても不自然になるし、ストレスもかかる。
なら、
「黙っていても、周囲がそれを認めてくれるキャラ」
これで行けば、いいのではないか。逆転の発想である。
そのひとつが「天才キャラ」であり、こういう一筋縄ではいかない男が、沈黙にふけっていても、だれもとがめないどころか、
「やはり、雰囲気があるな」
「きっと、なにかすごいことを考えているに違いない」
勝手に想像してもらえるわけだ。
実際のところ、そういうときに考えていることは、
「はー、早く家に帰って、『じゃりン子チエ』の再放送見たいなあ」
とかなんだけど(最近、朝の楽しみなのです)、そこは全身でハッタリを駆使し、
「あいつは、ちょっと人と違うぞ」
というイメージを、それをなるたけネガティブではないそれを、周囲にそれとなくアピールするのだ。
成功例のひとつは、昔アルバイト先で、社員さんたちが海外のカジノに遊びに行く話をしていたとき。
そこで、「どうせやるなら、勝ちたいなあ」とおっしゃるので、
「なら、確率的には、ブラックジャックがいいらしいですよ」
たまたま読んだ谷岡一郎先生など、「ギャンブルと確率」みたいな親書を参考に、
「以外と悪くないのはパチンコ」
「本当に勝ちたければ、長期戦より一発勝負」
など、あれこれ(テキトーに)語ってみると、「へー」と感心され、それ以降、
「あいつは頭がキレる男だ」
というあつかいになり、これには大いに助かったもの。
なんか変なこととか言っても、
「オレたちとは、ちょっと違う角度からの意見なんだろうな」
なんて、フォローしてもらえたわけなのだ。
また、これもよく使ったのが、人がいるのに気づかないふりをして、難解な本に読みふける演技をする。
デカルトやカントの哲学書や、「フェルマーの定理」「オイラーの等式」のような数学の本もオススメ。
もちろん、意味など一滴も理解できないが、
「そんなん読んで、わかんの? よかったら、内容教えてよ」
なんて質問には、
「正直よくわかりません。でも、随所に刺激はもらえて、よりもっと、学びたいという熱が高まっていくんです」
みたいな、これまた口から出まかせを言っておけば、
「若いのに、たいした男じゃないか」
これはやりすぎると、あざとくなるが、うまく決まれば一目置かれたりもするし、現にこれで仕事を取ったこともあるから、結構バカにできない。
あと、旅行好きをアピールしたら、
「若いころから世界に目を向けるなど、キミには期待できそうだ」
なんて、ただの楽しい観光旅行なのに、妙に熱く語られたり、この
「ちょっと違うかも感」
これこそが、生命線になり、その後は楽しく《無愛想でも、それなりにゆるされる》ロードを、エンジョイしたのだった。
というと、なんだそれは、ただのホラではないかと、あきれる向きもあるかもしれないが、ハマればハマるのは、経験則から言っても多少は保証できる。
マジメな人ほど、いい方に取ってくれる傾向が、あるのはたしかなので、そこを「ねらい撃ち」するのが、いいかもしれない。
実際、似たようなことを考える人というのはいるもので、ダウンタウンの松本人志さんは、ラジオの「ヤングタウン木曜日」で、
「今度、入学することになった高校が不良ばかりで、いじめられないか心配です。どうやって身を守ればいいですか?」
というハガキに、
「【ヤバい奴】という空気感を出せ。どこを見ているかわからないうえに、会話が成立しないとか、狂気を演出しろ」
また、南海キャンディーズの山里亮太さんは、モテるためのメソッドとして、
「カバンの中に、さりげなく英字新聞を忍ばせておく」
言っていることは、私と同じなわけで、コミュニケーションや自己プロデュースのプロフェッショナルたる芸能人が実践しているのだから、これは伊達や酔狂ではないのである。
なんてことを伝えてみると、キシベ君は、
「なるほどねえ。いろいろ考えるもんやなあ」
「いろいろ」の後に続くのであろう「阿呆なことを」という言葉を、飲みこんで笑ってくれたが、
「でもそれは、うまくいけばええやろうけど、失敗したら目も当てられんな」
さすが友は、本質を一言で、つらぬいてくる。
これはまったくその通りで、この「アマデウス作戦」は、成功すれば実りも大きいが、スベッた場合に待っているのは、
「中2病」
というワードの花吹雪である。
そりゃもう、冷静に考えれば、どこからどう見ても「イタい」のは間違いないわけで、相当にリスキーであるのだ。
なのでこれは、相当に演技力の自信のある人や、私のような口から先に生まれてきたようなホラ吹き以外には、すすめられないかもしれない。
諸君の健闘を祈る。