「天才感」(ハッタリ)で、気まずい会やパーティーを切り抜ける!

2021年04月15日 | 若気の至り

 「【天才感】を出して切り抜けろ!」

 

 というのが、ヤング諸君に伝えたいアドバイスである。

 まだ20代のころだったか、友人キシベ君から相談を受けたことがあった。

 友が言うには、自分はそもそも、そんなに愛想のいいタイプではない。

 まあ、友達や彼女は、それをわかってくれてるから、それはいいんだけど、困るのはパブリックな場。

 仕事や学校で、食事会や飲み会、パーティーみたいなものにも出ないといけないこともある。

 そういうところで身の置きようもなく、だれとしゃべっていいかわからないし、かといってボーっとしてると、

 

 「愛想がない」

 

 ムッとされたり、

 

 「退屈してるのでは」

 

 気を使われたりして、それが困りものだと。

 コミュ障というほどではないが、そういう場でのソツない会話や対応がむずかしく、手持無沙汰な空気を出しているのではと、気になって仕方がない、と。

 うーん、これは不肖この私も、同じようなところがあって、共感できる。

 基本おしゃべりのくせに、人や場所の距離感が微妙なところだと、どうふるまっていいのか、サッパリわからなくなるのだ。

 冠婚葬祭とか、町内会の会合とか、あまり知らない親戚の集まりとか諸々。

 これに関しては、

 

 「がんばって、明るいキャラを演出してみる」

 「ビジネスライクな、大人の対応を心掛ける」

 

 などなど、試行錯誤した上に出した結論のひとつが、冒頭のそれだ。

 

 「天才感を出す」

 

 結局のところ、人には得意不得意というものがあり、無理してキャラ変しても不自然になるし、ストレスもかかる。

 なら、

 

 「黙っていても、周囲がそれを認めてくれるキャラ」

 

 これで行けば、いいのではないか。逆転の発想である。

 そのひとつが「天才キャラ」であり、こういう一筋縄ではいかない男が、沈黙にふけっていても、だれもとがめないどころか、

 

 「やはり、雰囲気があるな」

 「きっと、なにかすごいことを考えているに違いない」

 

 勝手に想像してもらえるわけだ。

 実際のところ、そういうときに考えていることは、

 

 「はー、早く家に帰って、『じゃりン子チエ』の再放送見たいなあ」

 

 とかなんだけど(最近、朝の楽しみなのです)、そこは全身でハッタリを駆使し、

 

 「あいつは、ちょっと人と違うぞ」

 

 というイメージを、それをなるたけネガティブではないそれを、周囲にそれとなくアピールするのだ。

 成功例のひとつは、昔アルバイト先で、社員さんたちが海外のカジノに遊びに行く話をしていたとき。

 そこで、「どうせやるなら、勝ちたいなあ」とおっしゃるので、

 

 「なら、確率的には、ブラックジャックがいいらしいですよ」

 

 たまたま読んだ谷岡一郎先生など、「ギャンブルと確率」みたいな親書を参考に、

 

 「以外と悪くないのはパチンコ」

 「本当に勝ちたければ、長期戦より一発勝負」

 

 など、あれこれ(テキトーに)語ってみると、「へー」と感心され、それ以降、

 

 「あいつは頭がキレる男だ」

 

 というあつかいになり、これには大いに助かったもの。

 なんか変なこととか言っても、


 
 「オレたちとは、ちょっと違う角度からの意見なんだろうな」

 

 なんて、フォローしてもらえたわけなのだ。

 また、これもよく使ったのが、人がいるのに気づかないふりをして、難解な本に読みふける演技をする。

 デカルトカントの哲学書や、「フェルマーの定理」「オイラーの等式」のような数学の本もオススメ。

 もちろん、意味など一滴も理解できないが、

 

 「そんなん読んで、わかんの? よかったら、内容教えてよ」

 

 なんて質問には、


 
 「正直よくわかりません。でも、随所に刺激はもらえて、よりもっと、学びたいという熱が高まっていくんです」

 

 みたいな、これまた口から出まかせを言っておけば、

 

 「若いのに、たいした男じゃないか」

 

 これはやりすぎると、あざとくなるが、うまく決まれば一目置かれたりもするし、現にこれで仕事を取ったこともあるから、結構バカにできない。

 あと、旅行好きをアピールしたら、

 

 「若いころから世界に目を向けるなど、キミには期待できそうだ」

 

 なんて、ただの楽しい観光旅行なのに、妙に熱く語られたり、この

 

 「ちょっと違うかも感」

 

 これこそが、生命線になり、その後は楽しく《無愛想でも、それなりにゆるされる》ロードを、エンジョイしたのだった。

 というと、なんだそれは、ただのホラではないかと、あきれる向きもあるかもしれないが、ハマればハマるのは、経験則から言っても多少は保証できる。

 マジメな人ほど、いい方に取ってくれる傾向が、あるのはたしかなので、そこを「ねらい撃ち」するのが、いいかもしれない。

 実際、似たようなことを考える人というのはいるもので、ダウンタウンの松本人志さんは、ラジオの「ヤングタウン木曜日」で、

 

 「今度、入学することになった高校が不良ばかりで、いじめられないか心配です。どうやって身を守ればいいですか?」

 

 というハガキに、

 

 「【ヤバい奴】という空気感を出せ。どこを見ているかわからないうえに、会話が成立しないとか、狂気を演出しろ」

 

 また、南海キャンディーズの山里亮太さんは、モテるためのメソッドとして、

 

 「カバンの中に、さりげなく英字新聞を忍ばせておく」

 

 言っていることは、私と同じなわけで、コミュニケーションや自己プロデュースのプロフェッショナルたる芸能人が実践しているのだから、これは伊達や酔狂ではないのである。

 なんてことを伝えてみると、キシベ君は、

 

 「なるほどねえ。いろいろ考えるもんやなあ」

 

 「いろいろ」の後に続くのであろう「阿呆なことを」という言葉を、飲みこんで笑ってくれたが、

 

 「でもそれは、うまくいけばええやろうけど、失敗したら目も当てられんな」

 

 さすが友は、本質を一言で、つらぬいてくる。

 これはまったくその通りで、この「アマデウス作戦」は、成功すれば実りも大きいが、スベッた場合に待っているのは、

 

 「中2病」

 

 というワードの花吹雪である。

 そりゃもう、冷静に考えれば、どこからどう見ても「イタい」のは間違いないわけで、相当にリスキーであるのだ。

 なのでこれは、相当に演技力の自信のある人や、私のような口から先に生まれてきたようなホラ吹き以外には、すすめられないかもしれない。

 諸君の健闘を祈る。

 

 


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