「やってはいけない」
と言われることほどやってみたくなるのが、人間のサガである。
芸能人の不倫騒動とか、他人への悪口からの炎上とか、人はタブーと言われる行為ほど魅力を感じてしまうもので、われわれは常にモラルと禁断の果実の間で、板ばさみにされているのだ。
代表的なのは、学校やビルにある火災警報機のボタン。
あれを
「ウルトラ作戦第一号、攻撃開始!」
「7時の方向に目標、撃て!」
「本艦は現時刻をもって自沈する。乗員諸君、今までありがとう」
なんて、裂帛の気合もろとも、押してみたいと願うのは人類共通の夢である。
よくエレベーターに
「非常時には、ここを押してください」
と書かれたボタンがあるが、以前住んでいたマンションではそれが、親のカタキかというくらいテープでガチガチに固められていた。
「これ、非常時になっても押せねーじゃん!」
乗るたびに、つっこんだものであるが、おそらく、ロマンに殉じた男子住民(たぶん子供)のせいであろう。
迷惑だが、まあ気持ちはわからなくもない。
警報機以外だと「ベランダを仕切ってる壁」も、ぶち破ってみたい。
マンションに住んでおられる方なら、おわかりいただけるだろうが、ベランダの両サイドに、隣との境になっている薄い壁がある。
そこにはたいてい、こんな文言が記してある。
「非常時、ここから破って隣へ抜けられます」
破ってみたい。
となると気になるのが、その強度。あれは、どれくらいの耐久力を持っているのか。
「ここから破って」などと簡単に書いているが、そんな楽勝な雰囲気でいいのか。ふつうに、正拳突きや蹴りなどで破れるものなのか。
あまり頑丈だと「貧弱な坊や」である自分はケガが怖いが、すぐに破壊できるようだと、それはそれで防犯的に不安でもある。
こうなってくると、破れ方も問題である。
パンチなりキックなりタックルなりした際、どのように壊れるのだろう。
怪獣がビルを壊すよう、壮快に楽しく、くずれてほしいものだ。
体当たりしたら、やはり古いアニメや、コントの定番ギャグのように、壁にきれいな人型の穴が開くのだろうか。
なんといっても、ここは見事貫通したときのスッキリ感も大事である。
割りばしが、うまく割れたときのような「おお! 見事な割れ具合だ」といった爽快感があるとベターだ。
これは、なにげに問題ではないか。もし火事で避難する際、ここで今ひとつ破壊の爽快感がなく、
「ちょっと待って、今のはノーカンね」
ベストのスマッシュ感を求めて、再チャレンジしている間に煙に巻かれて死去、なんてこともあるかもしれず、その「割り心地」は極めて重要である。
そこで以前、友人アサカ君の住むマンションに遊びに行ったとき、
「よし、一体どうなるのか、実際試してみよう」
ベランダに出て拳を振り上げたところ、後ろからはがいじめにされ、止められたことがあった。
なにをするんだ、これはキミの安全を考慮した、双方痛みをともなう実験なのだと説得したが、同意してくれるどころか
「なにするねん、このぼけなす!」
頭をはたかれ、メチャクチャに怒られた。
私の友を想う心が理解できないとは、哀れなアサカ君である。
かくのごとく、私の野望はあのベランダの壁を、ぶち破ることである。
実際に、地震や火事などの大災害が起るのは嫌だから、アサカ君のマンションに遊びに行くたびに、火災警報機が誤作動しないかと期待している。
そうすれば、合法的にあの壁を破れるからだが、今のところ幸か不幸か、そのチャンスはめぐってきてない。
あ、そうか、じゃあ自分で押せばいいんだ(←絶対ダメだよ!)。