青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

終戦記念日を前に

2010年08月10日 | 人生設計

この国では、毎年八月が近付き、八月になると、決まって「戦争特集」が氾濫する。
それは「記録、思い出、体験」といったものから、「証言」といったものまで、それが「報道特集」とか「ドラマ」化されたものまでが、タンと並べられる。

しかしそうしてはいても、では「それでどうする」という事となると、何の教導も示さないまま終わっている。「どうすべきなのか」という事も、述べないまま終わっている。

ところがその一方、「核の傘」政策が正当化されたり、普天間基地問題も正当化されたりし、他方では「非核三原則の法制化」が叫ばれるとか、「地位協定」は既定の事実化されるやら、その上に「核密約」まで出てきている。
だがそれでもこの国の人々は、一旦選挙で選出した人たちに全権を与えてしまっていて、「戦争特集」といったものを受けとめながら「ジッ」としている。

おかしなことに、「核の傘」に頼りながら「非核三原則の法制化」を目指している。
「地位協定、核密約」などに多額の予算、我々が納税した税金を使わせながら、「社会保障費」が不足していると言わせている。
「再びの残虐な戦禍」を恐れさせる「戦争特集」を見ながら、「高級海外派兵」を可能にしようとする軍備増強を容認する政策を野放しにしている。
否、自衛隊が他国との合同軍事演習したりしても気にせず、むしろ新型護衛艦が寄港公開するなどすると、誇らしがったりする。

この「核の傘」に頼りながら「非核三原則の法制化」というおかしな方程式、ノーベル賞や文化勲章や五輪メダリスト、あるいはアカデミー賞受賞者方に解いてもらいたいものだ。

いったいこの国の人たちは、かっての忌まわしい体験をしながら、今また再びこんな忌まわしい思いをしたいのだろうか。
したくないなら、自分たちが納入している税金を、こんなことに使わないで欲しいといい、使うなら納入を拒否すればよい。

「終戦記念日」が近づいた昨今、何おかと思う。


どちら様も

2010年08月10日 | 短歌に政治や社会
なぜ広島でアメリカは謝罪しなかったのか(gooニュース・JAPANなニュース) - goo ニュース

どちら様も、「謝罪」なんかしようとしない。
我が国なんかも、なかなか真珠湾攻撃したことなんか、「謝罪」したがらない。
これは、他国もしかり。

それだけでなく、変な資金管理団体の献金疑惑なんかも、すべてを明確にして謝罪しようとする姿勢も、無い。
一国の首相でさえ、プライバシー権を盾に、うやむやにして幕引きを図ろうとする。
それを、誰も彼処も、見習う。
マスコミメディアでさえ、見習う。

他人事みたいに言っているが、他人事ではなく、他人事で済ますべきことでもない。