対北朝鮮、声明に「圧力」盛らず=完全非核化へ外交後押し―日米韓防衛相
安倍晋三という我が国の首相は、事あるごとに教育と言っている。
新教委幕基本法、教育改革、英語教育、道徳教育・・・・・ら、教育という言葉゛をつかっいてやまない。しかしその教育が、どう言うべきかという段になると、あやふやになってしまっている。
教育には、二つの形がある。教育というその言葉の通り、学ぶということだが、この学びの内容には大きな違いを持っている。
一般にいう教育、即ち学びとは、知識を得ていくこととしている。知識を得て、教養を深めていくことにあるとしている。
しかしそうして得た知識や教養の使い方、役に立て方のやり方というものが、少しも教え学ばせていない。だからやっと得た知識も教養も、正しく生かしていけなくなっている。
それはこれら知識や教養を、正しく生かしていこうという道の学びが、疎かになっていることにある。
人間というものは、欲望の塊みたいになっている。それ故に、知識も教養も、この欲望を満たしていくために利用しようとしてしまう。自己本位になり、自己中心になり、相手とぶつかってでも自分の欲望を満たすことに利用しようとしている。
そこから差別や争いがおこり、人を殺すことも厭わずに戦争にもなっていく。
それに対して道を学ぶという教育とは、心の教育というべき教育である。
この心の教育は、普遍的に生きるという道を学んでいく教育のことである。
この教育とは別に、宗教も信仰ともいう。
うるさ過ぎる goo.gl/CpBsQY
— えちぜん (@itibanmasasan25) 2018年6月2日 - 20:34
6月の壁画 goo.gl/gvZgnh
— えちぜん (@itibanmasasan25) 2018年6月2日 - 20:51