青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

寄り添って

2018年06月10日 | 短歌に政治や社会

危険物検知に限界=新幹線の安全対策―専門家「改札にセンサーを」

★ 弱さ故 非暴に走る 人たちを
     常に寄り添い 助けと挙げて   2018/6/10

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責めを負うべきは

2018年06月10日 | 短歌に政治や社会

「赤ちゃんがいるんですー」新幹線内は阿鼻叫喚 通報者が語る10メートル先の“血の惨劇”

今日の世の中は、社会では、このような嫌な事件や悲惨な事件ばかりが連続するように発生している。
これらのこうした事件の犯人は捕まってはいる。
それでそういう犯人に責を負わせておけばいいのかというと、そういう責を負わせて済ませておけばいいものではない。

仏教においては、お釈迦様の教えの要として「縁起」をもってなされている。
「縁起」とは、生起している現象には、それを生起させる原因があることを指す。
これを「因」という。
この「因」が「縁」を持つことによって、結果が生じてくる。
それ故にこのような忌まわしい事件にも、その事件を生じさせる原因「因」があったからに他ならない。

ではその「因」となっているものは、どのようなものなのであろうか。
それはその「因」によって、世の中や社会が構造化してしまっていることにある。
この世の中や社会を構造化しているものは、政治の行いにある。
言ってみれば、政治の仕方、行い方が、このような事件を生む素地になってしまっている。

人間というものは、元々目先の欲に弱い生物である。その欲をあおるようにして政治によって、差別化されていくと同時に、世の中からも社会からも爪はじきされる人々が増えていく。こうした彼らの精神は、病んでいく。
そうした世の中や社会を生み出していくのが、つぎのようなものにある

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