「世襲の定義、よくわかんないんですよ」22日の首相(朝日新聞) - goo ニュース
【河村官房長官発言】
――河村官房長官がきょうの都内での講演で、公明党に配慮して、7月の東京都議選前後の衆議院選挙は避けるのが望ましいという認識を示したが、総理はどう考えるか。
「聞いてないから、そら何とも言えませんね。あのー、公明党という与党、友党に、いろいろと配慮するというのは、常日頃からそういった配慮は持っているとは思います、思いますけども、それにあわせて、選挙の日にちを考えるということはありません」
【世襲】
――いま自民党内で、国会議員の世襲制限を設けることを、次の衆院選のマニフェストに盛り込むことを目指す動きがあるが、総理はこうした動き、こうした議論がいま出ている理由とか、背景についてどう考えるか。
「背景。背景はご本人に聞いて頂かないとわかりませんね、それは。ただ、世襲制の話っていうのは、これは被選挙権の話にかかわってきますんで、その意味では、あのー、なかなか難しい話だと思いますよ。だから、ちょっと、いまのこの段階で、その背景と聞かれても、ちょっと聞く相手を間違っておられると思いますよ」
――いや、なぜ世襲制限すべきか。賛否両論あるが、世襲制限すべきだという意見が出てくる理由について。
「だから、その世襲制限をすべきだと言っておられる方に聞かれるのが筋であって、私に聞かれても、私は世襲制限のこと、何一つ言ってませんから、間違っておられるんじゃないですかと申し上げています」
――では、一般的に、現職の国会議員で世襲と呼ばれる方の比率が高いことの理由についてはいかがか。
「あのー、世襲の定義っていうのがよくわかんないんですが、親が亡くなって、跡を継いだ。麻生太郎はどうなります?」
――(記者団沈黙)
まるで「漫才」、みたいなものだ。
「世襲の定義」と言うけれど、ここで言う「世襲」とは、「選挙地盤を世襲」と言う事であって、「財産の世襲」では無い。
そして、たとえ「財産の世襲」であっても、それは「棚ぼた式な」ものなのであって、自分の力で勝ち得たものでは無い。
そうなると、自分の力で勝ち得るためには、一から初めて「認知」され「認証」される必要がある。それが「解散総選挙」の必要性だ。
今日現在、私達は「経済危機」とか「不況」の最中にある。
それは、言ってみれば今までの「世襲」に胡坐をかいていた、「罰」みたいなもので、今後は一から自分だけの力を試されることになったということができる。
この今、「堪忍自重」して耐えていくか、それとも今までと同じように「景気拡大、経済発展」を追い求めて豊かさを求めていくか。
おかしなことに、企業なんかには何兆円もの「資本注入」しながら、生活苦にもだえる「社会弱者」には、資本注入はすずめの涙ほど、だ。
それに【河村官房長官発言】 、 「公明党に配慮する」
なんて言うが、公明党に配慮しないで要られないようでは、型が無い。それに「国民に配慮しない」なんていう気なのだから、何をか言わん。
こう言うことは、「世襲政界人」には、「引導力」もないから判らんだろう。
家電エコポイント、15日から適用 何に使えるかは未定(朝日新聞) - goo ニュース
”家電エコポイント”が開始されると、確かに買い控えは解消されるかもしれないが、その結果、お化け屋敷になりそうな気配がする。
新しい”家電製品”を購入した後に、いらなくなった古い製品は、ゴミになってしまうからだ。もちろん「リサイクル」にはなるにしても、そうして処理されるまでは山積みされ、悪くすると野積みにされて、雨ざらしになる。
その結果、環境汚染になる。
最も、商売上手がいるから、そういう旧製品は、低開発地域に輸出して儲けようとするかもしれない。
いずれにせよ、垂れ流しみたいになる。
そこに「引導力の無さ」が、ある。
”家電エコポイント”が開始されると、確かに買い控えは解消されるかもしれないが、その結果、お化け屋敷になりそうな気配がする。
新しい”家電製品”を購入した後に、いらなくなった古い製品は、ゴミになってしまうからだ。もちろん「リサイクル」にはなるにしても、そうして処理されるまでは山積みされ、悪くすると野積みにされて、雨ざらしになる。
その結果、環境汚染になる。
最も、商売上手がいるから、そういう旧製品は、低開発地域に輸出して儲けようとするかもしれない。
いずれにせよ、垂れ流しみたいになる。
そこに「引導力の無さ」が、ある。
子供の提供解禁に賛否 臓器移植法改正へ識者質疑(産経新聞) - goo ニュース
こう言う議論者が、自分の子や孫たちを臓器提供者にする、そういう意思がまず「あるか」が重要な事だ。
「人の子」の事なら賛成、しかし「自分の子」が臓器提供するということになると尻込みするのでは、「臓器闇売買斡旋」が介在するようになる。
臓器移植を待つ人も、提供者の「死」を待たなければならない。それは、翻って、自分の「死」を見詰めなければならない事を意味する。
お互いのこうした「死」というものを見詰める時、誰しもがいつか訪れる「死」と向き合わなければならない。「死」と向き合えば、臓器移植云々ではなくなるだろう。
「死」と真剣に向き合えないから、迷いが生まれる。この迷いがあるが為に、「引導力」は、育たない。
こう言う議論者が、自分の子や孫たちを臓器提供者にする、そういう意思がまず「あるか」が重要な事だ。
「人の子」の事なら賛成、しかし「自分の子」が臓器提供するということになると尻込みするのでは、「臓器闇売買斡旋」が介在するようになる。
臓器移植を待つ人も、提供者の「死」を待たなければならない。それは、翻って、自分の「死」を見詰めなければならない事を意味する。
お互いのこうした「死」というものを見詰める時、誰しもがいつか訪れる「死」と向き合わなければならない。「死」と向き合えば、臓器移植云々ではなくなるだろう。
「死」と真剣に向き合えないから、迷いが生まれる。この迷いがあるが為に、「引導力」は、育たない。
林被告の死刑確定へ=発生から11年、上告棄却-和歌山毒物カレー事件・最高裁(時事通信) - goo ニュース
また、騒がしい。
こういう様な事があると、「ワーッ」と騒がしくなる。まるで、また「北朝鮮がロケット発射」したみたいに、喚きふためいている。
裁判でこんな判決が出ようと、被告が罪状を否認したままでいようと、「毒物カレー事件が発生した」という事実は、ある。と同時に、そうした事件が起こったという社会環境があるという、事実もある。
だから、この裁判の事や被告の事であれこれ騒いだとても、この元になっているともいえる「社会環境」の改善や是正をしようともしないで、ただいたずらに騒げばよいというものでは無い。
今日の社会は、この裁判で見られるような事件や通り魔事件、幼児殺害事件、そうした忌まわしい事件ばかりでなく「少子高齢化社会」の進行に伴う色々な問題や格差社会から、非常に大きな歪みに歪んでいる。
この歪んだ社会を改善し是正しなければならないのだが、政策責任者たちは「景気拡大、経済成長」ばかりに熱心になっている。
まるで「内懐に爆弾だかえ」て、それは「不発弾」をそのままに、その上に豪邸を建てようとしているようなものである。
何はさて置き、不発弾の処理を最優先すべきなのに、豪邸を建てれば、不発弾は独りでに処理されると思っているらしい。
「景気拡大、経済成長」というけれども、人間というものは、豊かになると働かないようにできている。働くのは、貧しいからだ。貧しいからこそ、働く。
経済学者は、経済は「供給と需要によって決まる」と言っているらしいが、これは間違っている。
無論、こう言うのは私の素人論だが。
いずれにせよ、社会の安定が無ければ、いつまでも爆弾を抱えたままになる。どんなに豪邸に住んでいても、家庭内がもみくちゃになっていては、自慢にもなりはしない。
社会の改善と是正を優先する、「引導力」が求められる。
また、騒がしい。
こういう様な事があると、「ワーッ」と騒がしくなる。まるで、また「北朝鮮がロケット発射」したみたいに、喚きふためいている。
裁判でこんな判決が出ようと、被告が罪状を否認したままでいようと、「毒物カレー事件が発生した」という事実は、ある。と同時に、そうした事件が起こったという社会環境があるという、事実もある。
だから、この裁判の事や被告の事であれこれ騒いだとても、この元になっているともいえる「社会環境」の改善や是正をしようともしないで、ただいたずらに騒げばよいというものでは無い。
今日の社会は、この裁判で見られるような事件や通り魔事件、幼児殺害事件、そうした忌まわしい事件ばかりでなく「少子高齢化社会」の進行に伴う色々な問題や格差社会から、非常に大きな歪みに歪んでいる。
この歪んだ社会を改善し是正しなければならないのだが、政策責任者たちは「景気拡大、経済成長」ばかりに熱心になっている。
まるで「内懐に爆弾だかえ」て、それは「不発弾」をそのままに、その上に豪邸を建てようとしているようなものである。
何はさて置き、不発弾の処理を最優先すべきなのに、豪邸を建てれば、不発弾は独りでに処理されると思っているらしい。
「景気拡大、経済成長」というけれども、人間というものは、豊かになると働かないようにできている。働くのは、貧しいからだ。貧しいからこそ、働く。
経済学者は、経済は「供給と需要によって決まる」と言っているらしいが、これは間違っている。
無論、こう言うのは私の素人論だが。
いずれにせよ、社会の安定が無ければ、いつまでも爆弾を抱えたままになる。どんなに豪邸に住んでいても、家庭内がもみくちゃになっていては、自慢にもなりはしない。
社会の改善と是正を優先する、「引導力」が求められる。
エコカー買い替え「今がチャンス!」…試乗会で麻生さん(読売新聞) - goo ニュース
私は障害者でもあるので免許を持っていないが、家族は「エコカー買い替え」を希望している。「エコカー」ばかりでなく、「太陽光発電施設」や、「省エネエアコン、冷蔵庫、液晶テレビ」など、補助が付くものは買い替え、欲しいものばかりだ。
しかし、である。
いくら補助が付いても、「自己負担金」となる「お金」が無い。だから、いくら「チャンス・・・」といわれても、貧乏人達は、「指をくわえ」ているしかない。
いくら「エコポイント」が付くといわれても、である。
まるでこういう仕組みは、富裕族のためのものであって、貧乏人を羨ましがらせ、ねたまらしがらせ、コケにしているようなものである。
政策責任者の視線は、下々の方を向いていない。
そこに「引導力」の無さ、がある。
笑顔振りまきフル回転=五輪招致へ並々ならぬ意欲-IOC評価委視察で石原都知事(時事通信) - goo ニュース
皆さん、よく判りましたか ?
一頃「非正規社員、派遣社員」などが解雇されて人々を雇用救済を叫んでいたり、「妊婦救急たらい回し死亡事故」や、「年金問題、後期高齢者医療問題」などに取り組む姿勢を見せていたが、そういうことにもっと資金をつぎ込まないで、「オリンピック」につぎ込もうとしています。
それも「東京一極集中」みたいなもので、ますます地方との格差が広がります。
こう言う風に、政治や官界は「引導力」を見せません。
覚悟しなければならないようです。
皆さん、よく判りましたか ?
一頃「非正規社員、派遣社員」などが解雇されて人々を雇用救済を叫んでいたり、「妊婦救急たらい回し死亡事故」や、「年金問題、後期高齢者医療問題」などに取り組む姿勢を見せていたが、そういうことにもっと資金をつぎ込まないで、「オリンピック」につぎ込もうとしています。
それも「東京一極集中」みたいなもので、ますます地方との格差が広がります。
こう言う風に、政治や官界は「引導力」を見せません。
覚悟しなければならないようです。
中川前財務相「核には核で」(産経新聞) - goo ニュース
この人が、
「純軍事的に言えば核に対抗できるのは核だというのは世界の常識だ」と述べ、日本として核武装を議論すべきだとの考えを表明した。
こんな事を言うのは、実体性を知らない事にある。
尤も、こうしたことは、この人に限らない。「防衛力増強」とか「自衛」とか言うものの、尤も恐るべき相手がいるのを知らない。その「尤も恐るべき相手」に対して、私達はどれほどに無力なの者でしかない、という事に気が付かない。
だからこんな事を、言っていられる。
「もっとも恐るべき相手」とは、どういう相手かというと、それは誰にでも必ず訪れる「死」である。
この「死」に対する、心構えを持っていないから、「核に対して核を」なんて言っていられる。
そうしていられるのは、「引導力」を、持てないからである。
では「引導力」とは・・・・・
この人が、
「純軍事的に言えば核に対抗できるのは核だというのは世界の常識だ」と述べ、日本として核武装を議論すべきだとの考えを表明した。
こんな事を言うのは、実体性を知らない事にある。
尤も、こうしたことは、この人に限らない。「防衛力増強」とか「自衛」とか言うものの、尤も恐るべき相手がいるのを知らない。その「尤も恐るべき相手」に対して、私達はどれほどに無力なの者でしかない、という事に気が付かない。
だからこんな事を、言っていられる。
「もっとも恐るべき相手」とは、どういう相手かというと、それは誰にでも必ず訪れる「死」である。
この「死」に対する、心構えを持っていないから、「核に対して核を」なんて言っていられる。
そうしていられるのは、「引導力」を、持てないからである。
では「引導力」とは・・・・・
★ 昼下がり いこいの道を 竹田郷(さと)
清き山里 花に包まれ
2009/4/20
★ ちらほらと 花びら散るる ひと時に
竹田の郷は 緑も深く
2009/4/20
上記の二首は、里の桜は散ったが、ディサービスセンターから約七キロほど山の中の、同じ町域にレクリエーションで花見に行くと、山里の「しだれ桜」は、今満開。
毎日毎日、やたらと「今日は何の日?」と言う。
それは「国民の祝日」に始まって、「何とかの記念日」に、そして日付の語呂合わせの、「耳の日」とか「虫の日」というという具合に続き、更に西暦も2009年にもなると、これまでの歴史上にあったことを持ち出して「何年前の今日はこう言うことが・・・・」と言う具合になる。
これ等は言ってみれば、休日として楽しむための日とか、または欲を満たすためとか楽をするというようなものみたいな感覚に使っているように思える。
と言うと、僻(ひが)んだ言い方になるかもしれないが、こういう言い方をするのは、こういう日の中に、私達にとって大切な事ともいえる「自分の心を見詰める日」というものが無いからである。
私達は、時には静かに「自分の心を見詰める」という事も、大切だろう。
ことに現在は、情報過多気味で、四六時中何らかの過剰な刺激にさらされている。それは「映像」として、「音楽」や「音」として、そして「匂い、味、感触」にさらされるばかりでなく、マスコミ媒体によって押し付けられてもいる。
私達は、それらのものによって振り回され、安穏として静かに我が心を見詰める事も、省み反省する事も、懺悔する事もできないでいる。
これ等は、科学技術の発達によってであり、はたまた教養の上昇によるものでもあるとも言わなければならない。
こうした中で、心静かに「自分の心を見る日」があって欲しいものなのだし、一時の時間もあって欲しいものである。
しかし今日の子供でさえも、テレビを見ながらとか、音楽を聞きながら勉強している。
もっと世の中、静かにさせてやったら・・・・・
そして「景気拡大、経済成長」という事よりも、人間成長に大切な「自分の心を見る」という事の、「心を省み反省し、懺悔する」という時と時間を与えてやって・・・・
それは「国民の祝日」に始まって、「何とかの記念日」に、そして日付の語呂合わせの、「耳の日」とか「虫の日」というという具合に続き、更に西暦も2009年にもなると、これまでの歴史上にあったことを持ち出して「何年前の今日はこう言うことが・・・・」と言う具合になる。
これ等は言ってみれば、休日として楽しむための日とか、または欲を満たすためとか楽をするというようなものみたいな感覚に使っているように思える。
と言うと、僻(ひが)んだ言い方になるかもしれないが、こういう言い方をするのは、こういう日の中に、私達にとって大切な事ともいえる「自分の心を見詰める日」というものが無いからである。
私達は、時には静かに「自分の心を見詰める」という事も、大切だろう。
ことに現在は、情報過多気味で、四六時中何らかの過剰な刺激にさらされている。それは「映像」として、「音楽」や「音」として、そして「匂い、味、感触」にさらされるばかりでなく、マスコミ媒体によって押し付けられてもいる。
私達は、それらのものによって振り回され、安穏として静かに我が心を見詰める事も、省み反省する事も、懺悔する事もできないでいる。
これ等は、科学技術の発達によってであり、はたまた教養の上昇によるものでもあるとも言わなければならない。
こうした中で、心静かに「自分の心を見る日」があって欲しいものなのだし、一時の時間もあって欲しいものである。
しかし今日の子供でさえも、テレビを見ながらとか、音楽を聞きながら勉強している。
もっと世の中、静かにさせてやったら・・・・・
そして「景気拡大、経済成長」という事よりも、人間成長に大切な「自分の心を見る」という事の、「心を省み反省し、懺悔する」という時と時間を与えてやって・・・・