青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

人生は演技ではない

2009年04月06日 | 人生設計
中村雅俊が涙の謝罪会見「役者辞めさせる」(サンケイスポーツ) - goo ニュース

演芸とか演劇界、それにタレントとか俳優や役者などがもてはやされているけれども、「人生は演芸」ではない。「演技」などで表せるものではない。

「演芸」とか「演技」などで表そうとするのは、それは「ごまかし」といわなければならない。
自分が成さなければならない事をなおざりにしていて、他のこと、「演技」とか「技能」とかで補おうとしている。
現実に、その「ごまかし」が、真摯なまでに姿を現している。
それは、「ごまかし」ていることを気付かせるためだが、涙を流していたとて、「人生の在り方」に気が付かなければ、又「ごまかし」になる。
「ごまかし」を改めるには、「信仰」しかない。
「信仰」を知らずして、人足り得ない。
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青い鳥の短歌 十五、

2009年04月05日 | 短歌に政治や社会
★ ロケットに うろたえ騒ぐ 人間に
      犬猫鳥を 春はうららに         2009/4/5


人間なんて、どんなに偉そうにうぬぼれて、生意気言っていても、いざとなるとこんなにも根性は「ちいせぇ、ちいせぇ」

もっと「どしりっ」と落ちつかなけば・・・・
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宣戦布告なき開戦

2009年04月04日 | 短歌に政治や社会
「勘違い」伝達、誤発表に=速さ重視、確認追いつかず-防衛省(時事通信) - goo ニュース

一国の宰相(首相)たるものが迷走し、ダラダラしているものだから、国内がこういうことになる。
政府とか行政府や、知識人やマスコミメディアまでもが、今の状態が、一体どういう状態なのか把握していない。
情けないものだ。

北朝鮮は、その通告や発表しているのは、「ロケットで人工衛星を打ち上げる」という事なのである。
「ミサイルを発射する」とは、一言も言っていない。
それにもかかわらず、我が国などは大騒ぎしている。

このプログで、よく「母国語の大切さ」を説いているが、この北朝鮮の発表の意味が、政府にも行政者にも知識人にも、マスコミメディアにもよくわからないらしい。
北朝鮮が言っているのは、言ってみれば「お宅の家の前を、車で通らせてもらいますよ」という事なのである。
ところが我々はそれを、「車を家にぶつけられる」と勘違いして、迎撃ミサイルをぶっ放して破壊しようとしている。
本当に迎撃ミサイルを発射し、迎撃したらどうなる。それは国内法で言えば「器物損傷」を行うことを意味し、国際法で言うと、「宣戦布告なき開戦」にあたる事になる。
まるで今は戦争状態にあり、戦時下にあるような事態にあることを思わせる。

尤も我が国は敗戦という忌まわしい経験をしたけれども、愚かしい事に「国防、防衛」を名目に再軍備し、自衛隊を組織して再び国や国民を戦時下に置いた。
一方では政権を投げ出した元首相なんかが「愛国心」とか「美しい国」とか言って、「改正教育基本法」を制定するのに躍起になったが、子育てするにはこのように「猜疑心、不安感、恐怖感」などを持ってあたっては、気持ちの落ち着いた人間として成長するはずがないだろう。

北朝鮮がロケットを発射するなら、家の前を車が通るように「どうぞ」とゆとりある心で言ってあげるべきではないか。または対岸の花火を観賞する気分になって。

そういう「ゆとり」がないから、「誤報」を出して世界の笑いものになる。

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逆、「おくりびと」

2009年04月03日 | 短歌に政治や社会
反対派住民が斎場封鎖、ガラス戸破損容疑で逮捕者も…高岡(読売新聞) - goo ニュース

アカデミー賞受賞作品である「おくりびと」という作品は、今日ちょっとした話題をさらっていた。
私などは車椅子生活者だから観劇に言ったことは無いが、解説記事などでうわさを聞いている。そして「何故こう言う作品」に、根がひねくれ者だから、人々が感動したり感激するのか不思議に思えて仕方がなかった。

現実にこう言うニュース記事に接すると、まったく「おくりびと」の作品を賞賛している人達は「おめでたい、お人よし」な人々だと感じてしまう。
どんなに亡き人に尊厳を持っても、斎場で埋葬するのは、近いところではできなくなっている。
近くに斎場があると、みんな嫌がるからだ。それで遠地の斎場へ「お願い」という事になるが、そこの地域も「近くに斎場があってはたまらない」という。

今後は亡くなられて遺体となっても、そのままに置かれざれざるを得なくなるかもしれなくなる。あるいは、「ゴミ袋に入れて・・・・」なぞとーーーー。
そうすると「遺体遺棄」という罪になると、遺体の行き場がなくなってくる。

こうして「逆、おくりびと」になる。
人々の「エゴ」ばかりにより、折り合いや譲り合いが付かないままに、人々の「心」ばかりが荒んでゆく。
「おくりびと」というような作品に見入るよりも、現実を直視して、正しき人の歩みの道を探していったほうが大切だろう。
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青い鳥の歌詞 三十五、

2009年04月02日 | 作詞

春に咲く花は     2009/3/30

春の 川辺に 咲く花は
そーっと ささやく スミレなら
昔日 忍ぶ 思い出に
振り返り みつる 懐かしさ


春の 野原に 咲く花は
静かに ほおえむ レンゲなら
きずな 広がる 豊かさに
愛おし 君の 面影も


春の 田畑に 咲く花は
明るく 歌う 菜の花なら
集う 我らの 仲間たち
みな共に 行こうと 立ち上がる


春の 小道に 生えるのは
元気に がんばる つくしなら
つらさ 悲しさ 乗り越えて
崩れぬ 勇気を 灯火に

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