本能寺の跡の石碑を見学した後、ある町屋の前を通り掛かりました。
野口家は代々呉服商を営んできた旧家である。現在の主屋は、元治元年(1864)の大火後に再建されたもので、店舗棟と奥の居住棟を玄関棟で接続した「表屋造り」の形式となっている。
主屋の表構えは、店舗棟の北側に高塀を接続させた構成である。
内部では特に座敷が注目される。野口家文書によると、座敷はもと伏見の小堀屋敷にあったとされるものを、明治4年(1871)に伏見の豪商松屋彦兵衛から購入、移建したもので、十二畳半の主室と次の間から成る。
主室は一間半の床の間と一間の違い棚を備え、端正ななかに洒落た数奇屋風書院の構えをもち、長押の釘隠し金物や天袋の引手金具の意匠に、小堀遠州との関わりの深さを思わせる。
この住宅は京町家の典型例の一つとして貴重であり、昭和58年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。(案内板より)
何となく歩いていても、京の町は史跡に巡り会えますね。
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野口家は代々呉服商を営んできた旧家である。現在の主屋は、元治元年(1864)の大火後に再建されたもので、店舗棟と奥の居住棟を玄関棟で接続した「表屋造り」の形式となっている。
主屋の表構えは、店舗棟の北側に高塀を接続させた構成である。
内部では特に座敷が注目される。野口家文書によると、座敷はもと伏見の小堀屋敷にあったとされるものを、明治4年(1871)に伏見の豪商松屋彦兵衛から購入、移建したもので、十二畳半の主室と次の間から成る。
主室は一間半の床の間と一間の違い棚を備え、端正ななかに洒落た数奇屋風書院の構えをもち、長押の釘隠し金物や天袋の引手金具の意匠に、小堀遠州との関わりの深さを思わせる。
この住宅は京町家の典型例の一つとして貴重であり、昭和58年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。(案内板より)
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