滋賀県草津市の鞭崎神社の創建は白鳳4年(676)、大中臣清麿が天武天皇の勅命により勧請したのが始まりと伝えられています。
当初は矢橋八幡宮と称していましたが建久元年(1190)、源頼朝が上洛の際、矢橋の浦から鞭にて神社の森を指し、村人に当社の事を尋ねた故事から鞭崎八幡宮と称するようになりました。
以来、頼朝は当社を深く崇敬し建久3年(1192)には社領を寄進し社殿を造営していました。
現在の表門は、元々、膳所城の南大手門として建てられたもので、明治4年(1871)に膳所城が廃城になった際、当社に移されました。
この表門は、高麗門、切妻、本瓦葺、江戸時代初期の城門建築の遺構として大変貴重な存在で、国指定重要文化財に指定されています。
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