園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山で、山号は長等山(ながらさん)。三井寺という通称を持ちます。
起源は、壬申の乱(672年)に敗れた大友皇子の子である大友与多王が、父の菩提を弔うため、「田園城邑(でんえんじょうゆう)」を寄進して寺を創建し、この文字にちなんで、天武天皇から「園城」という勅額を贈られたとされています。
また、三井寺の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったといいます。
大門(重文)
仁王門とも呼ばれます。入母屋造の楼門で、もとはの常楽寺(滋賀県湖南市)にあった門を慶長6年(1601年)、徳川家康が寄進したものです。
食堂(釈迦堂)(重文)
天正年間に造営された御所の清涼殿を下賜され、移築したものと伝えられています。
金堂(国宝)
三井寺再興を許可した豊臣秀吉の遺志により、高台院(北政所)が慶長4年(1599年)に再建した入母屋造、檜皮葺きの和様仏堂。
鐘楼(重文)
金堂の左手前にあり、「三井の晩鐘」で知られています。
この梵鐘は慶長7年1602年)の鋳造で、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘に数えられています。
今回、merryさんの提案で、この鐘楼をつかせていただきました。
ちなみに、東京の増上寺は、2000円だそうです(^_^;)
それの比べると、300円とは安いですね~
閼伽井屋(あかいや、重文)
慶長5年(1600年)、金堂と同じく北政所によって建立されました。
閼伽井屋の正面には、左甚五郎作と伝えられる龍の彫刻があり、堂内には三井寺の名の由来となった霊泉が今も音を立てて湧いています。
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起源は、壬申の乱(672年)に敗れた大友皇子の子である大友与多王が、父の菩提を弔うため、「田園城邑(でんえんじょうゆう)」を寄進して寺を創建し、この文字にちなんで、天武天皇から「園城」という勅額を贈られたとされています。
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大門(重文)
仁王門とも呼ばれます。入母屋造の楼門で、もとはの常楽寺(滋賀県湖南市)にあった門を慶長6年(1601年)、徳川家康が寄進したものです。
食堂(釈迦堂)(重文)
天正年間に造営された御所の清涼殿を下賜され、移築したものと伝えられています。
金堂(国宝)
三井寺再興を許可した豊臣秀吉の遺志により、高台院(北政所)が慶長4年(1599年)に再建した入母屋造、檜皮葺きの和様仏堂。
鐘楼(重文)
金堂の左手前にあり、「三井の晩鐘」で知られています。
この梵鐘は慶長7年1602年)の鋳造で、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘に数えられています。
今回、merryさんの提案で、この鐘楼をつかせていただきました。
ちなみに、東京の増上寺は、2000円だそうです(^_^;)
それの比べると、300円とは安いですね~
閼伽井屋(あかいや、重文)
慶長5年(1600年)、金堂と同じく北政所によって建立されました。
閼伽井屋の正面には、左甚五郎作と伝えられる龍の彫刻があり、堂内には三井寺の名の由来となった霊泉が今も音を立てて湧いています。
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