多賀町楢崎高源寺は、鎌倉時代に創建され、もとは天台宗に属し、十福寺と呼ばれていました。
総門
石田三成の居城・佐和山城の裏門を移したものだそうです。
近江源氏・佐々木氏の四天王の一人として活躍した楢崎氏の菩提寺として創建されたたものとされています。
織田信長によって、佐々木氏が滅亡するや楢崎氏もこの地を離れ、それ以後廃寺になりました。
その後、彦根藩主井伊家の家老の脇家、宇津木家の両家によって再興され、両氏の院号にちなんで、天徳山高源寺とし、臨済宗妙心寺派に属し、現在に至っているとのこと。
最盛期には、書院三十坪、仏殿二十五坪、奥殿三十坪、禅堂三十二坪などを要する大寺院で、湖東における名刹でしたが、明治9年(1876)火災により、総門以外の伽藍はすべて灰となってしまいました。
その後、明治14年(1881年)多賀から正覚院・般若院・不動院が移されて再建されました。
多賀観光協会HP参照
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