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京都市右京区太秦蜂岡町にある広隆寺は、 渡来人系の氏族である秦氏の氏寺で、平安京遷都以前から存在した京都府下最古の寺院とされています。
本尊は聖徳太子、国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られています。
蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれています。
楼門(南大門)
元禄15年(1702年)建立と伝わります。
楼門を入り、参道を進むと、右手に講堂、左手に薬師堂などがあります。
講堂(赤堂、重要文化財)
永万元年(1165年)再建。正面5間、側面4間、寄棟造、本瓦葺き。瓦銘や近世の絵図によれば元は「金堂」と呼ばれていた[16]。京都市内に残る数少ない平安建築の一つであるが、永禄年間(1558年 - 1570年)に改造を受け、近世にも修理を受けていて、建物の外観や軒回りには古い部分はほとんど残っていない。堂内は敷瓦を敷いた土間とし、正面柱間は中央3間を吹き放し(壁や建具を入れない)、左右端の間は花頭窓入りの土壁とする。堂内には平安時代の様式が見られ、身舎(もや)は梁行方向に虹梁(こうりょう)を2段に掛け、板蟇股(いたかえるまた)を置いた二重虹梁蟇股とし、天井板を張らない化粧屋根裏とする点が特色である。内陣には中央に本尊阿弥陀如来坐像(国宝)、向かって右に地蔵菩薩坐像(重要文化財)、左に虚空蔵菩薩坐像(重要文化財)を安置する。一般拝観者の入堂はできず、堂外からの拝観になる。(Wikipediaより)
薬師堂
木造薬師如来立像(平安時代前期、像高101.3センチメートル)を安置する。通常の薬師如来像と異なり、女神の吉祥天像のような像容に造られた吉祥薬師像である(Wikipediaより)
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