日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

日比谷公園・日比谷見附跡

2014-05-26 | 史跡


日比谷公園は、1903年に開園したドイツ式庭園で、以前は、長州藩毛利家上屋敷・佐賀藩鍋島家の跡で、明治の火災で焼失したのち、陸軍練兵場となっていました。



今では高層ビルの谷間の市民の憩いの場となっていますが、その中に史跡も残されています。



日比谷交差点の有楽門から入るとすぐに左手の石垣と池が見えます。

日比谷見付跡





日比谷見付跡は、江戸城の見附のひとつで、日比谷御門があったところです。日比谷御門は城の外側から順に、高麗門・枡形・渡櫓・番所が石垣で囲まれていましたが、それらは明治初期に撤去され、現在は石垣の一部が残っています。

心字池







日比谷公園ができるまでは、濠になっていましたが、公園造成の際に心字池としてその一部が残されました。

池のほとりに、伊達正宗終焉の地の案内板があります。



ここは、初代仙台藩主 伊達政宗が七十年の生涯を閉じた仙台藩上屋敷があったところで、政宗が1601年に徳川家康から江戸城に近い外桜田に江戸屋敷を与えられ、1661年まで伊達家の上屋敷として使用されていたことや、政宗が家康、秀忠、家光の三代の将軍をこの屋敷でもてなしたとのことです。

ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m



にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ


コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 南町奉行所跡 | トップ | 毛利庭園 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
伊達政宗の終焉の地! (willy_tsuguo_shikata)
2014-05-28 17:43:14
2年前しずかさんのアドバイズで江戸城を見て回ったのですが心字池も見た覚えがありますが、「伊達政宗の終焉の地
駒札」は覚えていません。
返信する
四方さんへ (しずか)
2014-05-28 20:04:08
この駒札は、日比谷公園に今年の4月に設置されたそうです。
まだ新しいのですね!
返信する
Unknown (willy_tsuguo_shikata)
2014-05-29 03:32:34
駒札が読めません!
小生は通常3500ピクセルのものをJTIMで700~1,000ピクセルにして入力すると自動的に入力され、画像をクリックすると700~1000ピクセルの画面がでて来て読める読めますよ。
返信する
四方さんへ (しずか)
2014-05-29 11:11:22
伊達正宗終焉の地の駒札は、光が反射してしまい、うまく写せなかったので、説明を抜粋しました。
時々こういうことがあります(^_^;)
返信する
撮影! (willy_tsuguo_shikata)
2014-05-30 03:40:28
黒・白の大理石の碑文やガラスで囲まれた仁王像、このように反射している駒札の撮影は難しいですね!
返信する
四方さんへ (しずか)
2014-05-30 23:36:37
せっかく見つけて写したのに残念です('_')
返信する

コメントを投稿

史跡」カテゴリの最新記事