みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

とりかえしがつくとかつかないとか

2014年10月20日 00時38分10秒 | みう
こんばんにゃ

先日、とんでもない醜態をさらしてしまった。
そいで、自己嫌悪の日々。

嫌われちまったかなぁ
とか、
もう二度と会いたくないと思われてるに違いない
とか。

で、人生にやり直しは利かないわけで、
せめて、取り返したいなと。

どう謝ろうかとか、
謝罪なんて自己満足だとか、
謝るってことは蒸し返すってことで、逆に嫌がられるかもとか、
言い訳したいとか、
言い訳しようとすると、誰かの悪口になりそうで嫌だとか、
まあ、悶々としてます。

ただ、
「とりかえしがつくか否か」ってのは、
事後、謝るのか、言い訳するのか、あえて流すのか とか
どう、謝るのか、言い訳するのか、あえて流すのか とか
じゃないなと思った。

もちろん、事後、どう、謝るのか、言い訳するのか、あえて流すのか
とかも大事だけど、それ以上に、
それまでの自分ってのが大事かなと。

自分に置き換えて考えてみたのだけど、
誰かにすごく嫌なことされたり、
嫌な面を見ちゃったとき、
それを許したり、流したりできるかって、
それまでの相手次第だなと。

それまでに信頼してる相手だったら、何かあったとき、
その瞬間は「なんだよ!」「この野郎!」「ひどい!」
って思っちゃうかもしれないけど、
その後で「何か事情があったんだろう」
って思う。

でも、前々からビミョーって思ってた相手だったら
あとでどれだけ謝罪や言い訳をしてもらっても、
表面は「わかったよ」「気にしなくて大丈夫だよ」って言えても、
心の中では、距離ができちゃうかもしれない。

極端な話、
信頼してる相手が犯罪を犯しても親身になれる。
けど、
そうじゃない相手が同じことしてたら、ひく。
みたいな?

もちろん事後対応も大事だけどね。


だから、今回の自分の大失態が許されるか否かは、
それまでの自分にかかってるのかも知れない。

もし許してもらえなかったのなら、それまでの自分に問題があったのだと思う。

それはそれで悲しいにゃあ