みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

パレスチナ の ヘブロン

2018年12月29日 23時00分11秒 | イスラエル・パレスチナ 2018年末~2019年始

年末年始のイスラエル・パレスチナ旅行旅3日目はヘブロン(アル・ハリール)旧市街がメインでした。

女性、一人旅、自由旅行、英語話せない、地球の歩き方に詳細が載ってないetc...
というグダグダ感ですが、出発前には海外渡航情報の危険度もランクも下がっていたので、訪問することができました。



ヘブロンはパレスチナ自治区にありつつ、現在はイスラエルの支配下にあるといって差し支えない感じです。



ヘブロン旧市街はユダヤ教とイスラム教とキリスト教の聖地で、ヘブロンにある「マクペラの洞穴(といっても洞穴じゃなくて大きな建物)」はユダヤ教とイスラム教、両方の礼拝所になってます。
自分はユダヤの安息日である土曜に行ったので、イスラム教側にしか入れませんでしたorz



マクペラの洞穴では、
1929年には暴徒化したアラブ人によるユダヤ人虐殺があったり(67名が死亡。でも、そのうちの55名はヨーロッパ人。生存した435名のユダヤ教徒は地元ムスリムに匿われて助かったらしい)、1994年にはユダヤ教過激派による銃乱射事件で29人のパレスチナ人が死亡したり、近現代でも民族・宗教の衝突の舞台になってます。(wikiなどより)



その時々で街のギスギス感などに波はあったようですが、2017年7月にパレスチナの申請で世界遺産(&危機遺産)に登録されたことにより、イスラエル側はガチ切れし、一気に緊張感が高まり、最新の歩き方では「危ないから情報載せません」となっていましたが、自分が行く時期には海外渡航情報も薄いオレンジに引き下げられていたので、訪問することができました。



ヘブロン旧市街にたどり着くまでには本気迷子になったり、なんやかんやてんやわんやでしたが、なんとか旧市街にたどり着きくことができました。
現地の方とお話ししたり、ガイドツアーにも参加できたりで勉強してきたことを、少しだけ(?)アウトプットさせて下さい。

キレイな写真もないし、既知の内容もあるかもですが、興味を持ってもらえたら嬉しいです。

ガイドさんはヘタレな自分にも根気よく説明してくれて、他のツアー参加者さんも言い回しを変えて伝えてくれたり、おんぶに抱っこでホントにゴメン。
でもありがとう。

パレスチナ側のみの言い分で、聞き間違いや勘違いもあると思われますが、よろしくです。

―――――

パレスチナ自治区のヘブロンには、現在約20万人のパレスチナ人が暮らしているが、その旧市街を中心に、約400人のユダヤ人入植者が住んでおり、彼らを保護するために5000人のソルジャーが投入されているそうです。
(20万人を2000人と聞き間違えたのは私ですorz)



自分がヘブロンを訪れたときは、入植者たち(ユダヤ系一般市民)の半数程度がアサルトライフルを携行していました。
その銃の入手経路を聞くと、身を守るためという名目で、イスラエル政府から支給されているとのこと。
当然と言えば当然かもですが、ヘブロン旧市街でパレスチナ系と思しき人物が銃を持っているところは一度も見かけませんでした。



ヘブロンはユダヤ教の4大聖地の一つなので、イスラエル政府は聖地奪還(というか占領?)のためにユダヤ人の入植を進めており、入植者には政府からの補助金も支給されているとのこと。(金額は聞き損ねた)
ここに入植してくるユダヤ人が、政府と同じ気持ちだけで引っ越してくるのか、+αの事情があるのか、自分には確かめようもありません。



入植はユダヤ人の人口を増やすだけでなく、パレスチナ人を追い出すという目的もあるそう。
入植者の安全のためという理由で、新たにユダヤ人が住みはじめた家の周辺のパレスチナ人を強制退去させたりもしているとのこと。
また、強制退去を仕掛けられるまでもなく、あまりの暮らし難さに耐えかねて(謎のルールや嫌がらせがあるため)、自主的に退去するパレスチナ人も少なくないそう。
つまり、今も住み続けているパレスチナ人というのは、強い意志のもとに残っているか、引っ越したくても引っ越せない事情がある人たちなのです。



そんな彼等が、こんな大変な時に、のんきに街を訪れる観光客に対してどう思っているのか気になったけど、どうやらありがたい存在らしい。
ソルジャーや入植者が酷いことをしないように、国連の見回り?的なものもあるけれど、それだけじゃ不十分。
でも、外部の目があるときは、ソルジャーもあまり攻撃的なことはできないので、そんな時に観光客の存在は心強いので、ウェルカムってことみたいです。



ベツレヘムやエズレル平野では、バスターミナルや、町の入り口にあったチェックポイント(鉄の回転扉などによる関所。基本的に身分証明書の提示が求められるが、旅行者は顔パスの場合もある)ですが、ヘブロンの旧市街では街中のいたるところにあり、生活の場を細切れにしていました。



見張り台のような場所も沢山あり、その上には目出し帽で顔を隠した狙撃手たちが待機していましたが、自分と目が合うと、皆一様に顔をそらしたり、奥に隠れたり。
(写真を撮る勇気は無かった)



旧市街では、大きな通りはパレスチナ人は通行禁止とか、パレスチナ人は車両不可という一方的なルールが、入植者の安全のため(?)ということで徹底されています。
さらに、広い通りにつながるゲートは、夜間は完全閉鎖となり、旧市街のパレスチナ人は街から容易に出られなくなります。



丸腰のパレスチナ人を呼び止めて、ボディチェックをすることも日常茶飯事。(って、言ってるそばからやってた)



また、法律(?)とかとは別に、嫌がらせも沢山あるそう。
屋上の水タンクは、ところどころ銃で穴が開けられている。
アーケードの上からはゴミや石や汚物や熱湯を落とされる。
通りをゴミや有刺鉄腺で塞いでしまう。
パレスチナ人の子供が通う学校に石を投げつける。
など。


―――――

やってることはハッキリ言ってクソ。
って思う。
でも、イスラエル人もユダヤ人も嫌いにはなれなかった。

それは、ひとつには「イスラエル人」とか「ユダヤ人」という括りが何の意味も持たないと感じたから。

自分はこの短い旅で、イスラエル人の特徴や共通点を「イスラエル国籍の人」という以外、ついに見つけることが出来なかった。
とても多様な人たちが暮らしていて、街の空気の違いは感じても、いわゆる国民性のようなものは捉えられなかったし、それは「ユダヤ人」にも言えることだった。

また、ヨルダン川西岸では、行政権と警察権の実権を、イスラエルとパレスチナのどちらがどのように握っているかによってA、B、C地区に分かれており、抜け道で地区をグラデーションに跨いで行くと、チェックポイントを通らずに、いつの間にかイスラエル~パレスチナ間を移動できてしまい、そもそも自分が今どちらにいるのか、自分の隣にいる人がどちらの人なのか、分からなくなることもあった。

そしてもし「入植政策に積極的なユダヤ教徒のイスラエル人」と限定したとしても、当事者じゃない(ある意味で他人事な)自分としては、「何故こうまで」「何が彼らを」と思いを巡らす余裕があり、憎しみよりも憐れみのような気持ちが勝る。

ヘブロン旧市街では、ひとりで歩いてるユダヤ人を一度も見かけなかった。
彼らも怖いのかも。

チェックポイントの鉄格子をするりと通り抜ける猫。
分離壁と有刺鉄腺を悠々と越えていく渡り鳥。
それら当たり前の現象を眺めて
「まぁ、そう だよ な ぁ 」
と、納得しきれないままヘブロンを後にしました。

ここまで目を通してくれた方、ありがとうです。