みう と 青

みうと青の共同ブログ。
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パル散策/スラウェシ島@インドネシア⑥

2019年12月18日 09時41分00秒 | スラウェシ島@インドネシア 2019年9月
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9月18日(水) 旅6日目・前半

・パル散策



昨日10時間半かけて辿り着いたパルですが、16時前の飛行機で離脱なので、昼過ぎまで全力で散歩します。

歩き方では特にページを割かれていない街です。
当然いわゆる名所などはありません。
ただ、パルは1年の2018年9月28日、大きな地震と津波に見舞われました。
ニュースを覚えてる人も多いかもしれませんね。
自分も当初は国内線に乗るためだけにルートに組み込み、後からリサーチして、そのニュースを思い出しました。

当初はただの「比較的大きい町」くらいにしか捉えておらず、なんなら昼前に離脱も検討していましたが、知ってしまった以上、東日本大震災を経験したものとして、興味を抑えられませんでした。


パルを地図を見ると、粘土に指を突き刺したような深〜い入り江を有する街で、昨今の日本人ならば「ここ津波きたらヤバイな」って一瞬で察することができそうな地形です。
震災後まだ1年とのことで、宿とかインフラとかどうなってるか不明だし、お邪魔になるか?とかも不安で、回避も検討したけれど、結果的には行ってよかったと思います。

海に浮かぶモスクがあるって情報を得たので、観光に関しては「とりあえず、それさえ見られればいいかな~」くらいのテンション。

ただし、そのモスクの場所は分からなかったので「海まで出て見渡せば見つかるだろう」という、ゴラン高原(トランプ高原)での「草原を見渡せば戦車が見つかるだろう」のしくじりを全く教訓にしない激ゆるプランのみで散歩に出発。

そして、
●親切にしてくる人には気をつけろ。
●日本語を話す人には気をつけろ。
●️女は男に気をつけろ。
そんな注意書きを沢山見ていたし、ちゃんと気をつけてもいましたが、散歩中に出会った少し日本語を話す親切な兄さん・ナウファルさんのおかげで、一人でウロウロするよりも、ずっとディープな街歩きができました。

町の様子は、中心部はパッと見は普通で、いろんなお店が通常営業だったけど、ホテルの部屋のドアは地味に歪んでて、最初は鍵がかからなかったり、海に近い沿道の並木が若すぎて、枝が歩道に張り出してて通行の邪魔になってたり、海際の第4パル橋が壊れてて、海岸沿いを移動するにも内陸を大回りをしなくちゃいけなかったり、海岸から500m~1kmくらいまでの距離はかなり生々しいところも多かったりで、(言葉は悪いかもしれないけど)ある種の懐かしさを覚えた。
それは景色だけじゃなくて、パルはスラウェシ島で1番暑いんじゃないかっていう灼熱エリアだったけど、人々も灼熱だったからかなと。

「ちょいと日陰で休んでいきな」と声をかけてくれるオバちゃんたちの親切、相変わらず海辺で商売しているオジチャンたちのパワフルさ、なぜパルの被害がここまで甚大になったのかを図解までしてくれる兄さん、懐っこい子供達などなど、親切や情熱の温度が、旅やボラでお世話になった彼の地の人々とのシンクロ率高すぎ。
そいで、色々ゴチャマゼで胸がいっぱいになってる私を察して、逆に元気付けてくるパルピーポー。すごい。

一緒にお散歩してくれたナウファル兄さんが豪快に繰り返す「Still alive」は説得力がハンパなくて、ホントに印象的だった。

訪問者は震災当時(あるいは最後に見た報道)のタイミングで時が止まってて、神妙にしてなくちゃ的な思いにとらわれてしまうけど、日々やってくしかない現地の人たちの「進んでいく力」みたいなものを、とてもとても感じた。

来れてよかった!

人々


















被災地





















壊れた橋の上まで登ってみました。


名所と化した教会や海など。
(以前はビーチから橋で訪れる美しいモスクで、やはり名所だったそうです)








干潮時は歩いて中まで入れます。
漁場にしてる方もいました。








午後の移動は次の日記で。

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9月18日(火)パル散策などの費用
※とにかく暑いので、水やジュースが進みます

 ●ブランチ Rp10.000
  パルのソウルフード的なスープ
 ●ジュース2本 Rp16.000
  案内してくれた兄さんにもご馳走
 ●ジュース Rp7.000
  瓶入りのティーソーダ

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