社会人になってからよく聞く言葉、「本音と建前」。
私はこの言葉が嫌いだったりします
職場で「本音はどうなの」とか「本音を聞きたい」などと言われると、けっこううんざりとした気分になります。
その人が本心でどう思っているかなんて、なにも無理に聞き出すことはないのでは?と思います。
その人が話しても良いと思っているなら、会話の中で自然と本音が出るはず。
話さないということは、その人に話すのはまずいと思っているわけです。
”人の口に戸は立てられない”と言いますし、うっかり本音を話すとあっという間に広まってしまうということもあると思います。
そんなわけで、プライベートなら本音を話せても、やはり職場となるとそうそう話せないですね。
もう一つ、建前というのがあります。
本音では違うことを思っていても、建前上もっともらしいことを言わないといけないということです。
どうもこの建前にも魔力があるらしく、本音とセットでステータス代わりにする人もいるようです。
例えば、
「俺は建前では○○と言っているが、本音では△△と思っているんだ。苦労してるんだよ」
のような感じです。
そう喋る分には構いませんが、その後で
「で、お前の本音はどうなの?」
などと聞かれると、非常に困ります
この場合、その人の本音と全く違うことを言うと、後々まずいことになる可能性があります。
口では本音で語り合おうと言っていても、何だかんだで本音を聞いてカチンと来る場合があると思います。
一番良いのはそんなことを聞かないでほしいのですが、やはり世の中には詮索好きな人もいるわけで。。。
なので私は本音を話しつつも、ある程度相手の本音を尊重した意見、つまり本音のような建前を話すことがあります。
結局私自身、「本音と建前」を嫌いつつも、それを使わざるを得ないようです。
社会人というのは時として疲れるものですね。
私はこの言葉が嫌いだったりします
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職場で「本音はどうなの」とか「本音を聞きたい」などと言われると、けっこううんざりとした気分になります。
その人が本心でどう思っているかなんて、なにも無理に聞き出すことはないのでは?と思います。
その人が話しても良いと思っているなら、会話の中で自然と本音が出るはず。
話さないということは、その人に話すのはまずいと思っているわけです。
”人の口に戸は立てられない”と言いますし、うっかり本音を話すとあっという間に広まってしまうということもあると思います。
そんなわけで、プライベートなら本音を話せても、やはり職場となるとそうそう話せないですね。
もう一つ、建前というのがあります。
本音では違うことを思っていても、建前上もっともらしいことを言わないといけないということです。
どうもこの建前にも魔力があるらしく、本音とセットでステータス代わりにする人もいるようです。
例えば、
「俺は建前では○○と言っているが、本音では△△と思っているんだ。苦労してるんだよ」
のような感じです。
そう喋る分には構いませんが、その後で
「で、お前の本音はどうなの?」
などと聞かれると、非常に困ります
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この場合、その人の本音と全く違うことを言うと、後々まずいことになる可能性があります。
口では本音で語り合おうと言っていても、何だかんだで本音を聞いてカチンと来る場合があると思います。
一番良いのはそんなことを聞かないでほしいのですが、やはり世の中には詮索好きな人もいるわけで。。。
なので私は本音を話しつつも、ある程度相手の本音を尊重した意見、つまり本音のような建前を話すことがあります。
結局私自身、「本音と建前」を嫌いつつも、それを使わざるを得ないようです。
社会人というのは時として疲れるものですね。