今回ご紹介するのは「野分けのあとに」(著:和田真希)です。
-----内容-----
母への深く激しい怒りと憎しみから、気づいたときには食べることをやめていた。
すべてが、どうでもよかったのだ。
私を救い上げてくれたのは、西丹沢の厳しくも美しい自然と、確かな手応えをもたらす土だった。
精一杯にならなければ生きていけない農的暮らしは素晴らしかった。
そんな中でもいつも、母のことが重く引っかかっていた。
一生このまま、母を憎んだまま、私は生きていくのか……。
苦しみの果てに彼女が見いだした一筋の光とは。
第三回暮らしの小説大賞受賞作。
-----感想-----
この小説は名古屋駅の近くにある「ジュンク堂書店 名古屋店」で小説のコーナーを見ていた時、綿矢りささんの「手のひらの京」と一緒に本棚に縦置きされているのが目に留まりました。
表紙の絵のデザインのタッチが「手のひらの京」と一緒だなと思い調べてみたら、どちらも山本由実さんという人が描いていました。
「手のひらの京」と同じ人がイラストを描いていることに縁を感じ、この小説も読んでみることにしました。
これは「ジュンク堂書店 名古屋店」の販売戦略が上手かったなと思います(笑)
主人公の絵梨、村山慶介、悠太、洋一の四人は神奈川県西丹沢の山の中で暮らしています
村山慶介はまだ20代で、西丹沢の北杉集落で就農しています。
渡辺洋一(ようくん)は16歳で高校生の年齢ですが全日制の高校には行かず、通信制の高校に在籍しています。
今から三年前、母の咲江に連れられて洋一は慶介達のところに来ました。
咲江は家に引きこもっている洋一を家の外に引っ張り出し、慶介のもとで農業に従事させたいと考えました。
慶介と絵梨は夫婦で、3歳の悠太は二人の子供です。
絵梨は悠太の子育てをしながら慶介の農作業などの支援をしたり、収穫した農作物を使って料理をしたりしています。
絵梨の語りで物語は進んでいきます。
冒頭から30ページくらいは年末年始の時期で、餅をついたりお正月の料理作りをしたりしていてちょうど今の時期とぴったり合っていました
咲江は洋一を慶介達のところに預けているもののやはり心配なようで、現在もよく様子を見にやってきます。
季節は巡ってくるけれど、自動的にやってくるのではない。その時期にしかできない仕事をこなして、自分で進めていかないと、やってきてはくれない。
これは気候としての気節自体は自動でやってくるものの、その気節ならではのことを楽しむためには準備が必要ということです。
お正月なら年末に大掃除をしたり餅をついたりおせち料理を作ったりして初めてカレンダーの日付だけではない「お正月」を実感することができます。
絵梨達の家ではたまごの出荷用に鶏を200羽も飼育しているのですが、「たまごの黄身の色は、鶏が食べている餌の内容で決まる」というのは興味深かったです。
パプリカや柿や蜜柑などを食べると橙色になり、冬瓜(とうがん)を食べると白に近づくとのことです。
物語が進んでいくと絵梨が慶介のもとに来るまでのことが明らかになります。
絵梨の旧姓は斎藤で、18歳で高校を卒業しパソコンの専門学校に進学した後は「プラネット」という小さな出版社に勤務していました。
京王井の頭線池ノ上駅の近くにあるアパートで専門学校時代から合わせて5年半ほど生活していました。
絵梨はある時脅迫的なダイエットの衝動に駆られ、ドラッグストアのサプリメントや寒天ゼリー、蒟蒻などしか食べなくなってしまいます。
そんな状態で体力が持つはずもなく、ある日ついに倒れ、病院に行くと心の病気と診断され入院することになります。
医師の言葉の中で、「体と心に栄養が足りていませんね」というのが印象的でした。
極度のダイエットによって体がガリガリになっていたのはもとより、読んでいて心のほうも干からびていっているのを感じました。
絵梨は母に心配してもらいたい思いがあって極度に痩せようとしていました。
絵梨の実家は神奈川県の小田原市にあります。
この家では萌奈(もな)という学業成績も外見も圧倒的な姉に対し、何をやってもどんくさい絵梨は家に居場所を見つけられず苦しめられていました。
萌奈からは「お母さんは、私のことが好きなんだって」「あんたはかわいくないんだって。私のほうがかわいいんだって」などといった言葉を浴びせられていました。
そんな中、高校卒業を機に家を出る決意を固めた絵梨に対し、父が「見つかるといいなあ」とだけ言っていたのが印象的でした。
これは「新たな地で自分の居場所が見つかるといいなあ」という意味に思えました。
そして、この実家において絵梨が居場所を作れるように尽力してあげてほしかったとも思いました。
ただ萌奈は萌奈で母に認めてもらいたいという思いがあったようです。
しかし「私こそが母に認められている」と思うために絵梨を「駄目な妹」として貶める行為はいかにも稚拙で子供っぽく、本当は萌奈も心の奥底ではいくら妹を貶めてもその分自分が母から認められるわけではないというのが分かっていたのではないかと思います。
病院に入院して死の危機を脱した絵梨は次のような気持ちになります。
頼らずに、助けを呼ばずに、生き直すということができるのだろうか。自分でも無防備のうちに、人生の淵に立ってしまったのだ。そこからまた再生する……。
「頼らずに、助けを呼ばずに」とありますが、実際にはそんな悲壮な決意をしなくても良いのです。
実家に近づきたくないのなら、この病院のお世話になった医師に定期的に相談するという手もあります。
なのに「頼らずに、助けを呼ばずに」と悲壮な決意をしているのを見て、まだ絵梨の心は硬直した状態にあり、完全には回復していないのだと思いました。
やがて食べることの意欲が戻った絵梨は自分で農作物を作りたいと思うようになります。
そして小田原の久野という山のほうにある、父の伯母、絵梨から見ると大伯母の家が空き家になっているのでそこへの引っ越しを決意して、家庭菜園を始めます。
絵梨は村山慶介という男が無人となっていた北杉集落で森林保全や里山の再生に着手し、自給自足の生活をしているという情報を地域密着の無料ミニコミ誌で得ます。
興味を持った絵梨は慶介のもとを訪れて一緒に木の伐採や農業の手伝いをしながら、どうやって農作物を作るのかを学んでいきます。
のどかに、西丹沢の大自然での季節が過ぎていきます。
やがて慶介と絵梨の距離が縮まっていって結婚することになり、悠太が生まれます。
悠太が生まれて実家に里帰りしている時も絵梨は母や萌奈へのわだかまりを解消できないでいるのが印象的でした。
やはり長年の積もり積もったわだかまりを解消するのは簡単ではないと思います。
西丹沢で田植えや収穫野菜の処理をしていく中で、「そうだ、きっと誰も私に完璧さなど期待していないに決まっている。」と絵梨が気持ちを楽にする場面がありました。
今まで経験したことのなかった農業に体当たりで挑んでいるのですし、完璧でないのが当たり前です。
その完璧でなさを当然のように受け止めてくれる慶介の包容力に絵梨は救われます。
絵梨ちゃん、適当にやろうよ。
慶介のこの言葉は良いと思いました。
ようやく穏やかに暮らせるようになった絵梨が、毎日を楽しく幸せに過ごしていってほしいと思いました。
この西丹沢での日々が母や萌奈に対する心境を変化させていってくれるのではと思います。
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