今回ご紹介するのは「私をくいとめて」(著:綿矢りさ)です。
-----内容-----
私の人生って、つまんない?
正直に答えてよ、A!
黒田みつ子、もうすぐ33歳。
一人で生きていくことに、なんの抵抗もない。
だって、私の脳内には、完璧な答えを教えてくれる「A」がいるんだから。
感情が揺れ動かないように、「おひとりさま」を満喫する、みつ子の圧倒的な日常に、共感必至!
同世代の気持ちを描き続けてきた、綿矢りさの真骨頂。初の新聞連載。
-----感想-----
冒頭、主人公の黒田みつ子が食品サンプル作りの一日体験講座に参加しているところから物語が始まりました。
食品サンプルとはレストランなどで展示されているメニューのサンプルのことです。
東京の合羽橋(かっぱばし)にその場所があり、日本の食品サンプルの多くが合羽橋で生み出されているとのことです。
体験講座では天ぷらを作り、一人暮らしのみつ子は他に反応してくれる人がいない中、天ぷらを部屋のどこに置くか悩んでいました。
冷蔵庫がだめなら、コレはどこに置けばいいの?棚の上に置いても玄関先に置いても、異様に目立って、まるで天ぷら教の信者みたいじゃないか。
最後を「まるで天ぷら教の信者みたいじゃないか」にするという、この辺りの表現が面白かったです
冒頭から綿矢さんらしい表現が見られました。
みつ子が疲れていてソファに寝そべっていたある日、頭の中で誰かが話しかけてきました。
その声は真夜中に呆然とソファに寝そべっていたみつ子をベッドに移動して寝るように促し、みつ子が健康を害しないように助けようとしていました。
「あなたのこと、信じてもいいの?」
「どうぞ、ご自由に。私は常に最善だと思う策をあなたに話しかけています。決してめんどくさがったり、なにかあなたをはめようとしたりして言葉を作ったりはしません。なぜなら私はあなた自身で、あなたが滅びれば私も無くなってしまうのですからね」
みつ子はこの声の主を「A」と名付けました。
AはanswerのAで、みつ子に対し常に的確に助言をしてくれることからこの名前にしたようです。
Aとの会話が脳内で行われるようになっていきます。
みつ子のマンションには月に一度多田君という人がご飯を貰いに来ます。
食器を持ってみつ子のマンションの部屋の前に立ち、呼び鈴を押すとみつ子が出てきて、作ったご飯を食器に盛ってあげていました。
部屋に上がって食べていくわけではなく、ご飯を貰うとお礼を言い、そのまま帰っていきます。
この謎の関係には最初驚きました。
月に一度の定例行事的にマンションの部屋の前に現れ、ご飯を貰うと帰っていくという関係は聞いたことがなかったです
次の日の会社での昼休み、みつ子は先輩のノゾミさんと多田君のことを話していました。
多田君はみつ子たちの会社の取引先の営業マンで、みつ子とは同い年とのことです。
ノゾミさんのほうは片桐直貴という同僚に並々ならぬ好意を寄せています。
ノゾミさんがカーターと呼ぶその人は、見た目だけなら真性のイケメンなのですが中身が個性的過ぎて周りからは敬遠されています。
カーターはみつ子より入社時期は遅いですが年上とのことです。
Aは場所も時間も問わず話しかけたらすぐに出てきてくれます。
そのAとの会話で、みつ子が「おひとりさま」や「女子会」という言葉が接待用語だということについて語っていました。
「最近だと女子とは言えない年齢の人たちの集まりを”女子会”って呼ぶのも同じ。
集まってもらって外食産業にお金落とさせて、経済を回したいんだよ。
”おひとりさま”や”女子”みたいな耳に心地良い言葉を並べてファッション雑誌やらグルメ本やらを売りたいだけ」
「女子とは言えない年齢の人達の集まりを女子会と呼ぶ」というみつ子の言葉が結構毒舌だなと思いました。
そして自身のおひとりさま経験によって色々と悟っているようでした。
女子についての私の考えは、「女子会」と言われてある女性達が乗り気になっているのであれば、その人達は気持ちは女子ということなので、女子で良いのではないかと思います。
そして「女子会」と言われて「えー、私達もう女子って年齢じゃないし」という言葉が出てくる場合には、その人達は自分達の年齢を女子とは思っていないということなので、これは女性などの呼び方で良いのではと思います。
時は正しく着実に過ぎている。普通、実家に帰れば日々の喧騒も忘れて昔にタイプスリップした気持ちになれそうなものだけど、「ドラゴンボール」に出てくる精神と時の部屋のごとく、時間が音もなく過ぎ去ってゆく悠久のときを奏でる我が一人暮らしの部屋に比べたら、実家の方がよっぽど”現在”にコミットしていた。
精神と時の部屋は見渡す限り真っ白な空間が無限に広がっていて、静寂に包まれていて音が全くありません。
自分の部屋をそう表現しているのが印象的でした。
綿矢りささんは比喩表現と文章の紡ぎ方が上手いのですが、今作は文章の言葉をだいぶ軽いタッチにしていました。
そこが一つ前の作品の「手のひらの京」が古風だったのとは大きく違うなと思いました。
洗濯をしている場面で、印象的な表現がありました。
洗濯機のふたを閉め忘れて、onのスイッチを押したら、いつもより水温がはっきり浴室に響いた。寄せては返す、小さな渦をつくる跳ねた水温が波のようで、しばらくそのまま聞いていたら、急に海に行きたくなった。
「寄せては返す、小さな渦をつくる跳ねた水温が波のようで、しばらくそのまま聞いていたら、急に海に行きたくなった」を見た時、「夢を与える」に出てきた「夜空を見上げると月が出ていて、月は薄く硬く、遠い異国の硬貨のようだ。」という表現が思い浮かびました。
何だか似ているものがあると思いました。
綿矢りささんのこういった表現は凄く良いと思います
ある時みつ子はついに多田を部屋に招きます。
ここから恋愛関係に発展していくのか気になるところでした。
年末の12月、イタリア人と結婚して現在はイタリアのローマに住む大学時代の友達、皐月からみつ子に手紙が来ます。
年末年始イタリアに遊びに来ないかという誘いで、みつ子は皐月の誘いに応じて久しぶりの再会を果たすべく年末年始イタリアに行くことにします。
冒頭の食品サンプル作りの一日体験講座に参加している場面を見た時は、まさか海外に話の舞台が移るような展開になるとは思っていなかったので驚きました。
言い訳として「仕事がいそがしいから」を使うことに対するみつ子の考えは印象的でした。
実際に死ぬほどいそがしいならいいが、好きな、やりたいことは何を置いてでもやるくせに、やりたくないことに直面すると「仕事が」と言い出す人は、私は嫌い。
やりたくないのは人の気持ちだからしょうがないけど、仕事が、と”社会に必要とされている”自分をアピールしながら相手に文句を言わせない言い訳が聞き苦しいと思う。
だから私はどれだけいそがしくても、できるだけ涼しい顔をしていたい。
必要とされる喜びと利用される悲しみが混ざり合う「仕事」に、魂まで食われてしまいたくない。
この物語は全体で見ると軽いタッチで明るく描かれているのですが、時折みつ子が人間の心理に鋭く切り込みます。
みつ子はほんと表面的な言葉の裏に隠された別の意味をよく見ていると思います。
また「必要とされる喜びと利用される悲しみが混ざり合う「仕事」」という言葉も印象的で、これはたしかにその両面があると思います。
みつ子は飛行機をかなり苦手にしていて、イタリアに行く飛行機の中では完全に気分が悪くなってしまっていました。
何とかするためにAに助けを求めます。
「A、A」
「はい、なんでしょう」
「なんだその軽い返事は。おやつ食べてた人間がいきなり呼び出されて、ビスケットの粉を口の周りにくっつけたまま、ひょいと顔を出したような声は」
このAとの会話は面白かったです(笑)
Aはみつ子の脳内分身であり一心同体なのですが、飛行機に青ざめてしまって危機的なみつ子と全くそんなことはないAとの温度差が印象的でした。
イタリアでは皐月の家でかなり盛大なクリスマスパーティーが行われました。
親族たちがたくさん来て、次から次へと料理が出てきて、しかも皐月の旦那さんの母が「これも食べろ」と次々と勧めてくるため、あまりの料理の多さにみつ子はKOされていました。
日本に帰ってくると、ノゾミから意外な誘いが来ます。
ノゾミ、カーター、みつ子、多田の四人でディズニーランドに行かないかと言うのです。
カーターに並々ならぬ好意を寄せるノゾミはこのディズニーランドで何としても告白しようと決意を固めています。
みつ子と多田はまだ付き合っているわけではないのですが、みつ子がイタリアから帰ってきてから一緒にご飯を食べに行ったりもして仲良くなっていたので、もしかしたらディズニーランドで進展があるかもと思いました。
エレクトリカルパレードに遭遇した時、みつ子は次のように胸中で語っていました。
このパレードの名前の”エレクトリカル”の部分が好きだ。
スターサンライズパレードやドリームパレードとかではなく、電気の意味の”エレクトリカル”という言葉がこのギンギラした明るい山車(フロート)を直接的に表していて、ぴったりだ。
これはたしかにそう思います。
エレクトリカルパレード、良い名前だと思います。
全体的に綿矢りささんの作品の中では一二を争うくらい軽いタッチの明るい内容になっていました。
その軽いタッチの中にあって綿矢りささんらしい比喩表現や文章の紡ぎ方の良さも発揮されていて、楽しく読める上に純文学の文章表現力の高さも楽しめる作品になっていました。
王道純文学作品で見せる良さを大事にしつつ、新たな作風としてこういう作品も時には良いのではないかと思います
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