今回ご紹介するのは「生きたことば、動くこころ 河合隼雄語録」(著:河合隼雄 編:河合俊雄)です。
-----内容&感想-----
この本は臨床心理士であり京都大学の教授でもあった河合隼雄さんの、1974年から1976年にかけての京都大学の臨床心理学教室での、カウンセリングの事例検討会におけるコメントをまとめたものです。
当時大学院生だった山田(旧姓藤縄)真理子さんが事例検討会をテープに録っていて、その時の河合隼雄さんのコメントをテープ起こししてノートにまとめ、後に手書きノートのコピーが研究室で出回るようになったのがこの語録の始まりとのことです。
冒頭の挨拶で、河合隼雄さんの息子で同じく臨床心理士の河合俊雄さんがこの本について次のように書いていました。
「実際に心理療法に関わっている専門家なら、自分の日頃の臨床に照らし合わせてさまざまなことが考えられるであろうし、専門家でない人でも、人のこころの動きや人間関係について、さまざまな示唆やヒントが得られるのではないかと思われる。大学院での授業でのコメントにもかかわらず、専門用語が少なく、努めて日常語や生きたことばを使おうとしているのは特筆すべきである。」
まず「専門家でない人でも、人のこころの動きや人間関係について、さまざまな示唆やヒントが得られるのでは」という言葉が目を引きました。
そしてそれ以上に、「大学院での授業でのコメントにもかかわらず、専門用語が少なく、努めて日常語や生きたことばを使おうとしているのは特筆すべきである」の言葉が目を引きました。
今までに読んだ河合隼雄さんの本の中では「臨床心理学ノート」も難しい言葉はあまり使わないようにして分かりやすく冗談も交えながら書かれていて、この書き方は面白くて良いなと思いました。
今回の「生きたことば、動くこころ 河合隼雄語録」は河合隼雄さんが語ったコメントがそのまま文章になっているとのことで、これはより一層面白い文章になっている気がしました。
そして読み始めてみると、1ページ目から川合隼雄さんの語りがそのまま文になっているのを実感しました。
「面接中の電話にはだいたい出ないですね」「真似したらえらいことになる」「真剣に考えなきゃなりません」など、たしかに大学院の授業とは思えないような日常的な言葉使いをしていて、しかも語っている言葉が生き生きとしていて、これは面白く読めると思いました
川合隼雄さんが臨床心理士としてクライエント(悩みを相談に来る人)とのカウンセリングに望む時、どんな心境で臨んだりどんな言葉を言っているかが書かれていました。
P10「セラピストの自宅の電話番号」
クライエントにセラピスト(カウンセラーのこと)が自宅の電話番号を教える場合もあるとあり、これは衝撃的でした。
それが必要な場合もあるとのことで、次のように書かれていました。
「こういう相当難しいケースでは、やっぱり自宅の電話番号教えてやるとかしないとダメです。そういう覚悟がいります。で、セラピストの方から電話かけたりするでしょ、あれも絶対必要ですね。普通はやらないこといっぱいやっていますけどね。こんなケースになったら、これやらないとダメです、実際にはね。」
これを見て、河合隼雄さんは大学教授とは思えないくらい授業でも日常的な言葉を使って冗談もよく言うけれども、やはり臨床心理士として幾度もの難しいカウンセリングをやってきたのだということを実感しました。
深刻な状況のクライエントなら、家の電話番号を教えたら際限なく電話をかけてくる可能性もあると思うのですが、そういった危険性も受け止めてクライエントと向き合わないといけない局面もあるようです。
日本におけるユング心理学の第一人者でもあり、偉大でありなおかつ面白い人と思うとともに、既に亡くなっていることを寂しくも思いました。
P12「上手な冷やかし方」
クライエントが話をしていて、自分で自分の言っていることが分からなくなってしまったような時に、次のように言うことがあるとのことです。
「あんた何やらわけのわからないことを長いこと言ったなあ」
この冷やかしは一般の会話でも同じようなことを言う場合があります。
笑いながら「何わけわかんないこと言ってんのさ」という感じで言うかと思います。
カウンセラーとしてクライエントと向き合った時に「あんた何やらわけのわからないことを長いこと言ったなあ」と言うのは一歩間違うとクライエントが怒ったり傷ついたりして二度と来てくれなくなる可能性があるのですが、そこを言って大丈夫なのかどうかを見極められるのが上手いカウンセラーなのだと思います。
川合隼雄さんが冗談めかしてこんな風に言えば、わけのわからないことを言ってしまっていたクライエントも自分をフォローしてもらえて、助かった心境になる可能性は高いのではと思います。
P15「共感について」
クライエントが色々と無茶なことを言ってくる場合に、カウンセラーが考えるべきこととして次のように書かれていました。
「この人のしんどさというのを言うなればこちらが共感するのが足りないんじゃないか、ということをものすごく考える必要があります。そしてそういう向こうのきりつけみたいなのがはなはだしいほど、自分の共感の量が今まで少なかったのではないかということ、ものすごく考えますね。」
これが臨床心理士などのカウンセラーの凄いところで、相手が無茶なことを言ってきた場合に「何を無茶なことを言っているんだ」となるのではなく、「この人はなぜ無茶なことを言うのだろう。そうか、こちらの共感が足りていないのか」と状況を冷静に見ています。
「状況を冷静に見る」という言葉だけ見るとできそうな気もしますが、実際に相手が無茶なことを言ってきている場で(感情的になっている可能性もあります)、冷静さを保ちつつなおかつ相手の心理状態を分析するのは難しいことだと思います。
P18「子供が物を放る行為について」
6歳くらいの女の子が窓から物を放り、河合隼雄さんが取ってきてあげるとまたすぐに放り、それが繰り返される事例があったとのことです。
河合隼雄さんはこの行為について、「放ったものを拾ってきてもらうというのは「たとえ私が捨てたとしても、あなたは拾ってくれますか?」というものすごい問いかけ」と言っていてなるほどと思いました。
ただ私は「それにしても酷いことをする子供だな」と思いながら読んでいました。
そうしたらこの話の最後に「家では全部否定されてるわけでしょ。」とあってハッとしました。
そうか、家ではこの問いかけについて一切拾ってくれないから、目の前にいる河合隼雄さんはどうなのかを子供なりのやり方で確かめようとしているのかと思う、印象的な最後の言葉でした。
P26「サイコセラピー(心理療法)がやること」
これは私的には、「クライエントの悩みを聞き、問題を解決していくための援助をすること」という教科書的な言葉が思い浮かびます。
それに対し川合隼雄さんは「心と体のバランスを取り戻すのがサイコセラピーのやること。」
という趣旨で次のように語っていました。
「自我の方の動きがあんまり強くなりすぎるとね、体とハーモニーしなくなる。つまり、心的に頑張ろうとしすぎると、休息という、こちらを忘れてしまう。あるいはあいつに負けないようにしようと頑張り過ぎて、結局はリラックスできなくなるということが起こってくるわけです。そうするとこういう言い方ができるわけです。つまり我々サイコセラピーやってる者は、この自我を弱めてこの全体としてのハーモニーというのを取り返すのがサイコセラピーだ、ということです。」
頑張ろうとしすぎて休憩を忘れリラックスできなくなるというのが印象的でした。
そして自我を弱めるとは、この張り詰めて緊張したままになっている心をもう一度リラックスさせるということかと思います。
P28「カウンセラーの気持ちの持ち方」
物凄く深刻なクライエントとのカウンセリングについて、「限界以上のことをやるようになると、こちらが死ななきゃならなくなる」と言っていました。
この「死ななきゃならなくなる」は比喩表現での死というより、本当に死んでしまうという意味のようです。
そして次のように言っていました。
「で、死ぬのがいやだから、大体そういうケースは中断しますね。」
深刻な事例について話していたのですが、この最後の言葉は面白かったです。
カウンセラーのほうもこのくらいの気持ちのほうが良いのだと思います。
限界を超えて何もかもを受けとめようとすれば死んでしまいます。
P72「アドラーについて」
アドラー心理学が出てきました。
「このクライエントが「自分が健康さえ自信もてたら、本社に変わっていて…なるんだけど、不健康だからダメだ」と言うところがありますね。これ、アドラーだったらどう言うか知ってますか?そう、逆転するわけですね。逆転して聞くわけです。つまり、本社にいくのが恐いから…と、それはアドラー流の言い方です。僕ら、そういう聞き方も知ってないといけない。しかしどこまでそれを言うかは別としてね。」
アドラー心理学は「目的論」という手法を使っていて、このケースで言うと、原因論が「この人は健康に不安があるため(原因)、本社に行くことができない」なのに対し、目的論は「この人は本社に行きたくないので(目的)、健康に不安があるという理由を作り上げている」となります。
川合隼雄さんは日本におけるユング心理学の第一人者なのですが、ここではアドラー心理学による解釈を紹介していて、やはり柔軟な人だなと思います。
「臨床心理学ノート」でもアドラー心理学による解釈と思われる言葉が書かれている場面がありました。
ユング、アドラーと並ぶ心理学三大巨頭の一人、フロイトについてもよく他の著書の中で紹介していることがあり、自分自身の学派(川合隼雄さんはユング心理学)以外の心理学についてもある程度知っていたほうが視野が広がって良いのだと思います。
P107「共感の本質」
自閉症児の母親が「同じ境遇にないあなたには何も分からない」的なことを言ってきた場合の共感について書かれていました。
「あんた資格もないのによく私の前で話を聞いているなあ、ということと同じことを言ってる。そうでしょ、「資格のある人(障害児をもった母親)とこの間話をしてきました、で、ツーカーといきました」と言っているのは、あなたはツーもカーもいかない、結婚もしてない、子供ももってない、浮気もしてないのに、何にもしてないのに、なんでそこに座ってるんだ、とそのくらい言われているほどセラピストの胸にこたえてなかったら、それは共感にならないんです。そういうのが共感。」
他の本よりも共感についてだいぶ具体的に書かれていました。
これはまさに教科書的ではない「生きた言葉」だと思いました。
一般の人だとこの母親の当てこすりに対しムッとしたり不快感を表明してもおかしくない場面なのですが、そうはならないのがカウンセラーの凄いところです。
全編を通して躍動するような言葉が綴られていて、興味深く読んでいきました。
こんな風に語ってくれる授業なら、聞くほうも自然と熱心に聞けるのではと思います。
タイトルにもあるように、この本の中の生きた言葉によって心が動かされた場面もあり、言葉の重要さ、そして言葉の持つ力の凄さを感じました。
今までに読んだ川合隼雄さんの本の感想記事
「ユング心理学入門」
「イメージの心理学」
「臨床心理学ノート」
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