以前、友人が企画したコンサートに富山まで聞きに行った。
音を奏でる人は長屋和哉さん。そういういい方がぴったりの演奏。
それは私が今まで聞いたことのないスタイルで
金属楽器をたくさん集めて、ジャングルジムのように
それらを囲んでの演奏スタイル。
とても不思議な空間と音の世界。
絵で言うとシュールな世界なのかもしれない。
その音たちが聞いている者の心の中にトンと降りて来る感じ。
今日はその長屋さんのコンサートが金沢であったので
楽しみにしていって来た。
昼間にはワークショップもあったのでそれにも参加。
10人くらいで輪になり、金属仏具で音を奏でていく。
音が消えていくその境界線の果てにたどり着けるだろうか。
「人が音を導くのではなく、音を自由にさせる演奏をする」
「相手の音をよく聞き、答えを返す」
「どんな雑音も、この世で最後の音だ、と思うことで
雑音さえも愛おしく感じる。この世界を
愛おしく感じられるかどうかが大切」
「音には外の世界と自分の内側の世界がある。
消えていこうとする音の境界線の果てに世界は広がっている」
そんな長屋さんの言葉が印象的でした。
そしてコンサートは、時間の狭間にスリップしたように
原始の音の世界にすっぽりと包まれた時間。
ひたすら優しく、ひたすら激しく奏でられた音たちは
夜の暗闇の中でいつまでも喜び息づいているようでした。
帰りは満天の星空。星のきらめく音が聞こえたような
気がしたのは私だけだったのでしょうか。
音を奏でる人は長屋和哉さん。そういういい方がぴったりの演奏。
それは私が今まで聞いたことのないスタイルで
金属楽器をたくさん集めて、ジャングルジムのように
それらを囲んでの演奏スタイル。
とても不思議な空間と音の世界。
絵で言うとシュールな世界なのかもしれない。
その音たちが聞いている者の心の中にトンと降りて来る感じ。
今日はその長屋さんのコンサートが金沢であったので
楽しみにしていって来た。
昼間にはワークショップもあったのでそれにも参加。
10人くらいで輪になり、金属仏具で音を奏でていく。
音が消えていくその境界線の果てにたどり着けるだろうか。
「人が音を導くのではなく、音を自由にさせる演奏をする」
「相手の音をよく聞き、答えを返す」
「どんな雑音も、この世で最後の音だ、と思うことで
雑音さえも愛おしく感じる。この世界を
愛おしく感じられるかどうかが大切」
「音には外の世界と自分の内側の世界がある。
消えていこうとする音の境界線の果てに世界は広がっている」
そんな長屋さんの言葉が印象的でした。
そしてコンサートは、時間の狭間にスリップしたように
原始の音の世界にすっぽりと包まれた時間。
ひたすら優しく、ひたすら激しく奏でられた音たちは
夜の暗闇の中でいつまでも喜び息づいているようでした。
帰りは満天の星空。星のきらめく音が聞こえたような
気がしたのは私だけだったのでしょうか。