映画「風のダドゥ」を見て来た。
ダドゥは馬のお腹の中で動く腸(命)の音。
それはどれだけ昔から受け継いできた音なのか。
風が同じ音を出す場所がある、その音が風のダドゥ。
(舞台挨拶する中田新一監督と主役の木村文乃ちゃん)
主人公は16才のリストカットを繰り返す女の子『歩美』。
自分の居場所を捜し出せずに、生きることに希望を失っている。
阿蘇の山の中で、ナイフで自分の手首を傷つけ倒れていたところを
装蹄師の桜田に助けられる。そこで元競走馬のメイワジョニーと出会い、
初めて同じ孤独感を馬と共有する。
やがて温かく見守る桜田をジィと呼び、心を少しづつ開いていく歩美。
そのうちに大人の中にも、自分と同じように
居場所を見つけられない人がいることを知る。
自分だけの孤独感から這い上がったのは、
そんな人たちと馬と自然との出会い。
阿蘇の山々の大自然が、大きく観る者に迫ってくる。
人は、自然と他の生き物とのつながりを見失ってしまった
ところから迷路に入り込んだのかもしれない。
やがて再生していく少女のひとつの物語。
風のダドゥが聞こえる場所は、この映画のシンボル的な場所となる。
この映画に出てくる役者は、ほとんどを
熊本出身者で固めた監督の意気込みが感じられる。
そして、大人にとって大切なのは見守ること。
それをこの映画のジィは教えてくれる。
でもそれはきっと今の社会では、容易いことではないだろう。
今の日本には、数えきれないくらい多くのリストカットを
している若い女の子がいる。大人の世代には理解し難い
この行動は、生きにくい社会の反映なのだろう。
大人さえも、イキイキと生きている人が少ないこの社会。
「生きることを難しく考えるんじゃない」
それはジィが歩美に伝えた言葉。
『今、生きている』・・何の欲も持たずにただ
それだけをシンプルに喜べることができるなら、それは幸せ。
それには、大いなる自然の中に自分をすっぽり
包み込むことが、近道なのかもしれない。
一人の少女の再生の物語は、なかなか感慨深かった。
*今回、初めて難聴者のために日本文字の字幕スーパーが
入った映画だったが、音よりも文字のほうが先に目に
飛び込んできて、とてもじゃまだった。
それほど文字の力というものが強いのだと改めて感じさせられた。
おかげで、映画というより劇を見ている気分になってしまって
映画の世界にすっぽりと入り込むことができなかった、残念!
ダドゥは馬のお腹の中で動く腸(命)の音。
それはどれだけ昔から受け継いできた音なのか。
風が同じ音を出す場所がある、その音が風のダドゥ。
(舞台挨拶する中田新一監督と主役の木村文乃ちゃん)
主人公は16才のリストカットを繰り返す女の子『歩美』。
自分の居場所を捜し出せずに、生きることに希望を失っている。
阿蘇の山の中で、ナイフで自分の手首を傷つけ倒れていたところを
装蹄師の桜田に助けられる。そこで元競走馬のメイワジョニーと出会い、
初めて同じ孤独感を馬と共有する。
やがて温かく見守る桜田をジィと呼び、心を少しづつ開いていく歩美。
そのうちに大人の中にも、自分と同じように
居場所を見つけられない人がいることを知る。
自分だけの孤独感から這い上がったのは、
そんな人たちと馬と自然との出会い。
阿蘇の山々の大自然が、大きく観る者に迫ってくる。
人は、自然と他の生き物とのつながりを見失ってしまった
ところから迷路に入り込んだのかもしれない。
やがて再生していく少女のひとつの物語。
風のダドゥが聞こえる場所は、この映画のシンボル的な場所となる。
この映画に出てくる役者は、ほとんどを
熊本出身者で固めた監督の意気込みが感じられる。
そして、大人にとって大切なのは見守ること。
それをこの映画のジィは教えてくれる。
でもそれはきっと今の社会では、容易いことではないだろう。
今の日本には、数えきれないくらい多くのリストカットを
している若い女の子がいる。大人の世代には理解し難い
この行動は、生きにくい社会の反映なのだろう。
大人さえも、イキイキと生きている人が少ないこの社会。
「生きることを難しく考えるんじゃない」
それはジィが歩美に伝えた言葉。
『今、生きている』・・何の欲も持たずにただ
それだけをシンプルに喜べることができるなら、それは幸せ。
それには、大いなる自然の中に自分をすっぽり
包み込むことが、近道なのかもしれない。
一人の少女の再生の物語は、なかなか感慨深かった。
*今回、初めて難聴者のために日本文字の字幕スーパーが
入った映画だったが、音よりも文字のほうが先に目に
飛び込んできて、とてもじゃまだった。
それほど文字の力というものが強いのだと改めて感じさせられた。
おかげで、映画というより劇を見ている気分になってしまって
映画の世界にすっぽりと入り込むことができなかった、残念!