昨日はお休みを頂き、家でゆっくりした後、店で少しの用事をしながら、やっぱりゆっくりして近くの仲良しの店で晩御飯を頂き帰ってきました。
ゆっくりしている時間に7月にやろうとしている企画について妄想したりしていました。
で、その時にホテル学校時代(37年くらい前)に授業で出てきた「ジョーとハリーの窓」という概念が浮かんできたんですね。
「ジョハリの窓」と言う場合もあるようですがジョセフ.ルフトさんとハリー.インガムさんのお二人の発表したので、こういう命名になったようです。
これは人の側面は大きく4つに分けられ、中央に十字の仕切りのある「窓」に例えられる、というものです。
1つは自分も他人も知っている部分
1つは自分も他人も知らない部分
1つは自分は知っているが他人は知らない部分
1つは自分は知らないが他人は知っている部分
というものです。
こういう図で表されています。
まあ、こういう事は自ずと知られている事ですから「今更」っていう気もしますが忘れがちでもあることです。
なにか物事を考える時に大事な「反省」です。
する側の事情と来て頂く側の事情、或いはどちらも共有している事情。
そして、する側も来る側も想定外の事情。
何もかも想定内などという事はあり得ませんが、準備万端=双方が満足することはなにか?を見極めて挑みたいと思います。
なんて言いながら通常の生活でも「他人だけが知っていること」や「どちらも知らないこと」が多いのが現実です。
「どちらも知っている」が増えすぎても人生つまらないのかもしれませんが「ジョーとハリーの窓」という言葉、気を付けて過ごしたいと思います。
樋口誠
ゆっくりしている時間に7月にやろうとしている企画について妄想したりしていました。
で、その時にホテル学校時代(37年くらい前)に授業で出てきた「ジョーとハリーの窓」という概念が浮かんできたんですね。
「ジョハリの窓」と言う場合もあるようですがジョセフ.ルフトさんとハリー.インガムさんのお二人の発表したので、こういう命名になったようです。
これは人の側面は大きく4つに分けられ、中央に十字の仕切りのある「窓」に例えられる、というものです。
1つは自分も他人も知っている部分
1つは自分も他人も知らない部分
1つは自分は知っているが他人は知らない部分
1つは自分は知らないが他人は知っている部分
というものです。
こういう図で表されています。
まあ、こういう事は自ずと知られている事ですから「今更」っていう気もしますが忘れがちでもあることです。
なにか物事を考える時に大事な「反省」です。
する側の事情と来て頂く側の事情、或いはどちらも共有している事情。
そして、する側も来る側も想定外の事情。
何もかも想定内などという事はあり得ませんが、準備万端=双方が満足することはなにか?を見極めて挑みたいと思います。
なんて言いながら通常の生活でも「他人だけが知っていること」や「どちらも知らないこと」が多いのが現実です。
「どちらも知っている」が増えすぎても人生つまらないのかもしれませんが「ジョーとハリーの窓」という言葉、気を付けて過ごしたいと思います。
樋口誠