始まった時は「えっ、学校終わっちゃったの?」だったが、人というのは状況に慣れてくると今は「もう始まるんだ!」
JKの娘は先週16日の学力テストからすでに授業は再開されている。末っ子の通う中学校も明日が始業式。
さあて、大変だああ・・・何が大変って宿題がまだ終わってない!!
「ゆとり世代」と望まざる称号をつけられている上の子どもたちの時には、ワークの類の宿題があっただけだったように思うが、「ゆとりじゃない世代」の片隅にひっかかった末っ子は「まあ、こんなにやるの?」というほど各教科「自由研究」のような課題が、プリントのほかにもれなくついてきた。大物なのか呑気なのかわからないが末っ子は、こここの時にいたっても動じない。代りに私が隣でイライラ、イライラ、カリカリ、カリカリ、ブツブツ、ブツブツ、しまいに大癇癪!! それでも彼はどこ吹く風~~怒ったり、なだめすかしたり、こんこんと説教したり、何とか昨日までに残っているのは社会科の「新聞作り」だけになった。
なかなかテーマが決まらずぐずぐずいい、ああでもないこうでもないと話をしていてやっとピンと来たものがあったのだろう。とりかかった途端にそれまでの投げやりな様子が微塵も無くなって、集中することはなはだしい。こうなればしめたものでなあんにも口も手も出さなくて済む。しかし、その豹変ぶりに驚いた。それまでの課題に対する彼の態度は「やってあればいい」「こんなもんだ」という誠意のないもので、そこら辺が私の癇癪の主たる理由だった。それが、何がどうなのか水を得た魚の如くだった。いつもこれぐらいの感じでとりかかってくれれば「教育ママ」と呼ばれるような恥ずかしい癇癪を起さなくても済むのになあ・・・・・・ふうう。
子どもが育つ、のびる、・・・・・・。教師って大変な仕事だと思う。私は、末っ子に何を言おうが何をしようが間違いない信頼関係が築けていると感じているから、なあんでもやれる。でも教員は、信頼関係があるという前提のもとに教えなければならない。生半可な覚悟ではやりつづけることさえおぼつかないだろう・・・・・・。
夏休み最終日の今日、昼までにようやく“必修”と指定された課題をようやく終えた末っ子は、父親と「将棋の駒」を見に街まで出かけた。
「新聞作り」でテーマに選んだのは「山形県天童市」将棋の駒の産地だった。