つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

メールの返信

2013年04月13日 | 子育て

遠くに離れた子どもたちとの連絡方法はおもに “メール”

とても便利だと感じている。 相手の都合かまわず送信しておけば、好きな時に読んでもらえる。

読んでもらえる・・・読んでいる・・・読んだのかなあ・・・????

 

先月東京で開いた家族会議のときに、長女に言われた。

「私は誰からも何にも教えてもらえない」

そんなつもりはなかったのだが一人ひとりにメールを送っていたので、

そんな結果を招いたのかもしれないと反省した。

そのため3人の誰かあての用件でも、3人あてに送信することにした。

(ただし、本当に特定の用件のときはその子どもあてに送っている) 

ときには姉も含めて4人まとめて送る。

だからもろもろ用件が重なって、結構長文のメールになっている。

このとき、返信が来る子とこない子がいる。

長女はああいって親に文句をつけるのだが、絶対返事をよこさない。

緊急の用件で電話をかけてもまずとらない。 これは今に始まったことではなく、

高校時代からの困った悪癖だ。人とコミュニケーションをとるのが不得手でそれが原因で躓いているので、

親が何を言っても平気の平左で直そうともしない。

他人様にぶちのめされるしか手がないだろうと、旦那と覚悟を決めている。

ただそうやって甘やかされている長女に、 “反抗期” の長男がライバル心を燃やしている。

これが手に負えない。 長男はこの頃確信犯的に返信をよこさない。

まあ、この年頃の子どもはそういうもんだからと受け止めているが、

いついつまでに返事をくれろと言っても来ることはない。

業を煮やして怒りながら電話をすると 「忙しくてすみません」 とくる。

「やってないから怒られても仕方がないんだけれど、・・・僕だっていろいろあって

AKBのこととやかく言われるけれど、息抜きしたいと思うわけで・・・・」とたいてい続く。

困ったもんだ。

ちょいと前に、携帯中毒の中学生がメールの返信をしなければならないから

携帯から手が離せないというようなことが話題になっていたように思う。

今なら差し詰めツイッターやライン・・・だろうか?

仲間はずれになりたくなくて必死な出来事なんだろうが、

かたや事務連絡の返事ももらえない親は 「こいつら馬鹿か?」 としか感じられなくなってきている。

思えば彼らの世代 「子どもの仕事」 というのは何より 「遊び」 だったのかもしれない。

「勉強」というのもあるが・・・?

私の親の世代は 「遊ぶ」 ことよりさらに言えば「勉強」よりも

「大人の手伝い」 に時間を割かなければならない人たちだった。

だから遊ぶ時間は大切で、生き生きとしたかけがえのない貴重な体験だったのだろう。

それでも優先すべきは 「大人の手伝い」 だったはずだ。

私はそういう大人に育てられたから、のびのびと遊ばせてもらった。

しかし反面親のそういう思いも伝わってきていたのだろうと、今、感じている。

それが、今の子どもたちは一番が 「遊ぶ」 ことになっているのだと、わが子の対応を見て感じている。

これは私たちの世代が作りだしたものだろう。 是非はともかく、そういう子育てをしたのだ。

子どもと言っても長男など、もう四半世紀生きている 「大人」 なのだが、

いつまで 「遊び」 を第一義で生きていくのか、

生きていけるのか・・・今の時代にそれでいいのか、高度成長期に育った私は想像もつかない。

 

ちなみに次女は携帯をいじるのが苦手で、友達との遊びの約束もほとんど顔と顔と見合わせてするような

いまどき珍しいアナログ娘だが、彼女だけは 「わかったよ」 と必ず返信をくれる。

機械に強くないのはどうなのかと思うが、そのせいでこの子だけは私の糸電話の先をしっかりとになってくれている。

 

さてもさて、まだ携帯を持っていない末っ子は、どのような対応を示すのか・・・?

子育ては本当に摩訶不思議だ。

 

 

コメント (4)
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