東京に行ったり来たりしているうちに、NHKから登坂淳一アナが消えていた。
うーん、さびしいなあ・・・
登坂さんの前任の森本さんは東京に戻り、あんなことになってしまった。
3・11の年に登坂さんが転勤してきて、あの時東京に急きょ戻ってニュースを読んでいた。
ゆっくりとあわてずに落ち着いて話す登坂さんのニュースは、とても聞きやすかった。
どこに行ったんだろうなあと探したら、大阪に移動していた。
大阪の人がちょっとうらやましい。
東京に行ったり来たりしているうちに、NHKから登坂淳一アナが消えていた。
うーん、さびしいなあ・・・
登坂さんの前任の森本さんは東京に戻り、あんなことになってしまった。
3・11の年に登坂さんが転勤してきて、あの時東京に急きょ戻ってニュースを読んでいた。
ゆっくりとあわてずに落ち着いて話す登坂さんのニュースは、とても聞きやすかった。
どこに行ったんだろうなあと探したら、大阪に移動していた。
大阪の人がちょっとうらやましい。
4月も半ばになってしまったので、大分に生きの悪いニュースになってしまった。
たまたまこの日、新宿の街に用事があり、
たまたま駅から外に出た。
出たら、人だかりがすごかったんです。何事だろうと思ったら、
みんなが上を向いていました。
「新宿アルタ」 この場所は、私の子どものころは「二幸」 だった。
「二幸」 は食品館で、「三越」の系列だったように思う。
祖父母は新宿に出かけると、「中村屋」で“ワンローフ”を買い、「二幸」で買い物をし、
「みつばち」で“小倉アイス”を食べて帰るのが決まりのコースだった。
今、「中村屋」に“ワンローフ”というパンは売っていないし、
「二幸」は「スタジオアルタ」に変わり、若い人の集まる場所になった。
「みつばち 」は、私が知っているのは大分に前、ビルの地下に場所を移して商売をしていたが、
今はどうなんだろう?この次上京した時に行ってみよう。
そして、「スタジオアルタ」から長く放送していた“笑っていいとも”が終了した。
長女はこの裏手でバイトしているので、出入りのタレントさんとちょくちょく遭遇していたようだ。
時代がまた動いたようだ。
昭和はどんどん遠くなります。
東京に居たとき、お向かいの奥さんに町内で催す「餅つき」に誘われた。
その場に来た人には誰でもふるまうのだが、
やっぱり各戸から集めた町内会費で準備するのだから、町内会の人に来てもらいたいというのだ。
ノロウイルスのせいで、お土産にして配ることもかなわないんですって。
なんか考えちゃいますね。
一人で行くのも気恥ずかしいので子どもたちを誘った。
誘ったがあいにく娘たちはバイトで時間が合わず、長男が付き合ってくれた。
町内会というのはどこでも年配の方が維持していらっしゃる。
若い男の子が来たので、さっそく 「搗くの手伝ってよ」 と声をかけられた。
少しへっぴり腰だが、長男、なかなか上手についた。
10年ほど前、子ども会の手伝いを家族で一生懸命にした。
その行事の中にやはり「餅つき」があって、長男は子どもながらよく手伝わされた。
昔取った杵柄 というやつなんだろう。
わが子たちに一生懸命にいろいろ経験させてやろうと思ったが、大したことはしてやれなかった。
でも、ああ、一つはやってやれたなあと思った。 餅つきできる兄ちゃん いいもんだ。
当然だが、搗きたての餅はとってもとってもうまかった!!