つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

ウォルト・ディズニーの約束

2014年04月09日 | 映画

私が子どものころ、ディズニー映画だけは親が必ず連れて行ってくれた。

あの頃、子どもが映画を観る機会というのは本当に少なかったと思う。

だって学校の体育館で、年に一回か二回、映画をみせてくれた。

それでさえ楽しみにしていたように思う。

だから親が無条件に連れて行ってくれたディズニー映画はもう夢のような出来事だった。

毎年何かしら観たように思うが一番思い出があるのが「メリー・ポピンズ」。

映画自体もそうだが、これにまつわる鮮明な思い出がある。

「メリーポピンズ」はとても前評判がよくて、両親も楽しみにしていたように思う。

チケットを親子で4枚あらかじめ購入した。だが、同じ日に4枚は手に入らなかったので、

2枚ずつ日を分けて用意した。

母親と私。父親と姉がそれぞれに連れてだって観る予定だった。

まず私が母と出かけた。

全編アニメーションだったそれまでのディズニー映画と違い、大人の観るものと同じ作りで、

わずかにペンギンと踊るシーンだけがカラフルな場面だった。

始めはそれが不服だったが観ているうちにその夢の世界に埋没し、

鳩のエサ売りのおばあさんが出てくるシーンでは寂しくなったのを覚えている。

帰ってきて姉にものすごく自慢した。 数日たって今度は姉が行く日がやってくるのも忘れて酔いしれていた。

やがてその日が来て姉が楽しむ時間に自分は家で待っていなければならないことに我慢がならなくなった。

ここで驚くのはその気持ちが頂点に達したのがお風呂場で、湯船につかっているときだったということ。

湯気の一本一本までも憶えている。扉の向こうで何が話し合われているか想像している自分がいるのだ。

もうわがまま一杯に育った私は我慢が出来なかった。そこから精一杯のだだをこねた。

「もう一度観たい」

幼いころ病弱だった私に弱かった両親は、しかたがないという風に少し高い当日券を買ってくれて、もう一度みせてくれた。

というよりそういう反応を見せたわが子を少し嬉しく思ったのではないかと、今ならうっすらと理解できる。

メリー・ポピンズが大好きだ。

それがその時私に刷り込まれた印象だった。

 もう狂ったように原作本も読んだ。

 

そして、今、あの映画の裏に、いやあの原作本の後ろに、

すごい物語があったことを知った。

「ウォルト・デイズニーの約束」

自分の書いた物語の登場人物を、これほどに愛している作家が今いるのだろうか?

手放したくない…手放さなければならない状況に追い込まれても、最後まで心は揺れる。

まるで本物の家族と同じじゃないか。

言葉の一つ一つにこだわりを持ち、人物一人一人に思いがあった。

そう思ったら、不覚にも涙があふれてきた。

手をつないで映画館に連れて行ってくれた家族の姿が浮かんだのだ。

父や母はあの映画の裏側で起こっていたことを知らない。いつか向こうへ行ったら話してあげよう。

そうだ姉ちゃんにも・・・。

実は大人になっても私は、いつかメリー・ポピンズがやってくるかもしれないとずっと待っているのかもしれない。

 

 

もう一つ、これほど丁寧な思いをささげている作品が今は作られないだろうという、

今の映画産業の現実に、かなしい思いがある。きっともうこういうやりかたで仕事はできないんだろうなあ??

エンディングに、当時録音された音源が流される。

風潮に流されす自分の作品を守るために、一人個人である作家が見せる真骨頂に敬意を表したい。

作家はこれくらいわがままで頑固でないといけないんだ。

そしてそういう作家と粘り強く交渉し、そのテープを保管しつづけたディズニー社に脱帽である。

この映画は実話がもとになっている。

そしてそのもとになった人たちの活躍をリアルタイムで私は知っている。

それがちょっぴり、いやとても誇らしい気分になった。

 

 

 

 

 

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始まり

2014年04月09日 | 日記

 

末っ子は隣に立ってくれなかったので、よその御嬢さんがポーズを決めているのを失礼してカメラに収めた。

お天気に恵まれた昨日、入学式が行われた。

実はこの学校、次女がお世話になった高等学校。

その校風がおおらかでよくて、末っ子の茫洋とした性格を大事にしてくれるのではないかと、

彼に進学の話題が出始めたときから 「ほかに希望の学校がないのなら」 と末っ子にお薦めした。

彼なりにいろいろな学校をみて回り、最終的にこの学校に挑戦してくれた。

久しぶりに訪れた学校に、まだ顔のわかる先生がいらした。

挨拶をしたら「まだいました」と笑って娘の話をしてくださった。

安心した。

 

三年間、うちのぼんずを何卒よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

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冷蔵庫が・・・・奇跡を起こしている

2014年04月09日 | 日記

札幌の家で使っている冷蔵庫は、私と旦那が一緒になった時に買ったもの。

ということは、長男と同い年だから25年になる。

電気代を考えたら買い替えるべきなんだろうなあ…と思いながら、まだまだ働くこの大型家電を手放す事に躊躇していた。

暫く前から音がうるさくなった。もう寿命なんだろうなあ・・・東京に出かける前に旦那とヨドバシカメラに行って、品定めをした。

もし、買い換えるならってね。それでも家族の暮らしを見守り続けてくれた冷蔵庫に愛着があった。

 

それはこんなことがあったせいもある。

古い古い家に住んでいたころ、あの家にはネズミが出た。

油断するといろんなものを持っていかれた。

冬になると寒いのだろう。少しでも暖かい場所を探してネズミが家の奥の方まで入り込んできた。

あるときどうも冷蔵庫のそばによると生臭いにおいが漂ったことがあった。

まわりをみても何もない。でも、異臭は無くならなかった。

旦那と二人で冷蔵庫を動かしたが、裏側にも何もなかった。

それでも動かしたときににおいがひどくなった。

これは何かあると、旦那が思い切って冷蔵庫をひっくり返した。

なんと説明したらいいだろうか、足元のほうから冷蔵庫の中を上の方にのぞいたら、

その外側と内側の隙間に挟まって動けなくなったネズミが死んでいた。

うちの旦那は古い家で育ったため、ネズミの始末ができる。奥の方に居た“ちゅう”を引っ張り出し、

そのあとをきれいに掃除しアルコールで消毒してくれた。

そんな荒っぽいこともされた冷蔵庫だったが、その後故障もなく25年働いてくれた。

今のマンションに引っ越すときに「そういう時に替えるべきなのよ」と方々から言われたが、

なんとなく一緒に引っ越した。

将棋を覚えたてだった末っ子が思い切りよく将棋盤を描いてくれた。

 

 

その冷蔵庫が私が東京に行っているときについに壊れた。

冷蔵部分が冷えなくなった。それでもこやつの偉いところは冷凍部分は動いているところだ。

旦那はキャンプ用のクーラーボックスを引っ張り出し、まだ寒いベランダに置き、冷凍庫で保冷剤を凍らせながら中のものを守っていた。

それもこれも冷蔵庫が全滅しなかったからできたことだ。

長女の卒業式のため東京に来た旦那と、ビックカメラに行き品物を選び、旦那は札幌に戻って新しい冷蔵庫を買いに走った。

消費税が上がる間際の事だった。

当然すぐには届けてもらえず、今はまだベランダのクーラーボックスでしのいでいる。

 

だが、25年頑張ってくれて、今も冷凍庫だけは踏ん張ってくれている、

このあたりだった冷蔵庫に・・・年取ったせいで涙が出てきそうになる。

当時白物家電と言えばHITACHIと思い込んで選んだ。

明日新しい冷蔵庫が届く。  

ちなみに、メーカーはやっぱりHITACHI。

 

 

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