つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

大都会で目にした「目が点」になる出来事

2014年04月25日 | 徒然に、

どことは言わないが、言わずと知れた大きな街でみかけた風景三つ

 

* とても空いた電車内でのこと。

とても空いていたので当然ながら私は座っていた。

途中駅で若い親子が乗ってきて、空いていた前の席に座った。

若いお父さんが2歳になっていないだろう女の子を抱いていた。隣にはお出かけグッズ満載といったバッグを抱えたお母さんがにこにこといた。

若いご夫婦は楽しそうに、にこやかだった。そのうちお父さんに抱かれた女の子が目の前にあった手すりをいじりだし、遊びだした。

それに気がついたお母さんがお父さんにちょっと合図を送り、バッグの中から「お出かけ除菌ウエットティッシュ(?)」をとりだしてお父さんに促した。

何だろうと興味津々みていたら、手すりをふくようにということだった。

お父さん、子どもの手が届く範囲を拭いて最後に手を拭いた。

 

大変だな・・・率直な感想。理解はできる。できるが、みていてあまりいい感じはしなかった。

その親子はそのまま目的の駅で降りて行ったのだが、靴のまま親の膝に座らせ、

涎の始末が必要な子どものための行動であるなら、

最後にもう一度あたりを拭いていけば、周りの共感を得られるのになあと思った。

 

*交通量の多い細い道路で信号待ちをしていたら。

少し先の大きい道路から救急車がやってきた。

車が多かったので、救急車はゆっくり進んでくる。やがて歩行者用信号が青になったが、目と鼻の先まで来ていたので大方の人はその場で待っていた。

それでも進んでこなかったので、リクルートスタイルの若い女の子がさっと走って渡った。

まあ、問題は大きいがまだ理解ができた。

それを観ていてもう一呼吸おいて、まだ来ないと判断したのか若い女の子が横断歩道を渡りだした。

それも、嫌になるほどのんびりゆっくりと・・・道の両側で止まっていた“大人”は総じて息を飲み込んだ。

やっと目の前まで来た救急車が、その様子を確認してさらにスピードを緩めた。

彼女はそれでも急ごうとはしなかった。業を煮やしたのかこちら側にいた年配の男の方が

「何考えてんだ?」と声を上げた。それに対し、彼女は黙ってその場にいたものをなめまわすように睨みつけた。

 

救急車で運ばれた経験がある。

救急隊員のかたは、ああいうときに本当に頼りになる。

あの人たちが嫌にならない世の中であるべきだと思う。

 

*少し混み合った電車の中で。

マラソンランナーが「子どもと一緒に走れます」とよろこんだ、あのごっついベビーカーと乗り込んできた子ども連れがあった。

あのごっついやつを乗り込ませるには、ちょっと折れない心と、頑張れる勇気がいる…感じの車内だった。

そのお母さんはすべてを持ち合わせていたようです。

おまけにベビーカーは荷物運びのカート代わりになっていて、子どもは別に抱かれていた。

これは周りに嫌われる。

案の定、よせばいいのに物申した年配の方がいた。言葉が悪かったんだろう。

思いっきり言い返されていた。いたたまれない空気が車内に流れて、途端にその親子の周りから人がいなくなった感じがした。

 

子育てってそういう事ではないだろうになあと、悲しい気持ちでその様子を眺めた。

ギターやスーツケース、スキー・・・、大きな荷物を電車で運ばなければならない経験は誰でもがある。

子どもは違うが、ベビーカーはその大きな荷物ではないだろうか?

大きな荷物を運ぶときにはどうするか・・・それとおなじ気配りを周りにしたら、

ベビーカーを電車に乗り込ませることに苦情を言う人が少なくなるのではないかと思う。

 

 

 

まあ、年寄りの老婆心・・・私も無我夢中で子育てをしていた時には、周りからいろいろ言われてへたれたことがあった。

あったが、それが経験となっていくというのもわが身が知っている。

だから、嫌われても言わなければならない。

言わなければならないが、これは伝えなければいけないということも、

言葉をよく吟味し選ばなければならない時代に、面倒くさくってどーでもよくなってもいる。

いやいやいかんいかん、頑張らねば!

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする