二つ前の更新で、水泳の池江璃花子さんが発したコメントから感じたことを激情に推し進められて、言葉足らずのまま発信してしまいました
読み返すとこりゃダメだと反省することしきりです
決して彼女へ向けての個人攻撃やバッシングではなく、
若い故に、また彼女のこの一年の壮絶な時間が故に思考が延びない場所があり、
そこに、今の状況の中、
世界に名前を知られる立場の人間が気にしなければならないものがあると私は感じるのです
開催の可否に一選手が何か責務があるかというと、それはありません
選手は力を出すことのみに集中するのが当然と思います
どのように言えばよかったのか、、
何度も何度も考えました
個々の選手の事情や、状況や、夢や思いは関係なく、日本のため、日本国民のためを第一義にしっかりと開催について議論してほしい
その上で出た結論に向かって選手は最大限に努力します
というようなことでよかったのではないでしょうか
そしてこれは一人池江選手だけでなく、全ての参加予定選手が考えて欲しいことです
彼女の場合はあまりにドラマティックな内容に開催へ向けての旗振り役に置かれてその時に忌避していません、しかも、宗教団体もからんでいるという
これは周りの大人に振り回されています
スポーツ選手は指導者やスポンサーの意向を大事にしないとならないのも理解できるけれど、
今何より一番大事にしないとならないのは、欲得なく応援してくれる見ず知らずの人ではないのか、、、
元気をもらえたありがとうという市井の人たちであってほしいと望むのです
現状で自分の夢をその人たちより先にしてはならないと思うのです
そこを踏まえてしっかりとものを考えて発信して欲しいと願うのです
彼女本人は一途な真っ直ぐな思いからだったのだろうと思う
しかしそういうことも飲み込んでいけるのであれば良いが、そうでないのであれば、
黙っているのがよかったと私は感じています