幕府の蝦夷地分領開拓 安政6年(1859年)
安政6年(1859年)幕府は奥羽六藩に蝦夷地の警護を兼ねた蝦夷地分領開拓を命じている。奥羽六藩とは会津、仙台、秋田、庄内、南部、津軽の各藩で、ロシアの樺太南下に伴う脅威に幕府は会津藩、仙台藩、庄内藩、秋田藩に警備を命じた。
会津藩は、大政奉還ののち戊辰戦争で敗退し、青森下北半島に移封されて斗南藩と名乗り、筆舌に尽くしがたい辛苦を舐め、廃藩置県の後は下北に残る者、会津に帰る者などに離散したが、多くの人が北海道にも移住している。
会津藩は北海道東部を分領開拓警備
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