11月3日(金・祝)に毎年恒例、目黒区主催、目黒ウォーキング協会が主管するお鷹狩りウォークが行われました。正式には「第15回記念大会 めぐろウォーキングマーチ 将軍お鷹狩りウォーク」です。
一週間前から天気予報とにらめっこして、前日の判断は「問題なく晴れる」というものでしたが、前夜の雨が思ったより多かったのが想定外でした。それでも雨が上がり暖かいお鷹狩りの朝を迎え、ロングコースのスタッフは8時にスタート地点の日比谷公園に集合しました。
今回はロングコースとショートコース合せて450名の応募があり、ロングコースについては出席率90%くらいあったのではないかと推察しています。先日友好都市となった金沢市からも、石川県ウォーキング協会の方々が20名参加されました。
写真:すこやか歩こう会は中目黒集合
何気なくコインロッカーを見るとすべて使用中になっていました。「ずいぶんと人気があるのだなぁ」と思ってよく見るとトランプ大統領の来日のため使用できなくなっていたのでした。
写真:日比谷公園健康広場
第一回から14回までスタート会場は桜田門だったのですが、今年度から「文化の日に桜田門前広場の団体利用を行わない」という環境省の方針のため、スタート会場を日比谷公園へ変更しました。緑に囲まれてよい会場なのですが、その木々が目隠しとなり皇居が見えないのが少し残念です。
ここからスタートして国会通りを銀座方面へ向かい、外堀通りを土橋でまがり博品館前の交差点から銀座中央通りを新橋方面へ向かいました。新橋交差点にたくさんの警察官が交通規制をしており、イバンカさんが通過した後のようです。この日の都内はいたるところでイバンカ渋滞が発生しており、お鷹狩りのイベントにも少なからず影響がありました。
旧汐留貨物ターミナル跡に整備された汐留シオサイトで、再現された旧新橋停車場を見て、日テレ本社で宮崎駿の日テレ大時計の前を通り、海岸通りを渡って浜離宮恩賜庭園の裏側に出ます。海岸通り沿いを歩き、JRの変電所の先を東へ折れ、劇団四季劇場の前を通り竹芝ふ頭公園に到着しました。
写真:竹芝ふ頭公園からの眺め
ここで15分の休憩を取り、水分補給をします。この日は十月中旬の暖かさということで、長そでシャツの上に目印となる目黒ウォーキング協会の半袖Tシャツを着ていると暑くてオーバーヒートしてしまいそうでした。シャツを脱いで半袖Tシャツ姿でやっと快適になりました。
竹芝ふ頭公園を出発し、古川沿いに川をさかのぼります。新浜崎橋から一の橋までは川沿いの道はないので、川を見ながらのウォーキングはできないのですが、浜崎橋、金杉橋、赤羽橋など、古川に架かる多くの橋の名前が地名というか、場所の名称として使われていることに気づきます。一の橋から二の橋まではかろうじて川を眺めながら歩けるのですが、首都高速道路に覆われてしまっているので景色はいまいちです。二の橋からは麻布通りを歩き古川橋を渡り、西向きへと方向を変える古川に沿って明治通りに沿った一本南側の細い道を西へ向かいます。白金公園で少し足を休めて、狸橋を渡って明治通りへ。狸橋の由来は碑から引用しましょう。
むかし、橋の南西にそば屋があって子どもを背負い手拭をかぶったおかみさんにそばを売ると、そのお金が、翌朝は木の葉になったといいます。麻布七ふしぎの一つで、狸そばと呼んだのが、地名から橋の名になりました。ほかに、江戸城中で討たれた狸の塚があったからともいっています。
麻布區史 麻布区役所 編 p816
江戸時代、このあたりに狸が出たのでしょうか?もっとも人目につかないだけで、現在でも代官山に狸が出没しているようですが。
狸橋を検索して見つけた記事が面白いので、Wikipediaから引用してみましょう。
・1863年(文久3年)の御府内沿革図書によれば、当時まだ古川に橋は少なく、河口より金杉橋、将監橋、赤羽橋、中の橋、一之橋、二之橋、三之橋、四之橋、狸橋の順であり天現寺橋は支流の笄川(こうがいがわ)にかかる橋のみ、古川・渋谷川本流に架かる次の橋は豊沢橋である。
・狸蕎麦は明治になるまで存在し、福澤諭吉がしばしば来店し、1879年(明治12年)には狸橋南岸一帯の土地を買収し別邸を設けた。
・福澤諭吉の門下生・和田義郎が開いた年少者向けの私塾が1880年(明治13年)頃から慶應義塾幼稚舎と呼ばれるようになり、福沢の所有する狸橋南岸の地に移転し、現在に至る。
・1892年(明治25年)に帰国した北里柴三郎は脚気の原因に関する学説などで東大医学部と対立する形となり官途を閉ざされていたが、福沢は北里に狸橋南岸東方の土地を提供し、福沢や森村市左衛門の出資によって土筆ケ岡養生園が開設され、今日の北里研究所・北里大学となった。
天現寺橋で、穏田川、宇田川、渋谷川、笄川、古川の説明をして、広重の富嶽三十六景「穏田の水車」の話をしました。なぜ上流の穏田川に水車を回すほどの水が流れていたのかも、話そうと思っていましたが長くなるのでやめておきました。天現寺橋から外苑西通りを南へ向かい、恵比寿3交差点で西に折れて恵比寿通り。恵比寿社会教育館でトイレをお借りして、恵比寿ガーデンプレイスの前を通り、アメリカ橋を渡りようやく目黒区に突入です。
江戸時代、目黒筋に鷹狩りに来た将軍が立ち寄った「爺が茶屋」があった茶屋坂を下り、ゴールの田道広場公園に到着しました。爺が茶屋自体はWikipediaに項目がないので、目黒不動の記述を一部引用してみます。
落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされる。
勾配20%の坂で歩くには少しつらいのですが、茶屋坂は目黒の歴史を象徴する坂なのです。
写真:目黒ウォーキング協会の旗
写真:記念大会に招へいした鷹匠
今回第十五回の記念大会であるため、すこやか歩こう会会長で目黒ウォーキング協会副会長のW氏が鷹匠を呼ぶことにこだわり、インターネットで探してきた鷹匠茶屋に自ら赴き交渉して、鷹匠の招へいに成功しました。参加者たちはあまり近くで目にすることの無い鷹と鷹匠に大いに喜び、一緒に写真を撮ったりして楽しんでおられたようです。
たくさんの参加者のご協力、主催者である目黒区役所のご尽力に加え、目黒ウォーキング協会からのたくさんのボランティアの懸命な努力のおかげで、私たちの最も重要なイベントが事故もなく終了できたことに感謝するばかりです。ありがとうございました。
写真:完歩証
ゴールした参加者には今年からリニューアルした「完歩証」が手渡されました。裏面には次のように書かれています。
[ロングコース]
将軍お鷹狩りウォークのいわれ
江戸時代の目黒の地域には、駒場原、碑文谷原などと呼ばれていた広大な原野があり、鳥の生息に適した土地で徳川将軍の鷹場がつくられ、代々の将軍は目黒周辺に鷹狩りに来ていました。目黒区では「健康なまちめぐろ」の実現を目指し、ウォーキングによる健康づくりを進めています。江戸開府400年を記念して、平成15年から将軍が鷹狩りを行なったゆかりの地を巡る「将軍お鷹狩りウォーク」が始まりました。深まりゆく首都の秋を満喫しながら歴史と名所に出会いゆっくりとウォーキングを楽しみます。
<今回のコース12km>
日比谷公園~旧新橋停車場~宮崎駿の日テレ大時計~竹芝ふ頭公園~東芝ビル~一の橋~古川橋~白金公園~北里研修所病院~慶応義塾幼稚舎前~恵比寿社会教育館~恵比寿ガーデンプレイス~茶屋坂または新茶屋坂~田道広場公園
[ショートコース]
将軍お鷹狩りウォークのいわれ
江戸時代の目黒の地域には、駒場原、碑文谷原などと呼ばれていた広大な原野があり、鳥の生息に適した土地で徳川将軍の鷹場がつくられ、代々の将軍は目黒周辺に鷹狩りに来ていました。目黒区では「健康なまちめぐろ」の実現を目指し、ウォーキングによる健康づくりを進めています。江戸開府400年を記念して、平成15年から将軍が鷹狩りを行なったゆかりの地を巡る「将軍お鷹狩りウォーク」が始まりました。深まりゆく首都の秋を満喫しながら歴史と名所に出会いゆっくりとウォーキングを楽しみます。
<今回のコース6.6km>
都立芝公園~東京プリンスホテル~東京タワー~赤羽橋~一の橋~フィンランド大使館~有栖川宮記念公園~新富士見坂~天現寺橋~都立広尾病院~恵比寿社会教育館~恵比寿ガーデンプレイス~茶屋坂または新茶屋坂~田道広場公園
また来年、一緒に歩きましょうね!
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
一週間前から天気予報とにらめっこして、前日の判断は「問題なく晴れる」というものでしたが、前夜の雨が思ったより多かったのが想定外でした。それでも雨が上がり暖かいお鷹狩りの朝を迎え、ロングコースのスタッフは8時にスタート地点の日比谷公園に集合しました。
今回はロングコースとショートコース合せて450名の応募があり、ロングコースについては出席率90%くらいあったのではないかと推察しています。先日友好都市となった金沢市からも、石川県ウォーキング協会の方々が20名参加されました。
写真:すこやか歩こう会は中目黒集合
何気なくコインロッカーを見るとすべて使用中になっていました。「ずいぶんと人気があるのだなぁ」と思ってよく見るとトランプ大統領の来日のため使用できなくなっていたのでした。
写真:日比谷公園健康広場
第一回から14回までスタート会場は桜田門だったのですが、今年度から「文化の日に桜田門前広場の団体利用を行わない」という環境省の方針のため、スタート会場を日比谷公園へ変更しました。緑に囲まれてよい会場なのですが、その木々が目隠しとなり皇居が見えないのが少し残念です。
ここからスタートして国会通りを銀座方面へ向かい、外堀通りを土橋でまがり博品館前の交差点から銀座中央通りを新橋方面へ向かいました。新橋交差点にたくさんの警察官が交通規制をしており、イバンカさんが通過した後のようです。この日の都内はいたるところでイバンカ渋滞が発生しており、お鷹狩りのイベントにも少なからず影響がありました。
旧汐留貨物ターミナル跡に整備された汐留シオサイトで、再現された旧新橋停車場を見て、日テレ本社で宮崎駿の日テレ大時計の前を通り、海岸通りを渡って浜離宮恩賜庭園の裏側に出ます。海岸通り沿いを歩き、JRの変電所の先を東へ折れ、劇団四季劇場の前を通り竹芝ふ頭公園に到着しました。
写真:竹芝ふ頭公園からの眺め
ここで15分の休憩を取り、水分補給をします。この日は十月中旬の暖かさということで、長そでシャツの上に目印となる目黒ウォーキング協会の半袖Tシャツを着ていると暑くてオーバーヒートしてしまいそうでした。シャツを脱いで半袖Tシャツ姿でやっと快適になりました。
竹芝ふ頭公園を出発し、古川沿いに川をさかのぼります。新浜崎橋から一の橋までは川沿いの道はないので、川を見ながらのウォーキングはできないのですが、浜崎橋、金杉橋、赤羽橋など、古川に架かる多くの橋の名前が地名というか、場所の名称として使われていることに気づきます。一の橋から二の橋まではかろうじて川を眺めながら歩けるのですが、首都高速道路に覆われてしまっているので景色はいまいちです。二の橋からは麻布通りを歩き古川橋を渡り、西向きへと方向を変える古川に沿って明治通りに沿った一本南側の細い道を西へ向かいます。白金公園で少し足を休めて、狸橋を渡って明治通りへ。狸橋の由来は碑から引用しましょう。
むかし、橋の南西にそば屋があって子どもを背負い手拭をかぶったおかみさんにそばを売ると、そのお金が、翌朝は木の葉になったといいます。麻布七ふしぎの一つで、狸そばと呼んだのが、地名から橋の名になりました。ほかに、江戸城中で討たれた狸の塚があったからともいっています。
麻布區史 麻布区役所 編 p816
江戸時代、このあたりに狸が出たのでしょうか?もっとも人目につかないだけで、現在でも代官山に狸が出没しているようですが。
狸橋を検索して見つけた記事が面白いので、Wikipediaから引用してみましょう。
・1863年(文久3年)の御府内沿革図書によれば、当時まだ古川に橋は少なく、河口より金杉橋、将監橋、赤羽橋、中の橋、一之橋、二之橋、三之橋、四之橋、狸橋の順であり天現寺橋は支流の笄川(こうがいがわ)にかかる橋のみ、古川・渋谷川本流に架かる次の橋は豊沢橋である。
・狸蕎麦は明治になるまで存在し、福澤諭吉がしばしば来店し、1879年(明治12年)には狸橋南岸一帯の土地を買収し別邸を設けた。
・福澤諭吉の門下生・和田義郎が開いた年少者向けの私塾が1880年(明治13年)頃から慶應義塾幼稚舎と呼ばれるようになり、福沢の所有する狸橋南岸の地に移転し、現在に至る。
・1892年(明治25年)に帰国した北里柴三郎は脚気の原因に関する学説などで東大医学部と対立する形となり官途を閉ざされていたが、福沢は北里に狸橋南岸東方の土地を提供し、福沢や森村市左衛門の出資によって土筆ケ岡養生園が開設され、今日の北里研究所・北里大学となった。
天現寺橋で、穏田川、宇田川、渋谷川、笄川、古川の説明をして、広重の富嶽三十六景「穏田の水車」の話をしました。なぜ上流の穏田川に水車を回すほどの水が流れていたのかも、話そうと思っていましたが長くなるのでやめておきました。天現寺橋から外苑西通りを南へ向かい、恵比寿3交差点で西に折れて恵比寿通り。恵比寿社会教育館でトイレをお借りして、恵比寿ガーデンプレイスの前を通り、アメリカ橋を渡りようやく目黒区に突入です。
江戸時代、目黒筋に鷹狩りに来た将軍が立ち寄った「爺が茶屋」があった茶屋坂を下り、ゴールの田道広場公園に到着しました。爺が茶屋自体はWikipediaに項目がないので、目黒不動の記述を一部引用してみます。
落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされる。
勾配20%の坂で歩くには少しつらいのですが、茶屋坂は目黒の歴史を象徴する坂なのです。
写真:目黒ウォーキング協会の旗
写真:記念大会に招へいした鷹匠
今回第十五回の記念大会であるため、すこやか歩こう会会長で目黒ウォーキング協会副会長のW氏が鷹匠を呼ぶことにこだわり、インターネットで探してきた鷹匠茶屋に自ら赴き交渉して、鷹匠の招へいに成功しました。参加者たちはあまり近くで目にすることの無い鷹と鷹匠に大いに喜び、一緒に写真を撮ったりして楽しんでおられたようです。
たくさんの参加者のご協力、主催者である目黒区役所のご尽力に加え、目黒ウォーキング協会からのたくさんのボランティアの懸命な努力のおかげで、私たちの最も重要なイベントが事故もなく終了できたことに感謝するばかりです。ありがとうございました。
写真:完歩証
ゴールした参加者には今年からリニューアルした「完歩証」が手渡されました。裏面には次のように書かれています。
[ロングコース]
将軍お鷹狩りウォークのいわれ
江戸時代の目黒の地域には、駒場原、碑文谷原などと呼ばれていた広大な原野があり、鳥の生息に適した土地で徳川将軍の鷹場がつくられ、代々の将軍は目黒周辺に鷹狩りに来ていました。目黒区では「健康なまちめぐろ」の実現を目指し、ウォーキングによる健康づくりを進めています。江戸開府400年を記念して、平成15年から将軍が鷹狩りを行なったゆかりの地を巡る「将軍お鷹狩りウォーク」が始まりました。深まりゆく首都の秋を満喫しながら歴史と名所に出会いゆっくりとウォーキングを楽しみます。
<今回のコース12km>
日比谷公園~旧新橋停車場~宮崎駿の日テレ大時計~竹芝ふ頭公園~東芝ビル~一の橋~古川橋~白金公園~北里研修所病院~慶応義塾幼稚舎前~恵比寿社会教育館~恵比寿ガーデンプレイス~茶屋坂または新茶屋坂~田道広場公園
[ショートコース]
将軍お鷹狩りウォークのいわれ
江戸時代の目黒の地域には、駒場原、碑文谷原などと呼ばれていた広大な原野があり、鳥の生息に適した土地で徳川将軍の鷹場がつくられ、代々の将軍は目黒周辺に鷹狩りに来ていました。目黒区では「健康なまちめぐろ」の実現を目指し、ウォーキングによる健康づくりを進めています。江戸開府400年を記念して、平成15年から将軍が鷹狩りを行なったゆかりの地を巡る「将軍お鷹狩りウォーク」が始まりました。深まりゆく首都の秋を満喫しながら歴史と名所に出会いゆっくりとウォーキングを楽しみます。
<今回のコース6.6km>
都立芝公園~東京プリンスホテル~東京タワー~赤羽橋~一の橋~フィンランド大使館~有栖川宮記念公園~新富士見坂~天現寺橋~都立広尾病院~恵比寿社会教育館~恵比寿ガーデンプレイス~茶屋坂または新茶屋坂~田道広場公園
また来年、一緒に歩きましょうね!
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
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