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最近の活動では参加者が20名を超えることが多かったのですがこの日はちょっと少なめ16名でした。ウォーキング日和の曇り空でしたが途中からは少し暑くなってきました。
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東京大学教養学部正門
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一号館の時計塔
集合は東大駒場キャンパス正門前、井の頭線の駒場東大前駅が最寄になります。ストレッチをして正門からキャンパスの中へ。
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キャンパス内のイチョウ並木
開校当時「駒場農学校」だったことを確認し、青々と茂った銀杏並木を歩きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/64/88bd1fadf6319fe46ea7005883dc1450.jpg)
駒場公園正門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/53/0a4ff6b36cdc3f120695605e07e1a572.jpg)
旧前田邸洋館
野球場のわきを通り北門で東大を出て西へ、今回は駒場公園に正門から入りました。
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祖霊社跡地
昭和4年(1929年)、前田利為侯爵が駒場に本邸を建設し、同時に霊社が本郷からこの場所に移築されました。古写真や旧平面図から、霊社本殿、幣殿、拝殿、神饌所、参道などがあったことがわかっています。また、手水鉢、灯籠など石造工作物やコンクリートの基礎部分が、現在も残っています。昭和20年(1945年)に終戦となり、ここ本邸は連合国軍に接収され、霊社は解体されることになりましたが、菅原道真公を祖として仰いできた前田家にとって、ゆかりの亀戸天神が空襲により大きな被害を受け、再建される計画を知り、ここにあった拝殿を昭和22年(1947年)に、亀戸天神社に寄進し、ご本殿として生まれ変わりました。昭和30年(1950年)、亀戸天神社御本殿が再建されることとなり、寄進された社は境内の御岳神社のご本殿として、移築されました。月日は流れ昭和51年(1976年)、御岳神社が再建されることとなり、社は解体され境内各所の建築・修理の用材とされました。こうして、霊社の建造物として長い歴史に終止符が打たれました。なお、前田家は菅原家と同じ幼剣梅鉢紋を家紋としています。
菅原道真公(845-903)は、平安時代の貴族であり、学問、政治、文学にも秀で学者として名が高かった。天神様とは、菅原道真公のことで「学問・至誠・厄除けの神様」として、日本全国から崇敬を集めている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/f1/55d298287a810e1ea30b245a21d277dd.jpg)
ケルネル田圃
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トマト
駒場公園南門を出て井の頭線踏切を渡り駒場野公園へ。二週間前と違うところは田植えが済んでいる点。駒場野公園内を通り抜け南へ行くと淡島通り沿いに飛び地になった駒場野公園があり、淡島通り向かいには筑波大学付属中高の門があります。この門が明治時代騎兵第一連隊の門として作られたことを説明しました。またこの場所は目黒区と世田谷区の区界にあたりかつては上目黒村と池尻村の村境で、疫病が村に入ってこないよう上目黒川に締め切り地蔵があり今もお参りする人が絶えません。
淡島通りを東へ進みプラウド駒場の先を右折して大橋通りを南へ向かいます。「御用屋敷跡」の説明看板があるので鷹狩りに来た徳川将軍が休憩する御用屋敷があり、管理していたのが綱差し川井権兵衛で、三週間前に寿福寺でお墓を訪れた権兵衛さんの職場であることを説明します。
さらに南へ向かい公務員住宅の大橋住宅の敷地内にある天覧台を見ます。現在の駒場高校陸上練習場を見下ろすこの場所は練兵場で、明治天皇や大正天皇が訪れて帝国陸軍を閲兵した場所となります。江戸時代は徳川将軍、明治になって天皇陛下がたびたび駒場を訪れていたのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/75/27ddb6c2013eeee42560ef30cd14d6ad.jpg)
ミヤコグサ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/1b/6be480af66c5c1f589d1c65731d461c0.jpg)
オミナエシ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/38/00dfc32c46b9d0106a373f23e723ca16.jpg)
ネジバナ
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春秋共演
玉川通りを横断する歩道橋の上で上目黒氷川神社に富士登山道と浅間神社があることを説明し、クロスエアタワーのエレベーターに乗って目黒天空庭園へ。ミヤコグサは菅刈公園の和風庭園にもありますが鳥が種を運ぶのかな?秋の七草のひとつオミナエシと初夏の花ネジバナが並んで咲いているところが面白くて共演写真をとってみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/39/f2c7572f670efd4ec94c8d38d915be65.jpg)
ヤマボウシ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/d7/11b5b0ecfa150bc0c3f2433c9299e870.jpg)
ブドウ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/6a/cf7e5019e58876a7e0ed454d7b1a4e15.jpg)
ハマナス
エアクロスタワーをバックにヤマボウシの風景はいかにも天空庭園らしい風景です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/96/568b6d68082ada7eacf68f411f901ac4.jpg)
猿楽神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/07/5d7cb60ba1d7aa72a7416e179b2e958d.jpg)
旧山手通りのジャガランダ
目黒川沿いを歩き山手通りを横断して菅刈公園。坂を上り西郷山公園を見て旧山手通りを南東に向かいます。猿楽神社は代官山ヒルサイドテラス内にある古墳です。頼朝がこの場所で猿楽を催しその道具を埋めたので猿楽塚と聞いたことがあるのですがその説は最近見かけません。この先代官山交番近くで元富士の説明をしてさらに南西に向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/36/44aec39f42634fcfc5c87e47c562cb0d.jpg)
別所坂公園
鎗ヶ崎交差点から目黒区渋谷区の区界になる路地を南下してゆきます。私が代官山山脈と呼んでいる淀橋台地の縁が鑓のように狭くなっていたのが鎗ヶ崎で、最初はトンネルが掘られました。路面電車玉川線を通すにあたりトンネルを崩し切通しにしたので、渋谷川の谷と目黒川の谷を行き来するには比較的坂がゆるい通りとなりました。
別所坂公園が目黒新富士であることを説明し富士コースは終了となります。ストレッチをして解散。
めぐろウォーキング塾の地区ウォークはこの日が最後となるので塾生もお誘いして鳥元でランチを食べながら懇談しました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
参加を希望される方はご一報ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/52/edeff3ba7dec55fd0283691afa06537b.jpg)
東京大学教養学部正門
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一号館の時計塔
集合は東大駒場キャンパス正門前、井の頭線の駒場東大前駅が最寄になります。ストレッチをして正門からキャンパスの中へ。
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キャンパス内のイチョウ並木
開校当時「駒場農学校」だったことを確認し、青々と茂った銀杏並木を歩きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/64/88bd1fadf6319fe46ea7005883dc1450.jpg)
駒場公園正門
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旧前田邸洋館
野球場のわきを通り北門で東大を出て西へ、今回は駒場公園に正門から入りました。
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祖霊社跡地
昭和4年(1929年)、前田利為侯爵が駒場に本邸を建設し、同時に霊社が本郷からこの場所に移築されました。古写真や旧平面図から、霊社本殿、幣殿、拝殿、神饌所、参道などがあったことがわかっています。また、手水鉢、灯籠など石造工作物やコンクリートの基礎部分が、現在も残っています。昭和20年(1945年)に終戦となり、ここ本邸は連合国軍に接収され、霊社は解体されることになりましたが、菅原道真公を祖として仰いできた前田家にとって、ゆかりの亀戸天神が空襲により大きな被害を受け、再建される計画を知り、ここにあった拝殿を昭和22年(1947年)に、亀戸天神社に寄進し、ご本殿として生まれ変わりました。昭和30年(1950年)、亀戸天神社御本殿が再建されることとなり、寄進された社は境内の御岳神社のご本殿として、移築されました。月日は流れ昭和51年(1976年)、御岳神社が再建されることとなり、社は解体され境内各所の建築・修理の用材とされました。こうして、霊社の建造物として長い歴史に終止符が打たれました。なお、前田家は菅原家と同じ幼剣梅鉢紋を家紋としています。
菅原道真公(845-903)は、平安時代の貴族であり、学問、政治、文学にも秀で学者として名が高かった。天神様とは、菅原道真公のことで「学問・至誠・厄除けの神様」として、日本全国から崇敬を集めている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/f1/55d298287a810e1ea30b245a21d277dd.jpg)
ケルネル田圃
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/dd/62589ac6ebb09c995ae9755724b0fa41.jpg)
トマト
駒場公園南門を出て井の頭線踏切を渡り駒場野公園へ。二週間前と違うところは田植えが済んでいる点。駒場野公園内を通り抜け南へ行くと淡島通り沿いに飛び地になった駒場野公園があり、淡島通り向かいには筑波大学付属中高の門があります。この門が明治時代騎兵第一連隊の門として作られたことを説明しました。またこの場所は目黒区と世田谷区の区界にあたりかつては上目黒村と池尻村の村境で、疫病が村に入ってこないよう上目黒川に締め切り地蔵があり今もお参りする人が絶えません。
淡島通りを東へ進みプラウド駒場の先を右折して大橋通りを南へ向かいます。「御用屋敷跡」の説明看板があるので鷹狩りに来た徳川将軍が休憩する御用屋敷があり、管理していたのが綱差し川井権兵衛で、三週間前に寿福寺でお墓を訪れた権兵衛さんの職場であることを説明します。
さらに南へ向かい公務員住宅の大橋住宅の敷地内にある天覧台を見ます。現在の駒場高校陸上練習場を見下ろすこの場所は練兵場で、明治天皇や大正天皇が訪れて帝国陸軍を閲兵した場所となります。江戸時代は徳川将軍、明治になって天皇陛下がたびたび駒場を訪れていたのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/75/27ddb6c2013eeee42560ef30cd14d6ad.jpg)
ミヤコグサ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/1b/6be480af66c5c1f589d1c65731d461c0.jpg)
オミナエシ
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ネジバナ
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春秋共演
玉川通りを横断する歩道橋の上で上目黒氷川神社に富士登山道と浅間神社があることを説明し、クロスエアタワーのエレベーターに乗って目黒天空庭園へ。ミヤコグサは菅刈公園の和風庭園にもありますが鳥が種を運ぶのかな?秋の七草のひとつオミナエシと初夏の花ネジバナが並んで咲いているところが面白くて共演写真をとってみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/39/f2c7572f670efd4ec94c8d38d915be65.jpg)
ヤマボウシ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/d7/11b5b0ecfa150bc0c3f2433c9299e870.jpg)
ブドウ
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ハマナス
エアクロスタワーをバックにヤマボウシの風景はいかにも天空庭園らしい風景です。
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猿楽神社
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旧山手通りのジャガランダ
目黒川沿いを歩き山手通りを横断して菅刈公園。坂を上り西郷山公園を見て旧山手通りを南東に向かいます。猿楽神社は代官山ヒルサイドテラス内にある古墳です。頼朝がこの場所で猿楽を催しその道具を埋めたので猿楽塚と聞いたことがあるのですがその説は最近見かけません。この先代官山交番近くで元富士の説明をしてさらに南西に向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/36/44aec39f42634fcfc5c87e47c562cb0d.jpg)
別所坂公園
鎗ヶ崎交差点から目黒区渋谷区の区界になる路地を南下してゆきます。私が代官山山脈と呼んでいる淀橋台地の縁が鑓のように狭くなっていたのが鎗ヶ崎で、最初はトンネルが掘られました。路面電車玉川線を通すにあたりトンネルを崩し切通しにしたので、渋谷川の谷と目黒川の谷を行き来するには比較的坂がゆるい通りとなりました。
別所坂公園が目黒新富士であることを説明し富士コースは終了となります。ストレッチをして解散。
めぐろウォーキング塾の地区ウォークはこの日が最後となるので塾生もお誘いして鳥元でランチを食べながら懇談しました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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すこやか歩こう会活動スケジュール
参加を希望される方はご一報ください。
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