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7月8月の夏バージョンの短いコースから、9月に徐々に距離を伸ばし10月になり長いコースが多くなってきます。今回はその第一弾で、中目黒を出発し恵比寿、青山墓地、国立競技場、明治神宮を通り、代々木公園に至るコースです。
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写真:目黒川舟入場
徐々にというにはまだ早いですが、さくらは一部で紅葉が始まっています。このあたりの目黒川は潮の満ち干の影響があるのですが、この時間満潮の様でいつになく水が多い。川面を注意深く眺めていると、ボラのような小魚が光っていました。
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写真:別所坂
別所の反対語は本郷。別所とは新たに開発された場所です。村の人口が増えてきて新田開発の必要があったのか、目黒川に護岸をして従来河原だった場所が開発されたのか。別所という地名は日本各地で見ることが出来ます。
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写真:馬頭観世音
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写真:道しるべ
この道の由来が馬頭観世音の説明ととも書いてあるので、引用してみましょう。
馬頭観世音
恵比寿南三丁目9番7号
このお堂に、馬頭観世音菩薩がおまつりしてあります。縁起によると、享保四(一七一九)年。このあたりに悪病が流行し、これを心配した与右衛門という人が馬頭観音に祈って悪病を退散させました。その御礼に石で観音をつくり。祐天寺の祐海上人に加持祈祷を願い、原(当時、このあたりを原といった)の中程に安置した、と伝えています。そして村の人は毎年二回、百万遍念佛を唱え祈願したので、その後、このあたりに悪病は流行せず、住民は幸福に暮らしたとのことです。
この道は目黒・麻布を経て江戸市内に入る最短の道で、急な別所坂を下りると目黒川が流れ、すぐ近くに正覚寺があります。別所坂上には庚申塔(六基)と、広重が江戸名所百景に画いた「目黒新富士」などの旧跡があり、昔の主要道路であったことがわかります。
渋谷区教育委員会
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写真:蔵
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写真:恵比寿駅アトレ
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写真:恵比寿像
この蔵は以前は目立たなかったのですが、隣の建物を壊したので蔵の様子がよくわかるようになりました。恵比寿駅前には二棟目のアトレが建ち、ますます人を集めています。昔の記憶と変わらないのは恵比寿像と交番と、公衆トイレかな。
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写真:渋谷川
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写真:明治通り
渋谷川を越えるといよいよ江戸御府内に。明治通りのあたりまで以前は渋谷川の河原だったのでしょう。ここから淀橋台への上り坂。
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写真:渋谷区立広尾小学校
モダンな建物で、うまく写真に撮れなかったのですが校章の下のガラス窓はステンドグラスになっています。国の有形登録文化財に指定された理由を小学校のホームページから引用してみましょう。
東京都生活文化局資料を要約すると、指定の理由は以下の通りである。
現在渋谷区となっているこの一帯は、江戸時代はのどかな風景であった。「名所江戸百景」の一つとして「広尾の川」を広重が描いている。明治・大正と時を経て東京都豊多摩郡渋谷町となった頃は、地域の人口があふれ、渋谷町は人口急増地帯となり、大正4年には広尾小を含め3校が建設され、町の財政は火の車であった。
広尾小学校は大正5年の創立で開校式典を挙行した5月21日を開校記念日としている。
昭和3年3月3日、明治通りにあった校舎は不審火のために全焼した。そこで昭和7年、関東大震災後の復興建築のひとつとして、耐震・耐火の鉄筋コンクリート造りの校舎が上智の丘に建設された。この校舎には次のような特徴が認められる。
① インターナショナル・スタイル(国際建築様式)で機能主義的な校舎であること。
② 表現主義デザインの施された校舎であること。
③ コの字型の校舎配置の東北隅部に高い塔をあげていること。この塔は渋谷消防署上智出張所の望楼である(昭和22年まで使用された)。
この望楼と玄関まわりに装飾がある。
この校舎建て替えの際の校長は、第3代の赤崎等校長であった。赤崎校長は、鹿児島師範附属小で県下に有名であったが、大正10年12月から昭和20年まで、24年6か月の長きにわたって広尾小の経営にあたった。当時の卒業生の語るところによると、正規の授業のあと、児童全員が教室・廊下・階段・講堂・校庭を1時間半位毎日掃除をやる。いったん家へ夕食に帰り、また学校に来て夜9時、遅いときは11時頃まで補習授業をした。「おそうじ学校」「ちょうちん学校」と広尾小のことを世間で言ったそうである。
校舎の北側に道路一つ隔てて、旧沼田藩主・土岐子爵の邸があった。南面に校舎が建つのに、土岐子爵は率先して付近の住民とともに校舎建設に協力・援助を惜しまなかった。その後何かと広尾小のために尽くされた。このため、昭和50年代初頭まで、広尾小の公式行事には、渋谷区長より上座に土岐氏の席が設けられていた。
昭和50年頃になっても、赤崎校長のとなえた「広尾魂」は脈々と生き続け、知力・体力・気力・協力におきかえ、教育充実のためのモットーとする気概が学校に残っていた。この頃の学校規模は、22学級、心障学級2,児童766人であった。
現在、学校の周辺は常陸宮邸、國學院大學、実践女子学園、常磐松小、広尾中、広尾高校、渋谷図書館、温故学会(塙保己一の「群書類従」版木=国の重要無形文化財=を保管している)がある。
筆者:渋谷区立広尾小学校 第10代校長 松本 武(日本学校図書館学会顧問、世田谷区在住)
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写真:広尾高校
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写真:塙保己一資料館
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写真:渋谷氷川神社
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写真:國學院大學
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写真:実践女子学園
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写真:常陸宮邸
ウォーキングを始めて資料館の前を通るようになり、初めて塙保己一の名を知りました。ヘレンケラーが「塙先生のことを知ったおかげで障害を克服することができた」と言ったと聞いて、「すごい人なのかな」という印象を持ちました。ヘレンケラーのことは小学生のころから知っているけど、塙保己一のことはいつごろ習ったのでしょうね。
渋谷氷川神社は三島由紀夫の小説豊饒の海第二巻「奔馬」に國學院大學とともに出てきます。
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写真:六本木通りの事故現場
通りがかった時は負傷者が救急車へ運ばれていました。六本木通りを通行中のトラックと乗用車の直進と右折車の事故とのこと。日本コカ・コーラ本社の電飾看板にトラックが突っ込んだとニュースになっていましたが、幸い車に乗っていた四名の軽症者を出したのみで通行人は巻き込まれなかったようです。ここで信号待ちをしていたらと思うと、怖いですね。
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写真:南青山六丁目
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写真:根津美術館
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写真:外苑西通りの大きな谷
通りの名前がわからないので「根津美術館の通り」と呼んでいます。外苑西通りを陸橋で越えてゆくのですが、かなりの高低差があり考えると不思議な光景です。調べてみるとこれは笄川が浸食して作った谷のようです。
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写真:青山墓地
墓地の中を歩いて、管理事務所のあたりでトイレ休憩を取りました。ここに公営墓地が設けられたのは明治になってからですが、墓地を見るだけでも様々な近代史が語れそうです。
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写真:神宮外苑銀杏並木
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写真:ヤクルト戦の席取り
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写真:神宮球場
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写真:新国立競技場
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写真:明治神宮外苑
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写真:新国立競技場
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写真:東京体育館
300メートルにわたり146本の銀杏が植えられており、四年に一回剪定作業が行われます。その際、青山通り側の銀杏は高く、絵画館よりは低く剪定され、遠近法の錯覚を利用し絵画館がより遠くに見えるようになっています。
1964年の東京オリンピックで男子体操団体が金メダルを取ったのが東京体育館ですが、現在の建物は1990年に落成した二代目です。設計は槇文彦さん。
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写真:明治神宮
北参道から入り、お参りしましたが、拝殿は現在修復作業中です。2020年に百周年を迎えるため、いたるところで修復作業が進行中です。「白岳しろ」のコモ樽を見て、初めて日本酒だけではないことに気づきました。「久米仙」などは気づいていたのですが、その時はそれが焼酎であることが頭に浮かばなかったので。このコモ樽は202個あるそうで、興味のある方は数えてみてください。
清正の井を水源とする隠田川支流の橋を渡り、南参道を出て代々木公園原宿門で場所をお借りしてストレッチをして解散しました。
その後渋谷まで歩いて山家で反省会。久しぶりに長い距離を歩き、ビールがおいしかったのでついつい飲みすぎ。反省すべきは飲みすぎの方でした。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
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写真:目黒川舟入場
徐々にというにはまだ早いですが、さくらは一部で紅葉が始まっています。このあたりの目黒川は潮の満ち干の影響があるのですが、この時間満潮の様でいつになく水が多い。川面を注意深く眺めていると、ボラのような小魚が光っていました。
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写真:別所坂
別所の反対語は本郷。別所とは新たに開発された場所です。村の人口が増えてきて新田開発の必要があったのか、目黒川に護岸をして従来河原だった場所が開発されたのか。別所という地名は日本各地で見ることが出来ます。
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写真:馬頭観世音
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写真:道しるべ
この道の由来が馬頭観世音の説明ととも書いてあるので、引用してみましょう。
馬頭観世音
恵比寿南三丁目9番7号
このお堂に、馬頭観世音菩薩がおまつりしてあります。縁起によると、享保四(一七一九)年。このあたりに悪病が流行し、これを心配した与右衛門という人が馬頭観音に祈って悪病を退散させました。その御礼に石で観音をつくり。祐天寺の祐海上人に加持祈祷を願い、原(当時、このあたりを原といった)の中程に安置した、と伝えています。そして村の人は毎年二回、百万遍念佛を唱え祈願したので、その後、このあたりに悪病は流行せず、住民は幸福に暮らしたとのことです。
この道は目黒・麻布を経て江戸市内に入る最短の道で、急な別所坂を下りると目黒川が流れ、すぐ近くに正覚寺があります。別所坂上には庚申塔(六基)と、広重が江戸名所百景に画いた「目黒新富士」などの旧跡があり、昔の主要道路であったことがわかります。
渋谷区教育委員会
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写真:蔵
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写真:恵比寿駅アトレ
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写真:恵比寿像
この蔵は以前は目立たなかったのですが、隣の建物を壊したので蔵の様子がよくわかるようになりました。恵比寿駅前には二棟目のアトレが建ち、ますます人を集めています。昔の記憶と変わらないのは恵比寿像と交番と、公衆トイレかな。
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写真:渋谷川
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写真:明治通り
渋谷川を越えるといよいよ江戸御府内に。明治通りのあたりまで以前は渋谷川の河原だったのでしょう。ここから淀橋台への上り坂。
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写真:渋谷区立広尾小学校
モダンな建物で、うまく写真に撮れなかったのですが校章の下のガラス窓はステンドグラスになっています。国の有形登録文化財に指定された理由を小学校のホームページから引用してみましょう。
東京都生活文化局資料を要約すると、指定の理由は以下の通りである。
現在渋谷区となっているこの一帯は、江戸時代はのどかな風景であった。「名所江戸百景」の一つとして「広尾の川」を広重が描いている。明治・大正と時を経て東京都豊多摩郡渋谷町となった頃は、地域の人口があふれ、渋谷町は人口急増地帯となり、大正4年には広尾小を含め3校が建設され、町の財政は火の車であった。
広尾小学校は大正5年の創立で開校式典を挙行した5月21日を開校記念日としている。
昭和3年3月3日、明治通りにあった校舎は不審火のために全焼した。そこで昭和7年、関東大震災後の復興建築のひとつとして、耐震・耐火の鉄筋コンクリート造りの校舎が上智の丘に建設された。この校舎には次のような特徴が認められる。
① インターナショナル・スタイル(国際建築様式)で機能主義的な校舎であること。
② 表現主義デザインの施された校舎であること。
③ コの字型の校舎配置の東北隅部に高い塔をあげていること。この塔は渋谷消防署上智出張所の望楼である(昭和22年まで使用された)。
この望楼と玄関まわりに装飾がある。
この校舎建て替えの際の校長は、第3代の赤崎等校長であった。赤崎校長は、鹿児島師範附属小で県下に有名であったが、大正10年12月から昭和20年まで、24年6か月の長きにわたって広尾小の経営にあたった。当時の卒業生の語るところによると、正規の授業のあと、児童全員が教室・廊下・階段・講堂・校庭を1時間半位毎日掃除をやる。いったん家へ夕食に帰り、また学校に来て夜9時、遅いときは11時頃まで補習授業をした。「おそうじ学校」「ちょうちん学校」と広尾小のことを世間で言ったそうである。
校舎の北側に道路一つ隔てて、旧沼田藩主・土岐子爵の邸があった。南面に校舎が建つのに、土岐子爵は率先して付近の住民とともに校舎建設に協力・援助を惜しまなかった。その後何かと広尾小のために尽くされた。このため、昭和50年代初頭まで、広尾小の公式行事には、渋谷区長より上座に土岐氏の席が設けられていた。
昭和50年頃になっても、赤崎校長のとなえた「広尾魂」は脈々と生き続け、知力・体力・気力・協力におきかえ、教育充実のためのモットーとする気概が学校に残っていた。この頃の学校規模は、22学級、心障学級2,児童766人であった。
現在、学校の周辺は常陸宮邸、國學院大學、実践女子学園、常磐松小、広尾中、広尾高校、渋谷図書館、温故学会(塙保己一の「群書類従」版木=国の重要無形文化財=を保管している)がある。
筆者:渋谷区立広尾小学校 第10代校長 松本 武(日本学校図書館学会顧問、世田谷区在住)
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写真:広尾高校
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写真:塙保己一資料館
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写真:渋谷氷川神社
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写真:國學院大學
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写真:実践女子学園
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写真:常陸宮邸
ウォーキングを始めて資料館の前を通るようになり、初めて塙保己一の名を知りました。ヘレンケラーが「塙先生のことを知ったおかげで障害を克服することができた」と言ったと聞いて、「すごい人なのかな」という印象を持ちました。ヘレンケラーのことは小学生のころから知っているけど、塙保己一のことはいつごろ習ったのでしょうね。
渋谷氷川神社は三島由紀夫の小説豊饒の海第二巻「奔馬」に國學院大學とともに出てきます。
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写真:六本木通りの事故現場
通りがかった時は負傷者が救急車へ運ばれていました。六本木通りを通行中のトラックと乗用車の直進と右折車の事故とのこと。日本コカ・コーラ本社の電飾看板にトラックが突っ込んだとニュースになっていましたが、幸い車に乗っていた四名の軽症者を出したのみで通行人は巻き込まれなかったようです。ここで信号待ちをしていたらと思うと、怖いですね。
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写真:南青山六丁目
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写真:根津美術館
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写真:外苑西通りの大きな谷
通りの名前がわからないので「根津美術館の通り」と呼んでいます。外苑西通りを陸橋で越えてゆくのですが、かなりの高低差があり考えると不思議な光景です。調べてみるとこれは笄川が浸食して作った谷のようです。
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写真:青山墓地
墓地の中を歩いて、管理事務所のあたりでトイレ休憩を取りました。ここに公営墓地が設けられたのは明治になってからですが、墓地を見るだけでも様々な近代史が語れそうです。
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写真:神宮外苑銀杏並木
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写真:ヤクルト戦の席取り
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写真:神宮球場
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写真:新国立競技場
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写真:明治神宮外苑
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写真:新国立競技場
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写真:東京体育館
300メートルにわたり146本の銀杏が植えられており、四年に一回剪定作業が行われます。その際、青山通り側の銀杏は高く、絵画館よりは低く剪定され、遠近法の錯覚を利用し絵画館がより遠くに見えるようになっています。
1964年の東京オリンピックで男子体操団体が金メダルを取ったのが東京体育館ですが、現在の建物は1990年に落成した二代目です。設計は槇文彦さん。
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写真:明治神宮
北参道から入り、お参りしましたが、拝殿は現在修復作業中です。2020年に百周年を迎えるため、いたるところで修復作業が進行中です。「白岳しろ」のコモ樽を見て、初めて日本酒だけではないことに気づきました。「久米仙」などは気づいていたのですが、その時はそれが焼酎であることが頭に浮かばなかったので。このコモ樽は202個あるそうで、興味のある方は数えてみてください。
清正の井を水源とする隠田川支流の橋を渡り、南参道を出て代々木公園原宿門で場所をお借りしてストレッチをして解散しました。
その後渋谷まで歩いて山家で反省会。久しぶりに長い距離を歩き、ビールがおいしかったのでついつい飲みすぎ。反省すべきは飲みすぎの方でした。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
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