平成12年頃までお客さまに進呈していた竹製のうちわ
当時のうちわを希望者に差し上げます。先着50名様まで
*職人さんの手により一つ一つ丁寧に作られたものです。
16日、仏様はナスの牛に乗ってゆっくりと帰って行きました。
娘が小さい頃、義母が盆棚の供物の一部や精進揚げ等を新聞紙に包んで
わが家の下を流れる川へ橋の上からポ~ンと投げる時に
「秋の彼岸にござれよ~~」と言ったのだとか。
その時から、この一大イベントのことを、娘は『ござれよ』と言っている。
その『ござれよ』のこと、義母はもうすっかり忘れていたようなので、
「あら、今日はござれよの日だわね~」
と言いながら仏壇にお供えしたものをかき集め、ゴミ箱の中にポ~~ンと。
川に流すのは躊躇われるので、超簡単に家の中で済ませた。
13日
義姉の家族(義姉、長女とその旦那様、孫二人)と義弟が泊まり、
4人家族が倍以上の10人に膨れ上がり、
娘が腕をふるって作ってくれたカニピラフ、唐揚げ、米ナスミートソースチーズ焼き、
パンプキンスープ、ポテトサラダなどなどが
キンキンに冷えた生ビールと共にあっという間にすっぱりときれいに片づいた。
珍しくビールを飲まないわが家の夫の運転で皆が温泉へ行ってる間、
私は後片付けを途中で切り上げ、義母と一緒にお風呂に入り、
髪の毛を洗ってあげて、背中を流してあげて、
足がふらつくというので、ちゃんと着替えるまで油断できない。
その後、実家の弟が持ってきてくれた山ほどの枝豆をゆでながらの後片付けは、
11時近くまでかかった。
枝豆は枝から切り落とす(花ばさみを使って)のも、きれいな緑色にゆでるのも時間がかかる。
アルバイト(家庭教師)から帰って来た娘が、
今日は足が棒のようになった。お母さんもよくやってたね~と言ってくれたが、
「お母さんは、今まで一人でお店番しながら台所もやってたんだよ。」
14日
朝食後、義母と私を除くみんなでお墓参り。
その後、カルタやブーメランづくり等暫し遊んだ後、義姉の家族は帰って行った。
義姉の孫たち、ようやく慣れてきたところなので、
特に4歳のお兄ちゃんは、「もう一つ泊まりた~い」って、泣いちゃって…
私のパソコンで遊んだ「トミカ」今度は直ぐ出せるように、お気に入りに入れといたからね~。
昨日わが家へ到着後、夕食までの間、
親子4人で市内にある“ペップキッズ”で思う存分遊んだのもいい思い出になったようだ。
<14日の夕食>
焼き肉パーティ
11日、12日、13日と3日続けて私と一緒にお風呂に入った義母、
今日は入りたくないという。
しかし、
お薬が効いているのか、顔の表情も話すことも大分改善されてきているのは確かである。
15日
特記すべきようなことはなかったかも。
お店が忙しく、バタバタとしていたのかな。
<15日の夕食>
海老チリ、とりご飯、蒸しナスその他
16日
今年も仙台のIさん(83歳)がお出でになった。
家を朝の7時に出て、バス、新幹線、バスを乗り継いでわが家へ。
両手に大きな紙袋を提げて。
片方にお墓用の生花と仙台の水。
もう片方には仙台名物のお土産(ささかまぼこ、三色最中等いっぱいと本日の河北新報)を。
因みに、Iさんは我が家の親戚にあらず。
なのだが、もう親戚の叔父さんみたいな関係かな~。
若いころに某ホテルの支配人だったIさん。とっても律儀な方だ。
私たち夫婦も、新婚の頃、Iさんのお世話でそのホテルに泊まったことがある。
お墓から戻って来るのを待って、冷たいお茶とスイカと枝豆を出してあげて、
汗っかきのIさん、ハンカチで額を拭きながらと~っても喜んでくれた。
7月にお腹の調子が悪くなり検査入院したらしく、
その間に、庭で育てていた野菜たちが枯れてしまったんだとか。
新鮮な野菜が手に入ったら、お酒やあま酒と一緒に送ってあげましょう。
一通りお話をした後、Iさん、義弟の車に送られて帰って行った。
また来年会いましょう!!
水はありますから、お花だけでいいんですよ。
*13日から今日まで3食昼寝付きの義弟、
私の頼み事は何でも聞いてくれるので助かります。
明日から出勤らしいので、明日も早起きして朝食を作らなければ…
明日夜はm子さんのマッサージを予約した。
3日に続いて今月2回目、もう少し頑張ろう。
加登屋酒店HPはこちら
加登屋酒店HP こちらもどうぞ。『酒・黒澤 明』『貴醸酒』
かとや分室の状差しはこちら