今にも雨が降り出しそうな空模様の郡山駅前西口広場
あの緊急入院(ちとオーバーかな?)からちょうど2年。
この日は3か月ぶりの採血検査のため、水郡線谷田川駅から郡山駅まで。
郡山駅からシャトルバスに乗り換えて病院へ。10分もしないで到着します。
シャトルバスを待っている間にあちこち写してみました。
↑ 県内で一番高いビルのビッグアイ(地下1階、地上24階)
小さい子を遊ばせるにはもってこいの郡山ふれあい科学館スペースパークや
私の大好きなプラネタリウムもあります。
タクシー乗り場の向こう側に見えるのは、アティ郡山。
いつごろか西武デパートがなくなり、今はヨドバシカメラなどが入っています。
GReeeeNをご存知でしょうか?
奥羽大学在籍中に結成されたボーカルメンバー。
↑と↓はGReeeeNのメンバー4人の手形です。
で、↓が今日の本題に関する画像です。
↑ 安積疏水麓山の飛瀑を復元 野外ステージにもなっています
↓ こちら本物の安積疏水麓山の飛瀑
郡山市公式ウェブサイト「日本遺産」の代表する構成文化財 よりお借りしました
女子高時代、帰宅途中に寄った麓山公園、土俵が目にとまりました。
松林の中の土俵、初めて来た公園なのに、いつかどこかで見たことのある光景です。
目を閉じ記憶をたどってみると・・・松林、土俵、更に滝のようなものも。
喧騒の中、父の背中で相撲を見ている3歳くらいの小さな女の子。
次第に記憶が蘇ります。
あっ、父の背中で相撲を見ていたあの場所は、ここ麓山公園だったのか。
麓山公園での出来事からもう50年以上経ちましたが、
あの時の何とも言えない鳥肌の立つような不思議な感動、喜びを今でも覚えております。
夢ではなく実際の話なのです。
それにしても、何故、父は幼い私を連れて相撲を見に行ったのでしょう?
ひょっとして、↓の準備期間だったのか?
この何年か後、私が小学性の頃、神社の境内で相撲大会が行われ(地方巡業というのでしょうか)
本当のお相撲さん達が来られました。
この年、我が家ではお相撲さんのために、お風呂を改修したり・・・
テレビが一般家庭に普及していないあの頃、大人たちにとっては、一大イベントだったのでしょうね。
初代若乃花全盛時代のことでした。
<追記> この日の採血検査結果は異常なし。 歩数計は12,893歩でした。
加登屋酒店HP こちらもどうぞ。
安心されたことでしょう。
幼いころの相撲の想い出でしたね。
ご実家は、巡業のお相撲さんたちがお風呂をつかったのですね。驚きました。
めったにできることではないでしょうね。
しかも初代の若乃花とは!
幼少時の記憶というのは面白い残り方をしますね。
なにか濃い霧に包まれたような。
晴れていく過程がまた面白いですね。
たまにありますよ。
次回は3ヶ月後になります。
訂正致します。若乃花はおいでになってません。
田舎ですから、多分番付表の下の方の人たちだったのではないかと。
全部で何人だったのかも憶えてませんが、お風呂は何件かに分散して、我が家には2,3人だったと思います。
この相撲大会、知り合いがお相撲さんと親しくしていて、そんな関係で実現したのだと思います。
2,3歳ころの人形焼の思い出もあるんですよ。
満州はお父様のお仕事関係でですか?帰国される時は大変だったでしょう。
記憶は断片的なので、それが繋がって一つのストーリーになると、その喜びは何とも言えませんね。
やはり3歳くらいの時の人形焼の思い出がありますので、この間浅草寺へ行った時のお土産は、もちろん人形焼でした。
血液検査の結果がよくて安心しました。
日ごろの運動も効果があるのかもしれませんね。
頑張ってください。
栃若時代。力道山。これだけはテレビも許されました。
懐かしい思い出です。
2-3歳の思いでは・・・おぼてないわ(笑)
2年間ずっと続けているウォーキングとテレビ体操のお陰と思います。
ストレッチもやればもっといいんですけど。
あ~、栃若時代、そう言いましたね。続いて柏鵬時代かな?
朝潮や若秩父も目立った存在でしたね。
幼い頃の記憶を辿ってみてください。
新しい発見があるかも知れませんよ。そして何より頭の中も気分もスッキリします。