
実家の母の25回目の命日でした。
命日を○○回目と数えるのかどうかは分かりませんが、
23回忌は済んでますので、一応25回目。
因みに、25という数字は娘の年齢と同じです。
娘が生まれて丁度1ヶ月後に母が逝きましたので。
娘の年齢を数えると必ず
あれからもう25年か・・・などとしみじみ思うわけです。
実家方面に向かう途中、くっきりとした虹が・・・
↑ 国道49号線沿いで一枚目をパチリと。

↑ 二枚目は、市道に入ってから。
駅前方向ですので、右側に先日「かな書展」のあったビッグアイも見えます。

↑ 三枚目は実家のすぐ近くです。
ビッグアイの後ろ側に建設中の高層マンションが見えます。

↑ お墓から工業団地方面を。戦時中、軍の飛行場だった所です。
1962年に新産業都市に指定され、昭和40年代から多くの企業が進出してきました。
あれから40年。バブル崩壊後は撤退する企業、工場が相次ぎました。
西部工業団地もありますが、そちらはどうでしょうか。

↑ 行合寺境内の大銀杏です。
見上げると沢山のイチョウがなってました。
喜多方市長床の大銀杏はこちら
お時間ありましたら旧ブログ「山茶花の咲く頃に」もお読み下さいね。

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久々にこんなクッキリとした綺麗な虹を見たような気がします。
いっこんまさんの普段の行いの賜物ですな♪
実家のお母さんが逝かれて25回目ですか。
そして娘さんの年と同じって、やっぱり何か因縁めいたものを感じますね。
娘さんの年を数えるとお母さんの逝かれた年で…あれから25年、いろんな事があったでしょうね。
喜多方の長床の大銀杏、今年は行かなかったんですけど…行けば良かった^^;
強く思いが感じられることでしょう。
虹が見えましたか・・
秋の空から冬の空へ変わっていくような色ですね。
きれいではあるけれど。
寂しいような。・・
銀杏、ひろいましたか(笑)
本当にそれは、お嬢様の成長と重ねてみてしまいますね。
お嬢様は、あの旅行にいっしょに行かれた方かしら?
お元気なのですよね・・・。
虹・・・。なんて美しいんでしょう。
この記事にぴったりですよ。いっこんまさん。
このテンプレートは、これ以上大きい画像を掲載できないので、残念ですが小さくなってしまいました。目の前でこんなに幅が広くてはっきりした虹を見たのは初めてのような気がして、興奮して思わずカメラを構えてしまいましたが、国道沿いなので、そんな自分がちょっと恥ずかしかったです。
実家の母の死は、娘が生まれて1ヶ月後でした。
父親の入院中に娘が生まれましたので、私は産婦人科の個室に3週間もおいてもらったんですよ。
長床の大銀杏、夜間はライトアップされてるようですよ。今頃賑わっているでしょうね。
喜多方のtyakomamaさんは、じい様とプリウスで行かれたかもですね。
pochikoさんもこれからどうぞ。ダーリンとプチドライブを。
寒くなりましたね。福島市、会津若松市、猪苗代辺りには初雪が降ったようです。
母には娘の成長を見てもらいたかったですよ。
父が約10年ほど長く生きててくれましたので、あちらで娘のことを話してくれたんじゃないでしょうか。そう思いたいです。
虹はあっという間でした。
実家へ付く頃にはもう・・・
銀杏は拾いません。素手で拾うと大変なことになりますからね~。
昔は、お寺へ餅を持って行くとお返しに重箱いっぱいに銀杏をもらえました。お正月のことです。
今はどうしてるんでしょうね。聞いてみなくちゃ。
復活ですね。お待ちしておりましたよ。
うめももさん、我が家の子供は、あの娘が一人だけなんです。
娘が生まれる前には流産を繰り返し、娘の次に生まれた男児は、泣くことさえ出来ませんでした。
虹を見るまでは記事を書く予定がなかったんですよ。ですから、この虹が書けって言ってくれたようなものですね。
寒くなりましたね。県内にも雪が降りましたよ。
そちらはいかがですか?
後でそちらへもお邪魔しますね。
今はどこでも銀杏並木が綺麗で歩いていても楽しいです。これから寒くなりますが、風邪を引きませぬように。
こんなに色々なことが次から次へと、続くもんなのですね。
妊婦でもあり、その後出産もし、本当に大変だったでしょう・・・。
山茶花が綺麗でした。1枚1枚表情が微妙に変わり・・・とっても綺麗でした。
虹・・・清遊人さんのコメントにあるように、今時期は珍しいのでしょうか?
最近良く見ます。・・・気になりますね~。
お母様の25回目の命日にお参りが出来て良かったですね、お母様もいっこんまさんの元気なお姿を喜ばれたでしょう・・。
その道でのきれいな虹。
思い出って重なるものですね、私も父が11月15日に心筋梗塞で亡くなり 17日が私の誕生日でした。そして次の年ガンが見つかり1周忌は病院のベットの上でした。17日の自分の誕生日にガンを取る手術を受けました。
もう自分で祥月命日にお参り出来ない体になってしまいましたが、抗がん剤で苦しむ私を見せずに済んだのが父親孝行だったと思うようにしてます。
(自分のことばかりを書いてすみません)
何かいいことがありそうな予感がしましたよ。
25年前のことを総括すると「健康第一で生きよう」ということです。健康づくりが何よりも大切です。
県内のあちらこちらにも雪が降りました。
我が家は中通り東部なので比較的温かい方です。
清遊人さんもどうぞご自愛くださいませ。