栃木県芳賀町で発行された
「万智子とはがまるくんの芳賀町探検記」という絵本があります。
著者は児童文学者の漆原智良先生、絵は山中桃子さん(故立松和平さんの娘さん)。
漆原先生には郡山市のニコニコこども館でお話をしていただきました。
同級会の話ではないのにどうかとも思いますが、
数少ない同級生も私のblogを読んでくれていますので、カテゴリーは「高瀬中同級会」とします。
団塊世代の私ですから、今から60年ほど前、小学校低学年の夏休みの事です。
自由研究というほどのことでもありませんが、
同級生の正子ちゃんと二人で、地元にはどんな苗字があるかを調べることにしました。
役場に行ってそのことを話すと、係りの人が分厚い台帳を貸して下さいました。
今でいう住民基本台帳のようなもの?
私達のような小さい子供にです。今考えるとぞっとしますね。
そんなこんなで、一番多いのが、二人の「芳賀」で、次が沼、その次・・・
と分かったのですが、
その時、正子ちゃんのおじいさんが、
「芳賀の先祖様は栃木県の芳賀と言うところから来たんだよ」と話していたそうです。
その頃から、栃木の芳賀ってどんなとこ?一度行ってみたい。
と、興味を持っていた私です。
漆原先生のフェイスブックに
「たくさんあるので欲しい人に分けてあげます」と書いてあったので、
すかさず手をあげました。
小学校低学年の頃の思い出話ですみません。
芳賀町探検記の内容については省略しますね。
あっ、芳賀町は歴史あり、美味しい栃おとめありの素敵な町ですよ。
加登屋酒店HP こちらもどうぞ。
今なら事件になっていますね
同級生が減るとさみしいですよね
いま入院している同級生が心配です
昭和30年代、「3丁目の夕日」の時代です。のどかでしたね~。
今ならでかでかと全国ニュースです。
二クラス合わせて100人ほどの小規模校でした。
ちらほらと減って、これが60代後半の現実なのかも。
お元気になられますように。
今じゃ考えられないですね。
住民台帳のようなものを見せてもらえるって
それだけ長閑な時代だったのでしょう。
何かの時に思い出す幼馴染みの事だとか
ありますよね~~
ちなみに、幼馴染みのお友達が近所に引っ越して来ました。
家の前の小さな畑を作っていて
何かに付けてはお喋り三昧しています。
良いものですよね~幼馴染みって。
せちがらくなったものです。
マンションのご近所さんの緊急連絡先も、個人情報とかで教えてもらえませんよ。
今日は菜の花のお浸しとアスパラとパプリカのおりーぷオイル炒めにして付け合わせにしました。
おいしかったです~
でも、無理はしないでくださいね~。
幼馴染の方が越されてきて、しかも家の前で畑を。
話が合いますね~。なんと羨ましいことでしょう。
親戚が増えたみたいで、そのうちおかずの交換とかあるかもですね。
「これ貸してあげっから数えてみな」って、優しい職員さんでした。
役場の隅っこに陣取って、「正」の字を書いて数えていたのを覚えております。
何しろ子供ですから、それ以外何の目的もないんですけどね。
菜の花とアスパラとパプリカのオリーブオイル炒めですか?、美味しそうですね~。想像しただけで涎が出そうです。
なぜかと言うと、18歳までの新潟での【ふるさと】があるのですが、一昨年、両親が他界してからは、新潟との接点は高校時代ではなく、中学の同期生ではなく同級生なんです。
60歳と65歳時、新潟に行きました、同級会のためです。
その中学も小学校も今は閉校になってしまいました。
これから【ふるさと】を無くした私はどう頑張って生きて行くのか、かなりの覚悟が必要なのかもしれません。
いっこんまさんは田村で永住。
羨ましい限りでおります。
さぞお疲れのことと思いますが、コメントいただいてありがとうございます。
実は、私も15日16日と上京してきました。しかも、義母の肩身の色留袖とレンタルのモーニングなどを先に送ってからの上京です。なので、上京が決まってからは気ぜわしい毎日でした。(結婚式ではありません!)
もしや?とは思ってましたが、ご両親が亡くなられたのですね。
お悔やみを申し上げます。
我が家の義母も一昨年の3月20日に亡くなり、2月に三回忌を済ませました。
札幌が第二の故郷ではないですか。
新潟の思い出を胸に、そして気持ち的には北海道の人になりきるというのはいかがでしょう。