南洋に魅せられた芸術家は少なくありません。
サマセット=モームは、タヒチに移り住んだゴーギャンをモデルに書いた「月と六ペンス」において、芸術家の中に生まれる南洋への強いあこがれを描写しています。画家だけでなく、作家も南洋を目指しました。「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」などを遺したロバート=ルイス=スティーブンソンもその一人です。そしてそのスティーブンソンを主人公にした小説「光と風と夢」を書いた中島敦もまた、南洋に関わりのある作家です。
喘息のために三十三歳で世を去った中島敦は、漢文や中国文化への深い造詣に裏付けられた「山月記」や「李陵」などで有名ですが、「幸福」「夫婦」「環礁 ミクロネシヤ巡島記抄」など南洋を題材にした作品も書いています。これらの南島譚は、その短い生涯の晩年に彼が当時日本の委任統治下にあったパラオの南洋庁に勤めている間に書かれたと言われています。「光と風と夢」はスティーブンソンがサモアに移り住み、44歳で脳溢血のために亡くなるまでを日記と物語を組み合わせた形式で描いています。
なぜ芸術家は南洋にあこがれるのでしょうか。
西洋文明へのアンチテーゼ、自然の美しさなどが考えられますが、病気で命を落とすことも多い瘴癘の地に彼らを引き寄せる理由としては弱いような気がします。作家に関しては、南洋が物語に満ちた土地であることが理由として考えられます。作家であるスティーブンソンは地元の住民から敬意をこめて「ツシタラ」(語り部)と呼ばれていました。このように物語のもつ特別な力が認められた土地でもあります。身近な日常を題材にしながら時に神話的な広がりをもつ伝承、逸話、物語が口伝えで、あるいは音楽に彩られて語り継がれて今なお生きていることが作家たちを圧倒するのではないでしょうか。
駿台ヒューストン校