生死を分かつ「いつか乗る列車」
人生肯定する明るさほのかに
文中黒字化は私。
親友の少年2人が、死出の旅路のように宇宙空間をめぐる童話。
札幌市の小林俊彦さんは「73歳の今、再読した。死をより身近に感じた。ジョバンニは生の側にとどまるが、カムパネルラは永遠の旅に出た。しかし、人はいつか銀河鉄道に乗る」と感想を書いた。
俳優で、大の賢治ファンの裕木奈江さんは、銀河鉄道の不思議さに目がいく。
「なぜか鳥捕りも乗ってくる。その鳥捕りを、ジョバンニは少し馬鹿にしている。ジョバンニの親だってラッコを捕って生計を立て、そのことを友達に馬鹿にされているというのに。賢治の父親は質屋でした。凶作で生活が苦しい農民から家財道具をとり、豊かに暮らしていた。賢治にはその贖罪の意識があったはず。ラッコ捕りや鳥捕りが、父親の商売相手だった貧しい農民に重なって見える」
賢治の言葉「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」はよく知られている。
神奈川県の富田さやかさん(33)は「それこそ世の真理」といい、東京都の小林雄太さん(35)も「3・11以降、自己を犠牲にした人が多くいることを思うと、重苦しさが増す」と書いた。
裕木さんは、銀河鉄道の蠍の挿話にひかれるという。
いたちから逃げた蠍が過って井戸に落ちる。
「わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない。そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生懸命にげた」
虚しく溺れ死ぬくらいなら、いたちに体をくれてやればよかったと悔いる蠍の心情が、自分の心持ちに近しい、と裕木さんは話す。
「賢治は科学者でもあった。自己犠牲というより、合理的に、自分の体を使い切るという意味合いだったのかもしれない。私も死んだら、使える臓器は使ってもらい、残りは堆肥にでもなんでもして欲しい。倫理としてではなく、リサイクルという意味で」
神奈川県・藤井礼子さん(45)は 「昨今の『明るく元気よく前進しよう』という励ましより、暗い悲しみを抱えながらも歩き続けるこの物語の方が、誠実に思える」と手紙を寄せた。
裕木さんも大筋では同意するが、「この作品が暗いとは思えない」と語る。
「小さいとき、祖母と暮らしていた。病気で夜中にせきをしているのを聞くと、自分の無力を感じ、やるせなくなる。でも、看病をしてあげられない方がずっと暗い思い出になった。貧しいけれど、ジョバンニは病気のお母さんのため、牛乳を取りに行ってあげられるじゃないですか」
銀河鉄道を読む。
そのたび、世界と人生に対して「全然OK。大丈夫」、そう言われた気分になってくる。
(近藤康太郎)
「現代文明論講義 ニヒリズムをめぐる京大生との対話」 佐伯啓思〈著〉
整理巧みに白熱の臨場感
副題が示すとおり、大学での講義が一冊にまとめられている。昨年評判になった「ハーバード白熱教室」にヒントを得た、対話形式での授業。学生の意見に教師が入れる突っ込みも面白く、交通整理も巧み。自分もその場にいるような気持ちで読み進むことができた。
現代社会を覆うニヒリズムを考察する授業だが、「なぜ人を殺してはいけないのか」 「沈みゆくボートで誰が犠牲になるべきか」という普遍的な問いかけから、話題はやがて民主党の政策や尖閣諸島問題に移っていき、タイトルから想像する以上に現代日本をめぐるアクチュアルな議論が展開される。
民主主義に基づく政治制度や憲法の平和主義について、その賛否を学生に問い、答えの分布が示されている点が興味深い。少数派の意見も丁寧にすくい上げられている。
最終講で扱われるニヒリズムの克服の可能性については、やや不完全燃焼感が残り、「補講」を期待したいところだ。
松永美穂(早稲田大学教授)
整理巧みに白熱の臨場感
副題が示すとおり、大学での講義が一冊にまとめられている。昨年評判になった「ハーバード白熱教室」にヒントを得た、対話形式での授業。学生の意見に教師が入れる突っ込みも面白く、交通整理も巧み。自分もその場にいるような気持ちで読み進むことができた。
現代社会を覆うニヒリズムを考察する授業だが、「なぜ人を殺してはいけないのか」 「沈みゆくボートで誰が犠牲になるべきか」という普遍的な問いかけから、話題はやがて民主党の政策や尖閣諸島問題に移っていき、タイトルから想像する以上に現代日本をめぐるアクチュアルな議論が展開される。
民主主義に基づく政治制度や憲法の平和主義について、その賛否を学生に問い、答えの分布が示されている点が興味深い。少数派の意見も丁寧にすくい上げられている。
最終講で扱われるニヒリズムの克服の可能性については、やや不完全燃焼感が残り、「補講」を期待したいところだ。
松永美穂(早稲田大学教授)
メルマガ9月20日号、当日8:30分で発行しました。
「水の透視画法」辺見庸著の、B・オバマとは何者か? 「私はナイーブではない」の章、最後半部分から抜粋。、p161~162。
ここから私の論を展開する事を、お知らせした文章です。
From Lenin by Arcade Fire
今日の書き出しの章について。
謎としておくと言った事に対して、私らしく、至極、簡単に、シンプルに、一つ言えば、
私は、吉本隆明に代表される様な、名声や地位を得ながら、ついでに己のDNA増殖の欲望も果たしながら、結構毛だらけな、美味しい生活の中で、所謂、文化人としての人生を歩んで来られた方々とは違い、私は、「労働者、イタロ・フランチェーゼ」、の人生を歩んできた人間だからである。
ボブ・ディランも、ジョン・レノンも、決して文化人ではない。
私と同じ、労働者なのである。
先日、「ヘェー「と、驚いた、アンディ・ウォーホルも決して文化人ではなく、労働者だったのだ。
彼の場合は、イエス・キリストに仕えた労働者だったと言うのが真実だろうが。
God is a concept
By which we measure
Our pain
I'll say it again
God is a concept
By which we measure
Our pain
I don't believe in magic
I don't believe in I-ching
I don't believe in Bible
I don't believe in tarot
I don't believe in Hitler
I don't believe in Jesus
I don't believe in Kennedy
I don't believe in Buddha
I don't believe in Mantra
I don't believe in Gita
I don't believe in Yoga
I don't believe in kings
I don't believe in Elvis
I don't believe in Zimmerman
I don't believe in Beatles
I just believe in me
Yoko and me
And that's reality
The dream is over
What can I say?
The dream is over
Yesterday
I was the Dreamweaver
But now I'm reborn
I was the Walrus
But now I'm John
And so dear friends
You'll just have to carry on
The dream is over
By which we measure
Our pain
I'll say it again
God is a concept
By which we measure
Our pain
I don't believe in magic
I don't believe in I-ching
I don't believe in Bible
I don't believe in tarot
I don't believe in Hitler
I don't believe in Jesus
I don't believe in Kennedy
I don't believe in Buddha
I don't believe in Mantra
I don't believe in Gita
I don't believe in Yoga
I don't believe in kings
I don't believe in Elvis
I don't believe in Zimmerman
I don't believe in Beatles
I just believe in me
Yoko and me
And that's reality
The dream is over
What can I say?
The dream is over
Yesterday
I was the Dreamweaver
But now I'm reborn
I was the Walrus
But now I'm John
And so dear friends
You'll just have to carry on
The dream is over
People say we got it made
Don't they know we're so afraid?
Isolation
We're afraid to be alone
Everybody got to have a home
Isolation
Just a boy and a little girl
Trying to change the whole wide world
Isolation
The world is just a little town
Everybody trying to put us down
Isolation
I don't expect you to understand
After you've caused so much pain
But then again, you're not to blame
You're just a human, a victim of the insane
We're afraid of everyone
Afraid of the sun
Isolation
The sun will never disappear
But the world may not have many years
Isolation
Don't they know we're so afraid?
Isolation
We're afraid to be alone
Everybody got to have a home
Isolation
Just a boy and a little girl
Trying to change the whole wide world
Isolation
The world is just a little town
Everybody trying to put us down
Isolation
I don't expect you to understand
After you've caused so much pain
But then again, you're not to blame
You're just a human, a victim of the insane
We're afraid of everyone
Afraid of the sun
Isolation
The sun will never disappear
But the world may not have many years
Isolation
昨日、小鳥の眠る時間に眠り、小鳥の起きる時間に起きる生活をしている芥川は、いつものように、というか、少々早い、5時前に目を覚ましたのであった。
ちょっと早すぎるかなと思って、ベッドでまどろんでいた時、芥川の脳裏に浮かんできた音楽があったのだが、なんと、ジョン・レノンの、♪アイソレーション♪、であった。
なんという曲が流れてきたかと思ったら、次に流れてきたのは、♪ ゴッド・イズ・ア・コンセプト ♪だった。
いやはや、何とまあ、本当に取って置きの曲が流れてきたものか。
はてさて、この曲に見合う芥川のとっておきの写真を探さねばと思ったのだった。が、同時に昨日のくりきんとんさんの言葉も思い出したのだった「なんか、写真がもったいないと思いました」そうだよな、と、再び思いながら。
そして、今日、昨夜、NHKBSの「周恩来特集」最終回を観て就寝した芥川が、昨日よりも、更に早く、4時に目を覚ました時、「流石に、ちょっと早すぎるな」と、ベッドの中に居た時に、脳裏に流れて来たのは、Arcade Fireの♪レーニン♪だった。
芥川の様な頭脳に、この様な事が起きるのは、伊達ではないのだ。
これらの事には、全て、理由が在るのである。
よし、それでは起きてgooを見てみよう。またgooにおいてたくさんの方々が芥川の文章を読んで頂いているのならば、お礼に芥川の素晴らしい写真をそえて、アップしようではないかと思ったのであった。
昨日、芥川は、吉本隆明について書いたが…至極簡単に言えば、芥川は、読者の方及び、親友の方達や、周囲に居てくれた方々は、良くご存じの様に、徹底的なアウトサイダーの人生を歩んできた、
何度か書いた様に、釈迦やキリストと同じ道を歩んだのだと言っても過言ではない(呵々大笑)芥川が、思想の巨人、或いは、「この旅の同行者」として選んだのは、所謂、文化人たちとは、全く違って(当然なながら)、言ってみれば、ボブディラン、ジョン・レノンだったのである。
47回も訪れたハワイ…本来ならば、この島を題材にした、芥川にしか書けない物語は、とうに書かれて、今頃、大ベストセラーに成っているはずだったのだが(笑)
例えば、芥川が、ハワイの旅の終盤に、たった一人で、ワイキキに居た時、ジョン・レノンの音楽をipodで、聴きながら、ワイキキビーチショアに面したペイブメントで、海をみながら、何度となく、慟哭を感じていた芥川の眼差しは、
キルケゴールが言った所の、「海を見やるフリトヨフの眼差し」、そのものであって、そこに存在していた芥川の思索は、吉本隆明の思索に、これっぽちも劣っていないどころか、凌駕しているものだったのである(呵々大笑)
何故かは、今は、謎にしておく。
ちょっと早すぎるかなと思って、ベッドでまどろんでいた時、芥川の脳裏に浮かんできた音楽があったのだが、なんと、ジョン・レノンの、♪アイソレーション♪、であった。
なんという曲が流れてきたかと思ったら、次に流れてきたのは、♪ ゴッド・イズ・ア・コンセプト ♪だった。
いやはや、何とまあ、本当に取って置きの曲が流れてきたものか。
はてさて、この曲に見合う芥川のとっておきの写真を探さねばと思ったのだった。が、同時に昨日のくりきんとんさんの言葉も思い出したのだった「なんか、写真がもったいないと思いました」そうだよな、と、再び思いながら。
そして、今日、昨夜、NHKBSの「周恩来特集」最終回を観て就寝した芥川が、昨日よりも、更に早く、4時に目を覚ました時、「流石に、ちょっと早すぎるな」と、ベッドの中に居た時に、脳裏に流れて来たのは、Arcade Fireの♪レーニン♪だった。
芥川の様な頭脳に、この様な事が起きるのは、伊達ではないのだ。
これらの事には、全て、理由が在るのである。
よし、それでは起きてgooを見てみよう。またgooにおいてたくさんの方々が芥川の文章を読んで頂いているのならば、お礼に芥川の素晴らしい写真をそえて、アップしようではないかと思ったのであった。
昨日、芥川は、吉本隆明について書いたが…至極簡単に言えば、芥川は、読者の方及び、親友の方達や、周囲に居てくれた方々は、良くご存じの様に、徹底的なアウトサイダーの人生を歩んできた、
何度か書いた様に、釈迦やキリストと同じ道を歩んだのだと言っても過言ではない(呵々大笑)芥川が、思想の巨人、或いは、「この旅の同行者」として選んだのは、所謂、文化人たちとは、全く違って(当然なながら)、言ってみれば、ボブディラン、ジョン・レノンだったのである。
47回も訪れたハワイ…本来ならば、この島を題材にした、芥川にしか書けない物語は、とうに書かれて、今頃、大ベストセラーに成っているはずだったのだが(笑)
例えば、芥川が、ハワイの旅の終盤に、たった一人で、ワイキキに居た時、ジョン・レノンの音楽をipodで、聴きながら、ワイキキビーチショアに面したペイブメントで、海をみながら、何度となく、慟哭を感じていた芥川の眼差しは、
キルケゴールが言った所の、「海を見やるフリトヨフの眼差し」、そのものであって、そこに存在していた芥川の思索は、吉本隆明の思索に、これっぽちも劣っていないどころか、凌駕しているものだったのである(呵々大笑)
何故かは、今は、謎にしておく。