みくりや・たかし 1951年、東京都生まれ。東大法学部卒。 96年。サントリー学芸賞受賞。 TBS 「時事放談」キャスターも務める。著書は『知と情 宮澤喜一と竹下登の政治観』(朝日新聞出版)など多数
まつばら・りゅういちろう 1956年、神戸市生まれ。東大工学部卒。同大学院経済学研究科博士課程修了。著書は『日本経済論』(NHK出版)など多数。格闘技にも造詣が深い
…前文略。 *以下は芥川。
御厨 菅政権は明確な指示はまったく出さず、私か議長代理を務めた復興構想会議が提言を出すのを待っていただけでした。しかも提言を出しても、そのとおりに復興を進めろと号令をかける人すらいない。
松原 政府に知恵がないからアイデアを貸してくださいという話だったはずなのにねえ。(笑い)
御厨 なぜここまで政治が機能しなかったかといえば、結局、震災が起きようか何が起きようが、首相を中心に政権を支えようという態勢にならなかったからでしょう。菅さんも、震災を生かして延命することしか考えていませんでした。
松原 恐るべきことですね。
「側用人政治」は機能しない時代
御厨 菅さんは何か気に入らないことがあれば、自分で探した人を参与に任命し、その人の言うことだけは聞きました。周囲は参与だらけで、怪しげな人もたくさん政権に入り込みました。こういう「側用人政治」は、生き馬の目を抜く現代社会では機能しないのです。菅さんの中では、復興構想会議の提言が出た時点で復興は終わったのでしょう(苦笑)。それで関心は再生エネルギーに移りました。
松原 菅さんは、時期によってテーマが変わります。やり始めても、雲行きが怪しくなったり飽きたりすると、すぐ次のテーマに行ってしまう。政権発足当初から消費増税だったりTPPだったり、言うことはコロコロ変わりました。「植物党を作りたい」なんて、およそ一国の総理の言葉とは思えないことまで言いだしましたしね。
御厨 菅直人という人は。やはり運動家なんです。党内に自分の反対派がいても特に気にせず、それが当たり前だと思っている。ただし、その反対派と対話して理解してもらおう、協調しようという気はさらさらない。自民党などの野党を含め、自分の反対派に囲まれながら、運動家の自分をいかに世間にアピールし、世論と結託して生きていくかということしか考えない。
松原 普通は、人を率いて理想を実現しようとするのが運動家だと思いますが、菅さんはそもそも目的がなくて、敵を攻撃することだけが得意なタイプです。統治とは組織を動かすことですが、そういうことをいっさい考えていないし、その能力もない。
御厨 自社さ政権で菅さんが厚生相として人気を博していた当時、後藤田正晴・元副総理から「菅だけは総理にしちゃいかん」と言われました。「菅は基本的に統治ということを知らない男だ。統治に反対することはできるが、総理として統治そのものはできない」というのが理由でした。後藤田さん一流の勘が働いたんでしょうね。いま振り返るとそのとおりでした。
松原 個人として目標がなくても、震災後の対応という目的が天の配剤で降ってきたのに。統治の技術さえあれば、活躍できたはずです。いちばん首相になっちやいけない人が、いちばんマズイ時期に首相になってしまった。
御厨 復興構想会議でも菅さんから「うまくいっているようですね」と言われたので、私は「自分たちの力ではありません。支えてくれている若き官僚たちの力です」と言いました。そうしたら意外そうな顔をして 「官僚って、信用できますか? あなたがたの下にはそんなに官僚がいるんですか」なんて言う。私は「彼らがいないと何もできません」と答えたんですが、ひどく驚いた様子でノートにメモしていました(笑い)。それぐらい、徹底的に官僚不信なんです。
松原 官僚だろうが民間人だろうが、日本人はこんな非常時は使命感に燃えて必死になって働きます。仮に普段は敵だとしても、こういうときはうまく使ってやればよかった。菅さんに失政があったかと聞かれると、実は答えるのは難しい。何もしなかったから、失政も何もない。でも、不作為がいちばんの罪でしょう。
…後略。
*この様な男を、弓削の道鏡まがいに担ぎあげ、本来、統治者の素質を当代随一に持っていた、小沢一郎を、反民主主義そのものだった有り様に加担して、座敷牢に閉じ込めたのが、朝日の重鎮論説員、星に代表される、各紙の同様の人たちだった事は決して忘れてはならないのだ。
まつばら・りゅういちろう 1956年、神戸市生まれ。東大工学部卒。同大学院経済学研究科博士課程修了。著書は『日本経済論』(NHK出版)など多数。格闘技にも造詣が深い
…前文略。 *以下は芥川。
御厨 菅政権は明確な指示はまったく出さず、私か議長代理を務めた復興構想会議が提言を出すのを待っていただけでした。しかも提言を出しても、そのとおりに復興を進めろと号令をかける人すらいない。
松原 政府に知恵がないからアイデアを貸してくださいという話だったはずなのにねえ。(笑い)
御厨 なぜここまで政治が機能しなかったかといえば、結局、震災が起きようか何が起きようが、首相を中心に政権を支えようという態勢にならなかったからでしょう。菅さんも、震災を生かして延命することしか考えていませんでした。
松原 恐るべきことですね。
「側用人政治」は機能しない時代
御厨 菅さんは何か気に入らないことがあれば、自分で探した人を参与に任命し、その人の言うことだけは聞きました。周囲は参与だらけで、怪しげな人もたくさん政権に入り込みました。こういう「側用人政治」は、生き馬の目を抜く現代社会では機能しないのです。菅さんの中では、復興構想会議の提言が出た時点で復興は終わったのでしょう(苦笑)。それで関心は再生エネルギーに移りました。
松原 菅さんは、時期によってテーマが変わります。やり始めても、雲行きが怪しくなったり飽きたりすると、すぐ次のテーマに行ってしまう。政権発足当初から消費増税だったりTPPだったり、言うことはコロコロ変わりました。「植物党を作りたい」なんて、およそ一国の総理の言葉とは思えないことまで言いだしましたしね。
御厨 菅直人という人は。やはり運動家なんです。党内に自分の反対派がいても特に気にせず、それが当たり前だと思っている。ただし、その反対派と対話して理解してもらおう、協調しようという気はさらさらない。自民党などの野党を含め、自分の反対派に囲まれながら、運動家の自分をいかに世間にアピールし、世論と結託して生きていくかということしか考えない。
松原 普通は、人を率いて理想を実現しようとするのが運動家だと思いますが、菅さんはそもそも目的がなくて、敵を攻撃することだけが得意なタイプです。統治とは組織を動かすことですが、そういうことをいっさい考えていないし、その能力もない。
御厨 自社さ政権で菅さんが厚生相として人気を博していた当時、後藤田正晴・元副総理から「菅だけは総理にしちゃいかん」と言われました。「菅は基本的に統治ということを知らない男だ。統治に反対することはできるが、総理として統治そのものはできない」というのが理由でした。後藤田さん一流の勘が働いたんでしょうね。いま振り返るとそのとおりでした。
松原 個人として目標がなくても、震災後の対応という目的が天の配剤で降ってきたのに。統治の技術さえあれば、活躍できたはずです。いちばん首相になっちやいけない人が、いちばんマズイ時期に首相になってしまった。
御厨 復興構想会議でも菅さんから「うまくいっているようですね」と言われたので、私は「自分たちの力ではありません。支えてくれている若き官僚たちの力です」と言いました。そうしたら意外そうな顔をして 「官僚って、信用できますか? あなたがたの下にはそんなに官僚がいるんですか」なんて言う。私は「彼らがいないと何もできません」と答えたんですが、ひどく驚いた様子でノートにメモしていました(笑い)。それぐらい、徹底的に官僚不信なんです。
松原 官僚だろうが民間人だろうが、日本人はこんな非常時は使命感に燃えて必死になって働きます。仮に普段は敵だとしても、こういうときはうまく使ってやればよかった。菅さんに失政があったかと聞かれると、実は答えるのは難しい。何もしなかったから、失政も何もない。でも、不作為がいちばんの罪でしょう。
…後略。
*この様な男を、弓削の道鏡まがいに担ぎあげ、本来、統治者の素質を当代随一に持っていた、小沢一郎を、反民主主義そのものだった有り様に加担して、座敷牢に閉じ込めたのが、朝日の重鎮論説員、星に代表される、各紙の同様の人たちだった事は決して忘れてはならないのだ。