娘の視点からみた著名な小説家 評・法政大学教授 結城 英雄
ルチア・ジョイス(1907~82年)は著名な小説家ジェイムズ・ジョイス(1882~1941年)の娘。統合失調症を病み、経済的にも精神的にもジョイスに大きな負担をかけた。
本書『ルチア・ジョイスを求めて』は、そうした娘の視点からジョイスの文学的功績を照射する試みである。副題は「ジョイス文学の背景」。家族を探ることにより、作家の隠された側面が見えてくることも少なくない。妻の側から論じられたジョイス伝と同じく、やはり面白い。
ジョイスはアイルランドの首都ダブリンを若くして離脱し、トリエステ、チューリヒ、パリと大陸の都市を移り住んだ。使用言語も英語に加え、イタリア語、ドイツ語、フランス語へと変わり、しかも住居も転々として落ち着くこともなかった。
文学の地平を開拓しようとする偉大な文学者には好都合であったかもしれないが、家族にとっては不遇な流浪であったと思われる。娘ルチアの統合失調症は、そうした根無し草的な生活環境から発現したのかもしれない。生涯の残り半分ほどを精神科病院で過ごしている。
にもかかわらず、ルチアの狂気は天才と紙一重であった。本書はその「天才」を探る旅でもある。著者はジョイスの孫スティーヴンとの交流を手始めに、ヨーロッパのジョイス関係者とも親しく接し、アメリカのバッファロー大学の「ジョイス・コレクション」からその多くの証拠を入手している。
資料を解読する手並みも巧みだ。そしてルチアの才能を愛でるかのように、狂気を病んだ一人の芸術家として、ジョイス文学の背景からその存在を前景化してみせる。
実のところ、ルチアは舞踊や装飾文字において並々ならぬ才能を示していた。本書ではそうしたルチアの才能の開花を丹念に探り、パリを拠点とする同時代の著名な芸術家との交点にスポットを当て、ルチアを媒介としたジョイス文学の背景が論じられている。
そのうちでも、アイルランドの写本『ケルズの書』と『フィネガンズ・ウェイク』との関連はとりわけ興味深い。ルチアを探る旅はやはりジョイスを語る旅なのだろう。
ルチア・ジョイス(1907~82年)は著名な小説家ジェイムズ・ジョイス(1882~1941年)の娘。統合失調症を病み、経済的にも精神的にもジョイスに大きな負担をかけた。
本書『ルチア・ジョイスを求めて』は、そうした娘の視点からジョイスの文学的功績を照射する試みである。副題は「ジョイス文学の背景」。家族を探ることにより、作家の隠された側面が見えてくることも少なくない。妻の側から論じられたジョイス伝と同じく、やはり面白い。
ジョイスはアイルランドの首都ダブリンを若くして離脱し、トリエステ、チューリヒ、パリと大陸の都市を移り住んだ。使用言語も英語に加え、イタリア語、ドイツ語、フランス語へと変わり、しかも住居も転々として落ち着くこともなかった。
文学の地平を開拓しようとする偉大な文学者には好都合であったかもしれないが、家族にとっては不遇な流浪であったと思われる。娘ルチアの統合失調症は、そうした根無し草的な生活環境から発現したのかもしれない。生涯の残り半分ほどを精神科病院で過ごしている。
にもかかわらず、ルチアの狂気は天才と紙一重であった。本書はその「天才」を探る旅でもある。著者はジョイスの孫スティーヴンとの交流を手始めに、ヨーロッパのジョイス関係者とも親しく接し、アメリカのバッファロー大学の「ジョイス・コレクション」からその多くの証拠を入手している。
資料を解読する手並みも巧みだ。そしてルチアの才能を愛でるかのように、狂気を病んだ一人の芸術家として、ジョイス文学の背景からその存在を前景化してみせる。
実のところ、ルチアは舞踊や装飾文字において並々ならぬ才能を示していた。本書ではそうしたルチアの才能の開花を丹念に探り、パリを拠点とする同時代の著名な芸術家との交点にスポットを当て、ルチアを媒介としたジョイス文学の背景が論じられている。
そのうちでも、アイルランドの写本『ケルズの書』と『フィネガンズ・ウェイク』との関連はとりわけ興味深い。ルチアを探る旅はやはりジョイスを語る旅なのだろう。