小倉千加子 芥川が当代一流の知性として敬愛している事は既述の通り。
おぐら・ちかこ 1952年、大阪府生まれ。心理学者。芸能にも造詣が深い。最新刊は『結婚の才能J (朝日新聞出版)
読売新聞大阪版の朝刊に 「言わせて!」という名の投書欄がある。
そこで先日、「子育ての支援」というテーマで意見を募集したところ、「専業主婦で子育てをしている人は、置き去りにされている感じがあります」という内容の投書があった。
子育て支援と言うと、働く女性に対する支援として保育所の問題などが取り上げられ、子育てをしている専業主婦は最初から無視されている現状への不満が語られていた。
この投書にはたくさんの反響があったという。
「24時間、365日、子供と一緒。それは、日々成長する子供を見る喜びとともに、大変疲れることでもあります」(大阪府 主婦)「(専業主婦は)経済的に楽ではないし、このご時世なので先のことも不安です」(滋賀県 主婦)
「子育て」を「介護」に置き換えても、家庭の中で黙ってそれに従事している専業主婦の悩みは同じである「他人に頼めないし、誰かがしなければならないことだから自分がしている」「でもとても疲れるし、不安だ」
かつての自民党には「家庭教育」や「在宅介護」の価値を説く議員が目立ったのに対し、民主党には介講や育児の「社会化」を説く人が多いように思われるが家庭の無償労働を社会化するのは、当事者である専業主婦を救済するのが本来の目的だったはずである。
ところがその目的と手段を逆転させ、専業主婦という身分そのものをなくそうとしているとしか思われないのが、小宮山洋子厚生労働大臣である。
民主党の子ども政策の代表である小宮山氏は「配偶者控除は廃止し、子ども手当の財源にするはずだった」と言う。
夫婦のうち一方が外で働き、もう一方が家にいるという取り決めをするのは二人の自由である。そういう個人間の契約に国家が介入するのは如何なものか。
小宮山氏には、女性が「自立」していることが理想なのだろうが、「自立」することは「安定」を失うリスクを負うことなのである。
会社を辞めて自由になりたい人は、何度も何度も考える。
「自由のために安定を失っていいのか?」
「安定のために自由を捨てられるのか?」
「会社」を「結婚」に置き換えていただきたい。
世の中には「安定した不自由」と「不安定な自由」しかないのである。
配偶者控除という税制自体、国家の介入なのではあるのだが、そういう優遇でもなければ妻は簡単に家を出ていってしまうだろう。妻が出ていくのは構わないが、母が出ていくと現実問題として小さな子どもが困るのである。
結婚制度というのは、子どもが小さい時に安定した家族を提供してやるために、母の「自立」願望をある程度遅延させ抑制させるものである、としか私には思われないのである。
「自立」を先延ばしにして安定」を選ばせるために「給料」というものがある。それが配偶者控除であり、即ち「辛抱料」である。辛抱しているうちに無事定年を迎えましたという人もいるのだ。それをなくして、小宮山大臣は主婦を世間の荒波に放り出すつもりなのだろうか。男女は平等だからといって離婚の慰謝料を廃止したノルウェーのような人である。理念は分かるが、現実と乖離している。あるいは、主婦の実在を意識から置き去りにしている。
結婚制度は必要なのである。経済的に夫に依存しなければ困る人がいる以上、必要悪であっても必要なのである。たばこと同じということだ。 (この項続く)
おぐら・ちかこ 1952年、大阪府生まれ。心理学者。芸能にも造詣が深い。最新刊は『結婚の才能J (朝日新聞出版)
読売新聞大阪版の朝刊に 「言わせて!」という名の投書欄がある。
そこで先日、「子育ての支援」というテーマで意見を募集したところ、「専業主婦で子育てをしている人は、置き去りにされている感じがあります」という内容の投書があった。
子育て支援と言うと、働く女性に対する支援として保育所の問題などが取り上げられ、子育てをしている専業主婦は最初から無視されている現状への不満が語られていた。
この投書にはたくさんの反響があったという。
「24時間、365日、子供と一緒。それは、日々成長する子供を見る喜びとともに、大変疲れることでもあります」(大阪府 主婦)「(専業主婦は)経済的に楽ではないし、このご時世なので先のことも不安です」(滋賀県 主婦)
「子育て」を「介護」に置き換えても、家庭の中で黙ってそれに従事している専業主婦の悩みは同じである「他人に頼めないし、誰かがしなければならないことだから自分がしている」「でもとても疲れるし、不安だ」
かつての自民党には「家庭教育」や「在宅介護」の価値を説く議員が目立ったのに対し、民主党には介講や育児の「社会化」を説く人が多いように思われるが家庭の無償労働を社会化するのは、当事者である専業主婦を救済するのが本来の目的だったはずである。
ところがその目的と手段を逆転させ、専業主婦という身分そのものをなくそうとしているとしか思われないのが、小宮山洋子厚生労働大臣である。
民主党の子ども政策の代表である小宮山氏は「配偶者控除は廃止し、子ども手当の財源にするはずだった」と言う。
夫婦のうち一方が外で働き、もう一方が家にいるという取り決めをするのは二人の自由である。そういう個人間の契約に国家が介入するのは如何なものか。
小宮山氏には、女性が「自立」していることが理想なのだろうが、「自立」することは「安定」を失うリスクを負うことなのである。
会社を辞めて自由になりたい人は、何度も何度も考える。
「自由のために安定を失っていいのか?」
「安定のために自由を捨てられるのか?」
「会社」を「結婚」に置き換えていただきたい。
世の中には「安定した不自由」と「不安定な自由」しかないのである。
配偶者控除という税制自体、国家の介入なのではあるのだが、そういう優遇でもなければ妻は簡単に家を出ていってしまうだろう。妻が出ていくのは構わないが、母が出ていくと現実問題として小さな子どもが困るのである。
結婚制度というのは、子どもが小さい時に安定した家族を提供してやるために、母の「自立」願望をある程度遅延させ抑制させるものである、としか私には思われないのである。
「自立」を先延ばしにして安定」を選ばせるために「給料」というものがある。それが配偶者控除であり、即ち「辛抱料」である。辛抱しているうちに無事定年を迎えましたという人もいるのだ。それをなくして、小宮山大臣は主婦を世間の荒波に放り出すつもりなのだろうか。男女は平等だからといって離婚の慰謝料を廃止したノルウェーのような人である。理念は分かるが、現実と乖離している。あるいは、主婦の実在を意識から置き去りにしている。
結婚制度は必要なのである。経済的に夫に依存しなければ困る人がいる以上、必要悪であっても必要なのである。たばこと同じということだ。 (この項続く)