文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

今朝、芥川は、もう一度、大阪を総括しなければいけないと強く思った。

2011年09月20日 06時33分53秒 | 日記
今朝、芥川は、もう一度、大阪を総括しなければいけないと強く思った。

大阪とは、室町時代以降、船場の「いとはん」の、はんなりした言葉に代表される様な、しなやかで、驚くほど物事の真実を穿つ知性によって、成り立って来た、本当の意味での商売人の町だったのである。

同時に、浪花人(びと)の、真の魂とは、「義理と人情」、だったのである。

この35年超の、たった3万人のマスメディアを読み、この20年超の痴呆テレビだけを見て育ち、じゃがたら顔やひしゃげ顔の、吉本の芸人が喋る言葉(汚い言葉だ)を、大阪弁だと思いこみ、本当の大阪人が、使いもしない様な言葉を使いだし、ボケと突っ込みが、大阪だ等と勘違いし出した低能が現れた。

この事に何ら疑いも持たず、「お笑い芸人大好き」、等と言っているだけではなく、もはや頭の尺度が、そのようなものでしかないような人間は、男女を問わず、ロクな者ではないのである。

そればかりではない、実は、彼等は、悪の権化であり、隙あらば、あなたに、笑いを振りまきながら…表面的には、とにかく元気が良い、だいたいが大声で、あなたの前に、突然、現れる。

その心情は、お笑い芸人の大半が、実は、そうであるように、極めて暗いのである。

根も葉もない文脈で出来ているもの、そのような哲学で生きている者に共通する病なのである。「売れるか売れないか」等と言う、実は、どうでもいい事象だけで生きているから、恒心が在る訳が無いのである。

彼等の実態は、実は、本当に暗い…愚か者で有るが故の不安を紛らす為に、クスリに頼ったり、最近の事例の様に、反社会権力に頼ったりするのである。

この事に何ら疑いも持たず、「お笑い芸人大好き」、等と言っているだけではなく、もはや頭の尺度が、そのようなものでしかなく、現実の付き合いも、本当に、お笑い芸人のみ、等と言う様な人間は、男女を問わず、ロクな者ではないのである。

その様な者が、いずれ、あなたの前に姿を現し、嘘八百を並べたて、とんでもない犯罪を犯すのである。どえらい詐欺や、ありとあらゆる悪を、撒き散らしながら、他者に致命的な打撃を与えながら…吉本の笑いが、今なお、痴呆テレビに溢れている様に、何事もなかった様な顔をして、巷を闊歩しているのである。

それが三途の川原とも知らず、天下を取った様な顔をして巷を闊歩する。

それが、所謂、「吉本的なもの」の実相である。

これが大阪であり、大阪は、お笑いの町だ、等と、定義し出した、大阪朝日新聞は「底知れない程に愚かで危険な悪」に加担したに等しいのである。


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かつて、「From 大阪 To Osaka」と題して…。

2011年09月20日 06時30分42秒 | 日記
かつて、「From 大阪 To Osaka」と題して、何の因果か、大阪府知事をしていた人充てに、芥川は、手紙文としては最高の名文を書き上げて、私費を投下して、大阪府下の日経新聞購読世帯に、折込意見広告の形で、芥川が、人生の舞台として選択し活躍、住んでいる、大阪を、総括、大阪の心臓を間違いなく抉った事が有るのだが。

彼女が、通産省の課長だった時、右手に、村上、左手に、松井と言う、部下を従えて、現れた時に、彼女が、生涯、二度と聴く事は無いだろう(誰でも、そんな言葉を初対面で聴く事はない)…一流は一流を知る、Gifted はGiftedを知る、と言う確信の元に、芥川から、ちょっと年下だった、彼女を、一つの象徴として、当時の日本人の性向…(今でもそうだろうが)を、たしなめようとして咄嗟に出た言葉だったが…「言っちゃ何だが、芥川は、君より頭が良いよ」、と、名刺交換の直ぐ後に言い放ったのである。

何故かは、後日、メルマガにでも。
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日本の、所謂、文化人たちは、脱原発一本槍を言う前に…。

2011年09月20日 00時20分00秒 | 日記
日本の、所謂、文化人たちは、脱原発一本槍を言う前に、先日のニュースで、専門家たちが検証し指摘していた事実…4時間!早く注水が行われていれば、メルトダウンは、防げた。…この事が出来なかったのは何故かを検証する事を真剣にやるべきだと芥川は思う。

芥川が糾し続けているのは、それを自ら阻害した、史上最低の内閣を、弓削の道鏡宜しく担ぎあげた、マスメディアの重鎮論説員達に在るのだという事と、小沢一郎が民主党代表だった時に為された民主主義にあるまじき権力の横暴にも与し続けた彼等…35年前の田中角栄の時から、同様の事をやり続けて来た、彼等の責任が、一番重いのだということなのである。


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