以下は前章の続きである。
有本
私も沖縄はじめ日本各地に、他国アメリカの軍事基地があることをけっして良しとは思っていません。
けれども、大事な沖縄を守り抜かなければいけないという現実論もあります。
少しずつ沖縄から米軍基地を少なくしていきながら、しかし、沖縄の安全をきちんと担保できる体制はつくっていかなければならない。
その難題の解決について、中国や北朝鮮の脅威が一層大きくなっている今は、ことさら重要で難しい分岐点に来ているようにも思います。
百田
阿部さんは私の講演を聞いていたはずです。
私はあの時の講演の中で、「沖縄にたくさんの基地がある。本当に本土に住む人間としては申し訳ない」と何度も言い、何度も頭を下げました。
阿部さんはそれを見ているでしょう。
また私は沖縄に基地がある理由も話しました。
「地政学的に非常に重要なところである。そして、今、現在、中国の脅威に対抗するために沖縄に基地がある。これは本当に申し訳ない」
私はこのことを何度も言いましたよね。
阿部さんは聞いているはずです。
それをしっかり書いてください。
(2017年11月28日放送分)
以下は前章の続きである。
百田
おそらく、虎ノ門ニュースを『沖縄タイムス』の記者たちは見ています。
とくに阿部記者は必死で見ていると思います。
阿部記者に言いたい。
あなたも若いときは、ちゃんと高い理想、志があったと思うんです。
もう一回それを思い出してください。
真実とは何か。
『沖縄タイムス』の中で、それを書くのは大変だと思う。
でも、それを思い出して頑張ってもらいたい。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
阿部記者へ
有本
最近、文芸評論家の小川榮太郎氏が、森友・加計問題について書かれた著書の内容について、『朝日新聞』から抗議を受けた件と共通しますが、一個人、しかも政治権力を持っていない民間人に対して、社会の公器である言論機関、「第四の権力」とも言われるマスメディアが、紙面を使ったり、法的な手段をチラつかせたりして露骨に威圧してきている。
これは異常なことです。
いくら百田さんがミリオンセラーを連発する影響力ある作家であってもです。
私も一言論人として、このことを大変怖い現象だと感じています。
これが罷り通るなら、日本は中国のようになってしまうのではないか、ということを明確に申し上げておきたい。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
有本
もう一つ、沖縄の新聞を見ていて驚いたことがあります。
在日コリアンで、辛淑玉さんという沖縄基地反対派を支援している人がいますが、彼女が紙面で大々的に、沖縄独立論を説いているんですね。
非常にびっくりしたのですが。
我那覇
私もびっくりしました。
彼女は我々県民のことを、日本人として先の大戦のとき戦ったり、殺したり殺されてきた歴史があると述べています。
要するに、我々は日本人であって、祖国を守るために県民が戦ったのに、それをひん曲げて侮辱をしている書き方なのです。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
有本
百田さんの全面記事と同じところに、象徴的ですが「住民主体の自治へ 研究所設立」という記事が載っています。
これも、私たちからすると「え?」という驚きの内容です。
沖縄は自治区になりたいのかと思ってしまいます。
以前、民放の番組で、元『琉球新報』記者の前泊博盛氏と議論したときのことを思い出しました。
前泊さんはしきりと自分たちのアイデンティティについて「沖縄県民ではなくて琉球人」だと言おうとしていた。
今、大学の教授だそうですが、新入生に「あなたは何人か」という調査をするのだとも言っていました。
学生を「琉球人」側へ誘導しようとしているように感じましたが。
我那覇
そういう人たちは、沖縄は日本であることをすっ飛ばして、違法に日本国にさせられたという被害者意識で歴史をひん曲げていると思います。
でも、県民の意識には、そういう考えはまったくありません。
一部の目立つ人たちが新聞に掲載されるから、沖縄でそのような議論が展開されているかのように見えてしまうだけです。
我々からすると「何の話をしているのか」と正直に感じます。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
もう一つは、よりによってジュネーブの人権理事会で、「民族自決(self-determination)」という言葉を用いていたことです。
私は長年、中国の民族問題であるチベット人やウイグル人の取材をして来たのですが、彼らは自らの問題を訴えるときに、まさにこの「民族自決(self-determination)」という言葉を用います。
翁長知事はあたかも沖縄が、チベット人、ウイグル人と同じ目に遭っているかのように、「民族自決権を行使できていない」という論を展開しました。
本当に驚きました。
知事があの場で言った「民族自決権」の問題は、普段から沖縄で問題にされていることなのでしょうか。
我那覇
沖縄県内では、工作活動は見えないところでやっています。
最近は見えないところから見えるところに持っていこうとしている。
「琉球独立」という言葉が出始めていますが、その表れだと思います。
彼らは我々沖縄県民のことを「琉球人民」と呼んでいます(笑)。
日本人なんですけど(笑)。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
有本
つまり、依田さんのような人を、新聞が活動家に加勢して叩いてしまうんですね。
琉球人民と呼ぶ人たち
我那覇
彼らの軸足は報道機関として報道するのではなく、明らかに活動家とともにあります。
有本
全国紙、地方紙も含め、全国におかしな新聞はたくさんありますが、この沖縄二紙の異常性は、本土にはなかなか伝わってこないところがあります。
読む機会も少ないですし。
ただ、百歩譲って、沖縄の二紙が、米軍基地に関して相当偏った記事を書いていたとしても、一方で同じ二紙が、中国の脅威についても同じぐらいの熱意で伝えていればバランスが取れるとも思いますが、そこはどうでしょうか。
我那覇
中国の脅威に関しては一切と言っていいほど報道していません。
逆に「北朝鮮の核ミサイルに備えなければいけない」、あるいは「中国の軍艦がやってきて危ない」という論調が広がるのを止めようとしています。
「日本側が挑発しているから、中国が出ざるを得ないんだ」という社説や記事を書いたり、あるいは市民と称する人にインタビューを取ったりしています。
状況証拠はかなり揃っていまして、たとえば、二年前に翁長雄志知事が国連に行ったとき、『琉球新報』の編集局長が一緒についていき、シンポジウムで登壇しました。
そのときは「植民地から脱却する」という話を、新聞社の編集局長が堂々としたのです。
百田
植民地ではないのにね(笑)。
有本
翁長知事が国連に行ったときのことは、非常にびっくりしました。
まず一つは知事の英語があまりにも下手なことにびっくりしました(笑)。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
有本
その件では、私も取材者なので、あえてその立場から言うと、「ここはダメだ」と言われても、危険を承知で、ときには命がけでも入ることはあるかもしれません。
でも、その場合は目指す情報が、沖縄県民にとって非常に重要性の高いもの、たとえば、沖縄県民の命や自由が危険にさらされる、そのことへの警鐘を鳴らすようなネタになるのであれば、記者が違法行為をすることもやむなしと思います。
我那覇
まったく違います。
沖縄二紙の記者がやっていることは、基地に対していちゃもんをつけるための情報を取ることしかしていません。
本当に基地の問題について真摯に向き合いたいのであれば、どうして活動家の暴力的な行為は一切取り上げないのでしょうか。
あるいは、地元の人が反対派に対して「我慢ならん」と、名護市に対して抗議文を出したり、あるいは、地元の人が私的検問に遭い、依田啓示氏のように犠牲者が出ても、逆に「市民が被害にあっている」という記事を書いて、市民を弾圧しているのです。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
我那覇
新聞の購読者数にも表れていますが、「どうやら二紙がおかしい」と、最近は思い始めている人もいます。
私はもう少し進んで、「沖縄の新聞は新聞ではない。新聞であることを前提に沖縄の二紙を論じては、沖縄二紙が理解できないのではないか」と思っています。
説明しづらいところがたくさんある。
逆に沖縄の新聞は、新聞の形をした工作機関であると考えると、彼らのやっている行動に説明がつきます。
普通の言論機関、報道をして県民に真実を知らしめようという使命感に燃えていれば、しっかり法律も守って、常識の範囲内で報道すると思います。
彼らはそうではなく、基地の中に不法に侵入して情報を取ってきてなんぼと考えている。
普通の人が基地の中に同じように入って情報を取るとすると、明らかにスパイ、あるいは工作活動ととられてしまいます。
しかし、同じようなことを『沖縄タイムス』や『琉球新報』の腕章をつけていれば、なぜか「新聞報道」という形で見逃されてしまうのが沖縄なのです。
しかも、防衛局の「勝手に入ってはいけない」という注意喚起にも逆らって、活動家の人たちとカヌーに乗り、海から越えて基地の中に入ったことを抗議されても、「自分たちは表現の自由を守るためにやる」と、堂々と反論しています。
この稿続く。
NHKのwatch9を支配している連中が、やっている事は、実は、そういうことであることを、当の本人たちが気づいていないのである。
つまり、あの番組を利用して有馬や桑子(バックにいるのが大越である事は間違いがないだろう)は、自分たちの意見に視聴者=日本国民を洗脳しようとしているのである。…本人たちは、その事に全く気付いていず、自分たちは正しい事をしていると思い込んでいるのである。だからあの二人は、本当の大馬鹿者...だが日本国と日本国民にとっては、油断したら、国を失う致命傷をもたらす、獅子身中の虫であることを肝に銘じて、彼らに対する監視を決して怠ってはいけないのである。
大体がNHKの世論調査は、その行うタイミングと内容が極めておかしいのである。
既述したように、先般、総選挙が終わったばかり、しかも、まだ幕の内だというのに、NHKは、突然、世論調査の結果などと報道した。
その内容は、安倍内閣の支持率が3%下がって47%になりました等という奇怪なものだったのである。
昨日、読売新聞が慰安婦問題について世論調査を行った結果を発表していたのだが…それこそ世論調査だろう…安倍内閣の支持率は54%。
上記のNHKの調査とは実に10%の開きがあるのである。今のNHKの報道部がおかしいのはこの数字だけでも明らかだろう。
そして、翌日、NHKは、あの本当に、もういい加減にしてほしい、元首相であることも信じがたい、現役の時から痴呆症レベルだった老人二人が、「安倍内閣では原発廃止はできない。原発の即時全面撤去云々」などと、本当に幼稚園児以下の、
反原発を掲げる朝日新聞の論説委員たちにけしかけられている、持ち上げられていい気になっている事はありありの、
本当に、馬鹿な、だけれども、これこそ亡国の記者会見を大々的に報道したのである。
つまり、NHKは明らかに朝日新聞などに与して、安倍政権を打倒したい、否定したいのである。
それをいかにもNHKらしく、陰湿に、悪辣に、隠しているつもりなのだろうが。
あの「日本に強制連行されて来た朝鮮人の…」発言を、私はライブで観ていて、即座に、批判する論文を掲載したのだが、…この発言の主で、当時のwatch9のキャスターだった大越健一は、東大出と言う事だけが売りの、本当の大馬鹿者であるだけではなく、日本国と日本国民にとって、最も危険な獅子身中の虫である。
私は、この男を、同じ東北人として、これ以上なく、恥ずかしく思っているだけではなく、これ以上なく、軽蔑している。
こんな男や、あの知事を観ていると、新潟が、だんだん、本当に嫌になってくる気がするほどに。
勿論、このような二人に対しての気持ちが大半で、新潟の酒や米には何の罪もない事は言うまでもない。
なにしろ、この男は、安倍政権に対する考えが、朝日新聞や、中国や朝鮮半島のエージェントが無数に居ると言っても過言ではない、獅子身中の虫だらけの野党の連中と全く同様である事が明瞭な意見を、
酒が入ると頻繁に語っていることを、週刊現代の電子版が掲載していた事は、先般、ご紹介したとおり。
NHKの受信料は、watch9を支配して、自分たちの自虐史観や、見せかけのモラリズムや、マルキシズムに洗脳された思想のままに、番組を脊索している連中に、日本国民の過半分を払わせるべきだろう。
Ce qui suit est la suite du chapitre précédent.
Takayama Masayuki, le seul journaliste dans le monde d'après-guerre, comme il l'a révélé de façon spectaculaire, le massacre de Nankin est un siècle de fabrication.
Le Japon, qui était un pays cible de la discrimination raciale comme Hitler l'a clairement déclaré dans "notre combat" le Japon ... la nation allemande qui est la seule première espèce au monde (éducation que la Corée continue de faire pendant 72 ans après la guerre, Les Coréens peuvent bien comprendre, c'est qu'il n'est pas exagéré de dire que c'est le mimétisme d'Hitler)
C'était d'autant plus vrai que les Allemands ont perdu face aux Japonais de seconde classe.
Ce qui suit est le fait que M. Takayama m'a présenté l'autre jour a enseigné.
Les Caucasiens pensent qu'ils sont les meilleurs.
Même les Russes qui se font baiser par M. Mongolian, même le visage de Lénine ou même le visage de Poutine, exagèrent que nous sommes des Blancs.
Par conséquent, le ressentiment de la guerre russo-japonaise perdue par les Japonais jaunes était profond, il a été lancé à Nomonhan pour l'effacer, et a envahi le Japon après la défaite.
Surtout pour les vrais Allemands.
Dans la guerre mondiale, il a combattu à Qingdao, battu par seulement 10 jours, être prisonnier, et privé des îles de la mer du Sud des colonies.
"Je pense que nous donnerons au peuple chinois l'opportunité d'aller voir les Japonais, nous les laisserons se battre entre eux, les affaiblir et les écraser."
C'est une bonne idée.
L'Allemagne a envoyé un groupe consultatif militaire en Chine, des casques et des mitraillettes ont été équipés de l'armée allemande, un entraînement militaire a été effectué et 70 000 soldats chinois ont été transformés en troupes renforcées.
Et en août 1937, ils ont fait attaquer les soldats chinois à la concession japonaise de Shanghai est le deuxième incident de Shanghai.
Il y a 4000 troupes japonaises.
Du ciel, l'avion chinois, que les États-Unis entraînèrent avec un avion, attaqua, mais l'armée japonaise était forte.
Ce projet continue.
La siguiente es la continuación del capítulo anterior.
Takayama Masayuki, el único periodista en el mundo de la posguerra, como lo ha revelado espectacularmente, la Masacre de Nanking es una fabricación del siglo.
Japón, que fue un país objetivo de discriminación racial como declaró Hitler claramente en "nuestra lucha" Japón ... la nación alemana que es la única primera especie en el mundo (educación que Corea continúa haciendo durante 72 años después de la guerra, qué Los coreanos pueden entender bien, es que no es exagerado decir que esta es la imitación de Hitler)
Fue aún más porque los alemanes perdieron ante los japoneses que son de segunda clase.
El siguiente es el hecho de que el Sr. Takayama me presentó el otro día enseñado.
Los caucásicos piensan que son los mejores.
Incluso las personas rusas que son folladas por el Sr. Mongolia, incluso Lenin se enfrentan o incluso Putin están exagerando que somos blancos.
Por lo tanto, el resentimiento de la guerra ruso-japonesa perdida por los japoneses amarillos fue profundo, se lanzó en Nomonhan para despejarlo e invadió a Japón después de la derrota.
Especialmente para genuinos alemanes.
En la Guerra Mundial luchó en Qingdao, derrotado por tan solo 10 días, fue hecho prisionero y privado de las colonias de las islas del Mar del Sur.
"Creo que le daremos al pueblo chino la oportunidad de llegar a los japoneses, les permitimos pelear entre ellos, los debilitamos y los aplastamos".
Es una buena idea.
Alemania envió un grupo asesor militar a China, los cascos y las armas de fórmula estaban igualmente equipados con el ejército alemán, se llevó a cabo entrenamiento militar y 70,000 soldados chinos se convirtieron en tropas reforzadas.
Y en agosto de 1937 hicieron que los soldados chinos atacaran la concesión japonesa de Shanghai es el segundo Incidente de Shanghai.
Hay 4000 tropas japonesas.
Desde el cielo, el avión chino, que Estados Unidos entrenó con un avión, atacó, pero el ejército japonés era fuerte.
Este borrador continúa.
Das Folgende ist die Fortsetzung des vorherigen Kapitels.
Takayama Masayuki, der einzige Journalist in der Nachkriegswelt, wie er spektakulär gezeigt hat, ist das Nanking-Massaker ein Jahrhundertwerk.
Japan, das ein Zielland der Rassendiskriminierung war, wie Hitler in "unseren Kämpfen" Japan klar gesagt hat ... die deutsche Nation, die die einzige erste Spezies in der Welt ist (Bildung, die Korea nach dem Krieg 72 Jahre lang weiter macht, Was? Koreaner können gut verstehen ist, dass es nicht übertrieben ist zu sagen, das ist Hitlers Mimikry)
Es war noch mehr, weil das deutsche Volk gegen die Japaner zweiter Klasse verlor.
Das Folgende ist die Tatsache, dass Herr Takayama mich neulich unterrichtet hat.
Kaukasier denken, dass sie die Besten sind.
Sogar russische Leute, die von Herrn Mongolian, sogar Lenin-Gesicht oder sogar Putin-Gesicht gefickt werden, übertreiben, dass wir weiße Leute sind.
Daher war der Ressentiment des Russisch-Japanischen Krieges, der von den gelben Japanern verloren wurde, tief, er wurde in Nomonhan gestartet, um ihn zu beseitigen, und fiel nach der Niederlage in Japan ein.
Vor allem für echte Deutsche.
Im Ersten Weltkrieg kämpfte er in Qingdao, geschlagen von nur 10 Tagen, gefangen genommen zu werden, und der Südsee-Inseln von Kolonien beraubt.
"Ich denke, wir werden den Chinesen eine Chance geben, zu den Japanern zu kommen, wir lassen sie miteinander kämpfen, schwächen sie und lassen sie uns vernichten."
Es ist eine gute Idee.
Deutschland schickte eine Militärberatungsgruppe nach China, Helme und Formelgeschütze wurden gleichermaßen mit der deutschen Armee ausgerüstet, militärische Ausbildung wurde durchgeführt und 70.000 chinesische Soldaten wurden zu verstärkten Truppen gemacht.
Und im August 1937 ließen sie die chinesischen Soldaten angreifen. Shanghais japanische Konzession ist der zweite Vorfall in Shanghai.
Es gibt 4000 japanische Truppen.
Vom Himmel aus griff das chinesische Flugzeug an, das die Vereinigten Staaten mit einem Flugzeug trainierten, aber die japanische Armee war stark.
Dieser Entwurf wird fortgesetzt.
O seguinte é a continuação do capítulo anterior.
Takayama Masayuki, o único jornalista no mundo do pós-guerra, como revelou espetacularmente, o massacre de Nanking é uma fabricação do século.
O Japão, que era um país alvo de discriminação racial, como Hitler afirmou claramente em "nossa luta" no Japão ... a nação alemã que é a única primeira espécie do mundo (educação que a Coréia continua a fazer por 72 anos após a guerra, o que Os coreanos podem entender bem é que não é exagero dizer que este é o mimetismo de Hitler)
Foi ainda mais porque os alemães perderam os japoneses que são de segunda classe.
O seguinte é o fato de que o Sr. Takayama me apresentou no outro dia ensinado.
Os caucasianos pensam que são os melhores.
Mesmo as pessoas russas que são fodidas pelo Sr. Mongol, mesmo Lenin enfrentam ou mesmo o rosto de Putin estão exagerando que somos pessoas brancas.
Portanto, o ressentimento da Guerra Russo-Japonesa perdida pelo japonês amarelo foi profundo, foi lançado em Nomonhan para limpar e invadiu o Japão após a derrota.
Especialmente para alemães genuínos.
Na Guerra Mundial, ele lutou em Qingdao, batido por apenas 10 dias, sendo preso e privado das Ilhas do Mar do Sul das colônias.
"Eu acho que vamos dar ao povo chinês uma chance de chegar aos japoneses, nós os deixamos lutar um contra o outro, enfraquecendo-os e vamos esmagá-los".
É uma boa ideia.
A Alemanha enviou um grupo de assessoria militar à China, capacetes e armas de fórmula estavam igualmente equipados com o exército alemão, treinamentos militares e 70 mil soldados chineses foram transformados em tropas reforçadas.
E em agosto de 1937 eles fizeram que os soldados chineses atacassem a concessão japonesa de Xangai é o segundo Incidente de Xangai.
Existem 4000 tropas japonesas.
Do céu, a aeronave chinesa, que os Estados Unidos treinaram com um avião, atacou, mas o exército japonês era forte.
Este rascunho continua.