関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

ウィキペディア発のフェイク情報を追う❕ 「函館に来たベレンコ中尉のミグ25」が今もロシアで “機体を展示”中…って英語版の記述は、たぶん間違いだろう/他1件。

2018年09月10日 | 日記

さあ。今夜はまず、「結論めいたこと」からザックリ記した上で以下、詳しい「その根拠となった道すじ」を語っていこうと思う。

つい先般……9月6日は昭和の「お騒がせ怪事件」のひとつ、《ベレンコ中尉ミグ亡命事件》が起きた日から42年目()となった日であった。当時は冷戦まっただ中。お堅いソ連の、それも最前線を護る空軍将校が(西側世界に怖れられた)最高機密の戦闘機を駆って任務放棄の逃亡。あろうコトか仮想敵領土深く、民間の函館空港に強行着陸して「米国への亡命」を申し出た、という前代未聞の「例のアレ」である

冷戦もソ連も崩壊し、ミレニアムも越えた数年前のこと……事件発生から70日余を経てソ連に返還されたミグ機の行方(ゆくえ)をめぐり、英語版のウィキペディア「ミグ25」の項目説明に↓以下の文言が(ひっそりと)追加された。


憶測だが(資料原典の引用符も無いので)さらりと読む分には、誰か英米語圏の一般人ツーリストが「旅行でロシアの航空機工場を観てたら、思いもかけず件のミグ機が飾ってあったのでさっそく知識を共有すべく追加しましたァ」みたいな一節にも?読める。

ミグ機? それ飾ってあるって、どんなふうに??

と言うコトで順を追って調べる。

まず、「ニジニノヴゴロドのソコル工場」って? ニジニノヴゴロドはロシア西部に在って、モスクワの衛星都市のひとつ。ソ連時代は「軍事機密上の閉鎖都市」で地図にも載らなかった。晴れて冷戦後の今は(先般の)ワールドカップロシア大会でもサポーティング・シティの一都に名乗りをあげ、サッカー日本代表にこそ縁が無かったが《ニジニノヴゴロド・アリーナ》なんて大スタジアムを会場用に突貫改修して話題を呼んだ。


 
さて、その街にある「ソコル工場」って?

正確には単に工場、ってんじゃなく会社だ。ロシアでは伝統的に『1所1社』という感覚が強い。ひとつの会社の下に何ヵ所かの事業場がある、という経営方式は採らず、各工場や営業所が「会社」としての体裁を持ち、より大きな会社が「資本上の親会社」となり「本社」となる。最終的な「統括本社」は実質、プーチンさん率いるロシア政府である。その、官営なんだか民営なんだか、あいまいなまま混然と一体化してるのが現ロシアの経済体制なのだ。

ソコルの直接の親会社は「OAK(統一航空機製造会社)」という半官半民の会社。今の形に再編させられたのは2006年で社史としちゃ若いが、ミグやスホーイ、ツポレフといった(日本でもおなじみの)ブランド企業も全部、このOAKの傘下にある。

となるとソコルは、日本の感覚だと『OAKニジニノヴゴロド工場』になるんだが、『1所1社』のロシア的にはあくまで《ソコル航空機製造合資会社》、あるいは略して《ソコル》としか呼ばないんですな。集合しても名前が残ってちゃ業容の理解が複雑になるだけなのにって我々は思うが、ロシア人は地産の屋号やブランド名が資本合併で看板がコロコロ変わる、ってこと自体、「腐った資本至上主義の悪習」と信じて疑わないようなのだ。

ちなみに、ソコルとはロシア語で「はやぶさ」のこと。名のごとく、瞬速で飛ぶヒコーキを造ろうと始まった工場で、1930年に建設が開始され32年には生産第1号機となる複葉戦闘機をロールアウト。1948年には初のジェット戦闘機を出荷、これが縁で翌49年から「ほぼ、ミグ機専門の」製造工場となり現在に至っている。

ミグ? ソコルじゃなくて?

はい。だってソ連時代の創業で。 腕の立つ熟練工や、その門下を目指す青年を集めて「生産会社」を設立しただけだ。(軍用機だろうと民間機だろうと)ヒコーキを設計だの開発だのするのは、「お上の、お役人部局」の仕事で、「その設計図の機体、ウチのソコル工場で作らせてください」という営業は(地場の)党幹部や政治局員の仕事。

逆に、ミグやツポレフという設計開発会社(当時は会社でなく「設計局」という役所)は各機種の量産や保守整備、エンドユーザへの販促…等々までは担当してない。設計図と部品(材料)リストさえ書き上げたら、そこから先は全国に散らばる「生産会社」の役目。そして、どこの会社にどの機体を任すか?決めるのは「お上=OAK」の役目。その役割分担は、ソ連崩壊後も変わらなかった。造船なども基本同じで、各地の造船会社は船を企画設計したり営業して回ったりはせず、今もまだ、決められた材料と与えられた設計図で(文字通り)ひたすら船を造るだけが仕事になってるようだ。国内同業者間で互いに(直接、市場を舞台に)受注競争しない、という意味では『共産社会』時代のしきたりが色濃い、とも言えようか。

ちょっと話が拡がりすぎたので、ソコルに話を戻す。いちいち《ソコル航空機製造合資会社》では面倒なんで、単にソコル社、としよう。

ミグ設計局(今のミグ社)の設計した機体を着々と生産することで業容を固めたソコル社。そのソコル社の工場構内に「生産してきた代々のミグ機を飾った区画がある」……結論から言うと、これは正しい。グーグルMapの航空写真でも、その様子は確認できる。


ネット上には、地上で撮られた写真
も上がってる。ミグ25の辺りだけ拡大してみたのが↓下の画像。



それでだ。
 
前置きが長くなってしまったが、英語版ウィキの「ベレンコ機が今も工場に飾ってある」との記述は、ここに並んでるなかの一番、西の端っこ。下の機体↓のことを指した可能性が高い。



記述者が「(この機↑が) ベレンコ機だ」と判断した理由は、おそらく当人は現代史をヒモ解くのは好きだが、軍用機オタクではない この機だけ不自然に、他のミグ25やミグ29とは離された場所に置いてある 何よりも!函館で撮られた亡命機と機体ナンバーが同じ『31』だ。…といったことかと思われる。


たしかに、函館のミグ機の機体ナンバーは『31』だったが、数少ないカラー写真を見る限り、赤色塗色の31であり、この機のような紺文字の31とは違う。記述者は(世界じゅうに最も数多くバラ撒かれた)モノクロ写真のミグ25ばかりが脳裡にあって、早合点したのかもしれない。

さらには、だ。 航空機&戦闘機マニアなら一目でおワカりの通り、そもそもこの機体はミグ25ですらない。

もう一度、3つ上の「展示機を地上で撮った写真」を見返してほしい。 写真、向かって左手前から右手奥に順に、ミグ19、ミグ21、ミグ25、ミグ29、ミグ31。

そう。この機体ナンバーは現役運用時の識別番号ではない。どの展示機も、単に機種名の(ミグに連なる)附番に塗り替えて並べてあるだけ。一番奥に置いてあるのは「ミグ25の、他のとは離して置かれた31番機」ではなく、フツーに「ミグ31」だ。

ま、当ブログは軍事ヲタ専ではないので、パンピー的に捕捉の説明画像も加えておく。かように、そっちの一般知識を持ち合わせてる御仁なら、誰もこの機を「ミグ25だ」などとは誤認しようがない!と思う。


人の体重や要員数を増やしてでも(ミグ25の単座仕様から)複座に設計変更したのは、表向き「> 作戦任務でのパイロットの負担を減らすため(※ウィキペディア日本語版)」などとされているが、もっと泥臭い本質的な理由は「二人組の操縦システムに変えることで、パイロットひとりの意思では逃亡(して亡命)できなくする」ことに他ならなかった。
 
マッハ3級の迎撃戦闘機をワンマン操縦にすると、パイロットが機ごと逃げようと思えば(追いつける機種がないため)容易に逃げられてしまう。この当然の「危うさ」を白日の下に晒した者こそ、売国奴ベレンコなのであった。さらに言えばレーダー操作は後席でしか行えず、たとえパイロットが自身の逃亡のためには鬼となり(飛行中に)後席の同僚を射殺できたとしても、あとはレーダー無しでの操縦を強いられ、亡命“逃飛行“の成功率は格段に落ちる。

とま、余談はさておき。
 
ここまで分かった段階でも、まだウィキ英語版「ソコル工場に展示説」が100%フェイク情報とまでは断言できない。

なぜなら2年前、同じようにウィキペディアの記述に引っかかったブログ主(実は元防衛"庁"の海自所轄官?)さんも英文でご推察してる通り…


曰く、「なら、その隣の隣に置かれた(正真正銘の)ミグ25の機体こそ、ナンバーを31から25に塗り替えられた"ベレンコ機"なのかあ??」という仮説も成り立たないワケでなく、実は?それこそが「事実だった」…とも限らない。

この際だから、とことん考察してみよう。それじゃ(ミグ31は忘れて)ミグ25展示機の方に目を転じる。この機についても、近くで撮った写真がある。


おや? 何やらミグ25の機体の前には解説板?みたいなプレートが立ってるような。 ここに「反逆将校ベレンコが乗っ取り、日本の函館空港に…」云々と記されてるのか? ソコルはミグ機の製造部門だけでなく、ミグ最新機種の操縦士候補生(延べ)1万人以上を育て上げた総合訓練センターを内包している。そういう意味では、明日のミグ機を操る訓練生の目の届く場所に「恥すべき黒歴史」を展示することの教育的効果が無いとは言いきれまい。

しかし…。

あいにくだが、その可能性も低そう?なのだ。函館の亡命機、この展示機の「左主翼 付け根前方」部分をズームUPしてみると…


いかがだろうか? もっともハッキリしてるのは①②とを比べた場合、展示機は主翼の付け根前方へと1.5mほど細長く突出した梁(はり)のようなモノが、明らかに溶接で「つぶされている」ことだ。これはフェアリングと言って、妨害電波の発信器(アンテナ)を覆う風防なのだが、実際にアンテナを埋めて機能させる気なら(①②のように)5cm程度の厚みで"出っ張らなくては"覆うことができない。どうも展示機には「展示用に、ただ大雑把に外面パーツを繋ぎ合わせた感」が色濃い。にわかには「ベレンコ機だ」とは言い難いと思う。

今回の記事で(自力で)追えるのは正直ここまでだが、いちおー「ベレンコ機が展示中、と言うのは(ミグ31を勘違いしたか、あえて紛らわしくするよう意図された)フェイク情報であった」と結論しておく。

そう結論づけたのには、もう一つ「他力の情報」を根拠としている。 それはロシア語版のウィキペディアにおける、下記の記述だ。 周知のごとく、ロシアの「公式情報」の真贋は一概に見抜けないし紛(まが)い物も多いのだが、少なくとも個人的には、英語版の「展示説」より説得力があった。


 
いやいや、それでも納得できないぞ、って人のためにww

ナンなら、あなた自身がニジニノヴゴロドに飛んで行って(疑惑の展示機体を)見てこよう…と思い立つかもしれない。そんなあなたのために『ニジニノヴゴロド"異色"観光ガイド』を併載しておこう

先ずは、ニジニノヴゴロドの宿を取ろう。リンク先を見ての通り、別に高いもんじゃない。次に、渡航法は"おまかせ"で。モスクワなり経由して、ニジニノヴゴロドを目指されたし。

ホテルからはタクシーで、運ちゃんに「ムイジ・ソコル、バジャオスタ」(ソコル博物館へ頼む)とでも言えば、下記のソコル航空機製造史博物館に連れてってくれるハズだ。 あとは地図解説の通り歩けば、難なく「そこ」へ着くぞ。


参考までだが、このソコル社の工場地帯が(市内の)どの辺にあるか?と言うと以下の辺り。
 

この地図に在る「ソルモヴォ飛行場」(露表記:Сормово аэродром)だが、実はグーグルMap上には載ってない。※航空写真モードで2997х68メートルの立派な滑走路こそ確認できるが(肝心の)一切のテキスト記載が無い。主にミグ機の試験用なのだから冷戦時代は隠匿されてて然るべきだが、新ロシアの治世になってからは、こんな鈑金工場のスクラップ置き場みたく、ただただ「荒廃に任せとくのもどーよ」って気運が高まっている。


おまけに、周辺を常時監視する人材まで(空軍もソコル社も)賄えないという苦しい懐事情をイイことに(最悪、警官に射殺されても文句言えんのに)忍び込んで盗撮するバカな若者まで出てくる。こりゃあナンとかせんと。少しは(自社産品の試験以外に)、もっと「カネを産む使いかた」も考えろ!という至極もっともな要請が…今や各方面から寄せられてるのだ。
 
↓空から見たソルモヴォ飛行場の全景。とても最新ミグ機の発着場には見えない。

ここ数年、世界のツーリストたちに知られ始めてる「ロシアで、ミグ29に乗って絶叫アクロバット飛行体験ツアー」「ロシアで、ミグ29に乗って成層圏まで夢の往復ツアー」の運営元こそは他ならぬソコル社で、実はあのミグ29、このオンボロ自社飛行場を発着母港にしてるのだ… 知らなかったでしょwww
 

この、唯一世界に1機しかない"観光仕様"ミグ29に乗るのに「どんな大金」ハタかされるのかは知らないが、こんな場末のスクラップ置き場から離陸すんのかってだけで、フライトの初っ端から「絶叫マシン」状態に曝(さら)されるんじゃないかしらん プロモ動画だけ見てる分には「楽しそう」「スゴそう」…なんだけどね

MIG-29 flights in Russia. NEW multi-angle video! 


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