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観たいとは思うが地デジ難民の小生には視聴しようがないし、そもそも中京地区では放映されてない番組だ。まなみん"嬢"の艱難辛苦も詰まった半生記が語られるようだが、TVのパワーで彼女に再びスポットライトが当てられるなら結構な話。ここは陰ながら(年長者&旧ファンの身として)遠き街の「彼女のこれから」にエールを送ることにしよう

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わたしたち自営業者に定年はない。基本、死ぬ瞬間まで現役だ。終わってから他人から眺めたのが自分の人生なのであって、自分では人生を設計できない。設計できないと生前に悩むのも、ぶっちゃけ時間の無駄だ。悩んでないで、とにかく不惑を過ぎようと、還暦を越えようと

きのう、馴染みの客に呼ばれて豊田市に行ってきた。
店のおやじはもう呂律も回らず身体ヨボヨボで、じっと立ってることすらできない。10秒もすると、震えていた膝がガクン


そしたら指三本をグイと目前に突き出してみせ、「あと3年は"やる"ことにしたから」とブチ上げてくるじゃないか。
見るからに元気そうにゃ見えない人がだよ


日本には古来より『鶴と亀』って長寿の縁起担ぎがある。千年万年は無理にしても、たしかにツルやカメは長生きする方だ。そのために食性は至って雑食で、頑強な顎やクチバシを持ち、食えるモノなら何だって啄(つい)ばむ。
というワケで、あなたは『鶴と蛙(カエル)』という格言をご存じだろうか。
たぶん知らない人がほとんど、だと思う。ツルは英語でクレーン。あの、高層ビル建築現場にソソり建って資材を吊り上げてる「クレーン」の語源(となった鳥)であることは、知ってる人もいるだろう。なら「crane and frog quotes」で画像をググってみれば、そこにはこんな絵柄が山のようにヒットしてくる。そう、『鶴と蛙』とはズバリ主に英語圏で広く持ち出される、老若男女にポピュラーな格言なのだ。
カエルも雑食なのであるが、より図体のデカいツルやサギにとっては餌でしかない。圧倒的な強い力(=運命)の前には、問答無用で食われるしかない。しかし、「しかない」と無抵抗のまま食われるワケにもいかない。たとえ運命(❔)だろうと、食われるまでは「食われる運命だった」とは確定しない。ならば❕❕ ということでツルの首を引っつかみ、その息の根を止めようと⚡もがくカエル。

これ

その間に、いろいろな(ツルから逃れるための)方策にも走った。結局ダメで、やめたことも多い。だが、小さな「やめる、あきらめる」は幾度だろうと繰り返していい。貫徹ばかりに目を奪われ、深入りする必要はない。とにかく、いろいろと試して試して試しまくって、でも、大筋で続けてこられたことだけは、最後まで停めてはイケない。現役当時のイチローに「朝カレー伝説」なんてのが湧いたときも、改めて取材で問われた本人が、けろっとした表情で「今はもうやってない」と答えた逸話のように、細かい「始めた、やめた」の連続こそが長丁場のサバイバル人生を精神面から支えるんである。
だから自分、人生を「頑固に、無理でも気を張って食いしばる=頑張る」とかって、いかにも苦しそうな

ツル(=容赦のない運命、迫りくる逆境)の首根っこを少しでも絞り上げて、ツルの奴めを慌てさせてやった方が、息をつく暇も生まれ、辺りを眺める余裕もできる。カエルの人生を送る者の「生きがい」なんて、それだけのことで、それでありつつ、それに勝る悦びはない

まあ別に、その悦びを(周囲に)分かってくれ



いわゆるバブル期に、"Aで始まりVで終わる業界"の女優でいらした。年代だと、小生の「いもうと分」的な齢廻りの女性(ひと)。キャラとしちゃ、この頃まだ幼さ残した顔立ちのアイドルだった後藤久美子(ゴクミ)嬢の、その"5年後は🍀こんな感じの❔お姉さん"…的なイメージで(ウットリ~

彼女の出演するビデオに目を血走らせてた時分、わたしは当時じゃ先端にして花形の"Oで始まりAで終わる業界"で営業やってて、この業界に見切りをつけ(つけられ?)、今の一匹オオカミ的な自営業へと人生の舵を切ったのと、彼女がダンサー稼業へと活動の軸足を移したのが(おそらく)同時期。ダンサー稼業も芸人みたく、あるいはパンピー界の個人事業主みたいなもんであるから、世間のニーズという「ツルのひと声」で収入も翻弄されるであろう。
その熾烈さは、わたしたちカエル


って、これじゃ相当アブナいエア・ストーカー

ともかく、彼女も真っ向「与えられる日常を続け、続けられてきた日常は停めずに」いる人だ。最強にカッコいい。また彼女の場合、ふと誰かが「そーいや星 愛美って子、前いたけどぉ…」と思い出してググると、一番上に彼女本人のツイッターアドレスが


わたしの場合、もし近況が "ふたたび往時のように" 伝わろーもんなら「あの人、まだ時代遅れのソフトウェア販売なんかで生きてんの❔ ここ十年はSNSでも見かけねーし、マジ信じらんねーわ」と鼻で嗤って憐れんでくれそうな旧・知人が何十人と


かつての同級生や(新卒入社時の)同期らは皆、今どきばりのSNS生活には疎くって、だから自分なんかが趣味つながりでネット交流してたのは(優に❕ ひと回り以上は)年下の連中ばっか。彼らと長く親交を深めても(商売上のオファーが期待できるでもなく)趣味以上の分野に人脈が拡がるもんでもないから次第に過疎った。それだけの話なんだけどね(侘) まして、その"旧友"どもには自分が〈具体的にどんな業界向けのソフトを制作してる〉だとか、いちいち告ってもいない。あいつらには、この「わたしの今

つか、繰り返しになるが「わたしの今



=了=